湿原から森へ、乱世を生きる

重厚な長編小説をたくさん遺した加賀乙彦さん(と呼ぶことを許してほしい)が九十三歳で亡くなった。このひとは、小木貞孝氏という精神医学者でもあった。

加賀乙彦名義の代表作のひとつで、死刑囚の長い長い物語「宣告」は、私が二十代の頃、いちばん辛かった時に読み続けていた本で、それに救われたことは、私は以前にも書いたことがある。この本は今も私の本棚に並んでいる。

私が読んだのは他に「フランドルの冬」と「海霧」、そして冤罪の長い長い物語「湿原」である。「湿原」は朝日新聞に連載されていたのをリアルタイムで読んだ記憶がある。そこに毎日付されていた野田弘志氏の絵もとても素晴らしかったことを私は憶えている。

その頃、高校生だった私は、引き込まれるように毎日「湿原」を読み続けていた。

「湿原」には様々な悪や不条理が描かれている。悲しみも苦しみも歓びも、人間の節度や気高さも温もりも、自然の美しさも、そのすべてが明晰な文章によって余すところ無く描写されている。圧倒的、とはこういうことを言うのだと私は思う。

それを、息詰まるような受験勉強のかたわら、まさに世の中に幼い一歩を踏み出そうとしていた私が読むことができたのは、とても幸せなことだったと思う。

私がこうして、何とか人並みに生きてくることができたのは、その体験のおかげだったのではないか、とさえ思う。あまり幸せには見えない人生を歩んでいる、かつての友人たちを思い出すたびに私はそう思う。

繰り返しになるけれど、「湿原」がこの世の悪や人間の節度を少年だった私に教えてくれた。そのおかげで私は今、こうして生きていられる。私が素晴らしい友人たちに恵まれているのもそのおかげなのだと思う。

でも、私は「湿原」をそれ以来一度も読み返していない。これはそう簡単に読み返すことができない小説であるのも確かだと思う。ようやくこの機会に、私は古本屋に並んでいた文庫本を手に入れた。この長い小説の最終盤、冤罪が晴れたふたりが、北海道の湿原で再会する場面はとても美しいと思う。それでも、恐ろしくて、私はこれを最初から再読する勇気が無い。大切な本であることに変わりは無いのだけれど。

文学は大切なものなのだと改めて私は思う。本ばかり読んでいればいい、ということではないけれど、それは読者を護ってくれる。村上春樹が、オウムの関係者に読書家がひとりもいなかった、と言っていたのを私は思い出している。

今の政権与党の政治家にも、おそらく読書家はいないのではないだろうか。そうでないのなら、目先の利権に目がくらんで、彼らがカルトを疑われる団体と結びつくことが私には理解できない。

そのせいで、もしかしたら、世の中全体が、いつのまにかカルトになってしまっているのだろうか。ミイラ取りがミイラになってしまったのかもしれない。それがカルトの恐ろしさだろう。それは、「湿原」にも書いてあったと思う。今、これだけろくでもないことがたくさん起こっても、世の中がまったく変わろうとしていないことは、そう考えるとよく理解できる。

もちろん他にも原因はあるのだけれど、こうして始まってしまった乱世は、収まるまでにおそらく百年以上はかかる。今生きているひとは誰もそれを見届けることはできない。応仁の乱から始まった乱世が終息するのに、百年以上かかっていることを思い出してもよいのかもしれない。

それでも、今を生きているひとは誰もがささやかな希望を持っている。もちろん私もそうだ。その希望を大切に育ててゆくことこそ、この乱世を生きる理由なのだけれど、その時に思い出すのが四年前に亡くなってしまった橋本治さんである。

このひとは、コロナが始まる前、平成が終わる直前に亡くなってしまった。このひとが生きていたら今、何を語っただろう。それを聞けないのをとても残念に思う。

橋本治という作家を私が初めて知ったのは、「写真時代」誌に連載されていた人生相談だったけれど、それをまとめた「青空人生相談所」も私の本棚の、「宣告」のすぐとなりにずっと並んでいる。このひとの本も古びることが無い。私はもちろん、このひととは何の面識も無いのだけれど、橋本治という作家には「世話になった」という不思議な印象がある。

橋本治がオウムを論じた「宗教なんかこわくない!」に、「日本は会社教という宗教に汚染された宗教社会だから」というような文章があった。すべてはこれに尽きるような気がする。

何事も霧がかかったように見通しがきかなくなってしまうのが乱世なのだろうと私は思うけれど、そうであれば、精一杯、出来るところまで今の生活を続けてゆくより仕方が無い。乱世であっても、健康に留意すれば誰でも長生きできる。自分の仕事を続けることもできる。それが乱世の希望になる。

そして先週、私は書店で養老孟司さんの「養老孟司の幸福論 まち、ときどき森」という本をみつけて読み始めた。この本は三陸の大地震と大津波の翌年に出ている。

この中に、「正気であり、本気であること」という章がある。本気でやる、ということを我々は忘れかけている、という指摘がある。江戸時代は、優秀なひとがどこかにいないか世の中が必死に探していた、と書かれている。その頃は交通が不便だったにもかかわらず、優秀なひとは東北からでも長崎まで勉強に行っている、とも書かれている。

そんな、本気のひと、必死のひとが今もいることくらい、私も知っているけれど、その数はあまりにも少ないのではないか、そんなひとたちはずいぶんと不遇なのではないか、と私は思う。まともなことがマイナーになりすぎているのではないだろうか。

「森の夜明け」はいつやってくるのだろう。それは乱世でも可能なはずである。それを待ちながら、心あるひとの厚意を大切にして、私は自分の仕事や生活を続けてゆくだけである。それは楽しいことであるのを忘れずにいたい。

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