岩手県盛岡市の町なかを中津川という小さな川が流れている。そのほとりに地元の酒造会社の醸造所があって、それが盛岡の良い景色になっていたのだけれど、最近、その醸造所が郊外に移転してしまった。その建物はすでに取り壊されてしまって、跡地には分譲マンションが建つことが決まったらしい。
このことが今、地元でいろいろと取りざたされている。町並み保存を穏やかな形で、しかし真剣に考えるべき時が盛岡にもやってきた、という新聞の記事を私は目にした。市民と建設業者が市長をまじえて協議する場が持たれる、そんな方向で調整が進んでいるらしい。私から見ると、町の風景の問題が政治として扱われる、ということになる。
町なかの、風情のある古い建物が廃業したり老朽化したりして取り壊されて空き地が生まれると、そこに都会風の分譲マンションが建つのは今に始まったことではないし、それは盛岡に限ったことでもない。それは私も承知しているつもりだけど、私はまるでマンションの谷間を迷いながら盛岡の写真を撮り歩いている。そんなふうに思うこともある。
べつにそれが不快だというわけではないし、それを含めて町の風景だろうと私は思っている。もちろん、その裏には盛岡にずっと住んでおられた方々の大変な気配りと御苦労がある。そんなお話を私もうかがったことがあるし、だからこそ、この町は新旧の建物が入り混じった、写し歩いていて飽きない、不思議な魅力を保ち続けているのだと私は感謝するばかりである。
その、取り壊されてしまった中津川沿いの醸造所は、それ以前に私は何回も写してきた。ここに載せてもらったのがそのうちの一枚で、これは二〇〇七年の冬に撮った写真だと思う。お世話になっている写真店や印刷会社の助力を得て、これは私の小写真集「光と影の町」にも掲載することができた。
この景色が消滅してしまったことはとても残念だけれど、ここにこれから現れる景色がどうか素敵なものであってほしい。もし、この写真がほんのわずかでもその助けになるのであれば、私はまさに写真家冥利に尽きる。そうとしか言いようが無い。何気なく撮った写真が、時間を経て作者が思ってもみなかった物語を語り始める。その現場に今、私は立ち会っている。そんな気がする。
このことがいったい何を導いてくれるのだろう。あるいは、このことが私をどこに導いてくれるのだろう。そんな、ささやかだけれども不思議な気持ちが今の私にはある。
素直にたくさん撮れば撮るほど写真は広い意味での政治性を帯び始める。時間だけが写真の本質を明らかにする。それは作者を包んだまま、それをはるかに超えて広がってゆく。その不思議に優しい力を私は感覚することができる。
それにしても奇妙に思えるのは、この場所をこんなふうに写した写真を私は他に見たことが無い、ということである。この醸造所があった頃、これは盛岡のひとにとってあたりまえに過ぎた、ということなのだろうか。あたりまえに存在するものをあたりまえに写すことができる写真家がどうしてこんなに少ないんだろう。私はそんなふうにも思う。
余談ながら、小笠原の母島でも私は同じことを言われた。わざわざ母島までやって来る写真家は、夕陽とかジャンプするクジラとかドラマチックなものを撮るばかりで、私のようにぬけぬけと、何でもない普通の景色を撮るひとは他にいないと言うのである。それが地元のひとにはとても新鮮で面白いらしい。その時、私は本当に驚いた。写真とはずいぶん不思議なものだ、と改めて思ったのである。
話をもどすと、私が盛岡で初めて個展を開いた時にもこの写真を展示したけれど、その時、「私のように盛岡で生まれ育った人間が素敵だと思っている所をあなたはきちんと写している」と言って下さった年配の写真愛好家がおられた。
私は盛岡生まれだけれど、四十を過ぎるまで盛岡で落ち着いて暮らしたことがなかったので、この言葉はとても嬉しくて大きな自信になった。それでも、この言葉をかけてくれた方は祭りやイベントを撮るばかりで、とても上手いひとではあったけれど、ご自身の写真をまとめることもせずに世を去ってしまった。失礼かもしれないけれど、そのことから私はいろんなことを学んだ。あるいは、ずっと地元で幸せな人生を歩んだひとは、あえて自分の写真を残す必要なんか無いのだろうか。
比べるのは僭越に過ぎるけれど、パリを撮り続けたユジェーヌ・アジェも、東京を撮り続ける森山大道さんも荒木経惟さんも、愛する町を他者の目で見ているように思う。盛岡は私にとって故郷であり異郷である。それは変わらない。
何でもない写真を撮るのは技術的には難しいことではないのだけれど、それを続けるには、他者の目で愛することが必要になるのだろうか。そのことが納得できたのならば、他者の目で愛するということを、写真だけではなくて、私の人生のすべてに適用してゆけば幸せに生きてゆける、ということが明らかになる。これが私のこれからの課題になるのだけれど、今の私にとってそれは難しいことではないだろう。そんな気もする。
それにしても、どうしてみんな写真に作為をこめたがるのだろう。写真の不思議な力がどうして分からないのだろう。
池田晶子さんや松原隆彦先生が言うように、自分が、あるいは宇宙がこのように存在している、これ以上に奇跡的で不思議なことは無い。これに気づいてしまえばオカルトやカルトに惑わされることは無くなるし、政治に振り回されることも無くなる。そして、美しい景色に感動することはあっても、それを作為的に表現する必要は無くなってしまうのである。
そもそも、美しい風景写真なんて、写真の歴史をひもとけば、優れた先人の手ですでに表現され尽くしているはずである。天才アラーキーが言うところの彼ら「偽アマチュア」にはそんなことも分からないのだろうか。
ならば、目の前に広がる何でもない景色を、あるいはひとびとを私は写し続けるだけである。そこにどれだけ広大な異界が広がっているか、どれほど不思議な楽しみが隠されているか、私はその一端を知っている。そんな写真は、作者が思いもよらなかった強大な力を発揮することになるかもしれない。我々を暖かく包んでゆくことができるかもしれない。写真にはひとをつなぐ力がある、それを私は思い出した。
表現にこだわる写真家にも、記録に固執する写真家にも、いわゆる「アマチュア」にも、このことは分からないらしい。それが私にはいちばん不思議なのだ。