石川淳の不出来な読者として

昨年暮れに古本屋で石川淳の「蛇の歌」という本を手に入れて、お正月休みにはそれをずっと読み続けていた。背表紙が陽にやけている単行本を、私は古本屋の百円コーナーで見つけたのだけれど、表紙をめくって現れる、巻頭のモノクロームのポートレートと本文は綺麗である。

この「蛇の歌」は石川淳の絶筆となった未完の長編小説で、昭和の終わり、私が二十代初めの頃に出た文芸誌「すばる」の石川淳追悼記念号に掲載されていたのを、その後に何度か読んで以来、ということになる。

これは八十八歳の、しかも死を前にした作家の作品とはとても思えない、力と色気と面白さを持つ絶品である。底知れない深みとリズムのある文章が読者をその中に引き込んでゆく。これからもっと面白くなる、というところで未完に終わってしまったのが残念でならない。それでも、その最後の部分は石川淳の白鳥の歌であって、これをきちんと受け止めるのに、私は一生かかりそうな気がする。

まさに石川淳は「生きることを励ます」のである。私が世の中に出ようとする時に石川淳が亡くなって、あのような形でその生涯と言葉に接することができたのはとても幸せだったと思う。そして、深い教養の無い私にもその励ましは届く。これが、石川淳の素晴らしいところではないだろうか。

前にも書いたことがあるけれど、この「石川淳追悼記念号」には田中優子先生の「救いとしての石川淳」という追悼文が載せられている。そこには「アナーキーに生きる方法はあるのだ」と記されている。この、田中優子先生の文章が、世の中に出ようとしていた私をどれだけ励ましてくれたことか。「日々、何を心配するのだろう。何を恐れるのだろう。」「思うように考えればいい」「思うように生きればいい」、この言葉が私を支えてくれた。もちろん今でもそうだ。夭折せずに、アナーキーに人生を全うすることは可能なのだ、ということを私は学んだ。

私が初めて石川淳を読んだのは高校生の頃で、それは創刊されたばかりの集英社文庫から出た短編集「普賢」だった。どうしてこの本を書店で手にしたのか、それは今考えてもよく分からない。めぐりあわせ、と言ってみたくなる。

「普賢」よりも、この短編集に収められている石川淳が三十六歳の時のデビュー作「佳人」が私は大好きになった。発表されたのは昭和十年、私が初めて読んだ時からしても四十年以上前の作品なのだけれど、とてもそうは思えなかった。僭越を承知で言えば、「ここには俺がいる」と私は思ってしまったのである。この思いは今も変わらない。

その後、私は今に至るまで石川淳の小説を少しずつ読み続けてきた。素晴らしい文章ではあるけれど、石川淳は一気に読み終えるような作家ではない。まさに、一生おつきあいさせてもらえる作家なのである。

それでも、こんなふうに、五十年以上も書き続けた作家なのに、そのデビュー作と未完に終わった絶筆がいちばん好き、というのはどういうことなのだろう。そんな作家は私にとって他にいない。

古井由吉の「杳子」とか、アルベール・カミュの「異邦人」とか、デビュー作だけが特別に大好きで、しかし、それ以降の作品には興味が持てない、という作家はいる。あるいは井上靖のように、デビュー作と絶筆にはあまり興味が持てないけれど、脂の乗った時期の作品がとても好き、という作家もいる。 これから、私の人生の残りの時間を使って、私なりに石川淳を読み続けなさい、ということなのかもしれない。

それから、もうひとつ不思議なのは、石川淳という作家は、若い頃のポートレートがほとんどまったくと言ってよいほど残されていない、ということである。

石川淳は一八九九年の生まれだけれど、太平洋戦争敗戦前、つまり四十代なかば以前のポートレートを私は知らない。不鮮明な集合写真を二枚くらい、私は見たことがあるだけである。

それでも、青年期を過ぎて発表されたデビュー作「佳人」の翌年に発表された「普賢」は芥川賞を受けているのだから、その頃の、石川淳が三十代後半のポートレートが残されていてもよさそうなものである。

戦後、四十代なかば以降の彼のポートレートはたくさん残されているのだけれど、それでも土門拳や林忠彦といった、旺盛に仕事をしていた当時の写真家は、石川淳のポートレートを撮っていないようである。

土門拳が石川淳を撮らなかったのは何となく分かるような気がするけれど、太宰治や坂口安吾の名ショットを残した林忠彦が彼を撮らなかったらしいのは不思議である。林忠彦の写真で私がいちばん好きなのが、その、作家たちを撮ったシリーズなので、私はその中で若い頃の石川淳のポートレートを見てみたかった。林忠彦なら名作をものにできたはずである。これはいったいどういうことなのだろう。石川淳本人がそれを拒んでいたとも思えない。

不遜を承知で言えば、石川淳と向き合えるだけの写真家は、彼が若かった頃には現れなかったのだろうか。ただ、そのおかげで、我々には、柔和な笑顔の老賢人としての石川淳のポートレートがたくさん残されている。これも写真の不思議なのかもしれない。

いずれにせよ、私にはよく分からないけれど、石川淳の作品と生涯は、どこか深いところで、写真の本質に触れるところがあるように思えてならないのだ。未完の絶筆「蛇の歌」を読み返すことで、私はふたたびその謎の前に立つことになった。

石川直樹が石川淳の孫である、ということはもちろん私も知っている。そして、石川直樹は私が尊敬する写真家のひとりである。

繰り返しになるけれど、石川淳は生きることを豊かに励ましてくれる。アナーキーに人生を全うするのは大変なことではあるけれど、それはとんでもなく愉しいことでもあるのだよ、と私に教えてくれる。

それは私にとって、写真の謎にさらに深く分け入ってゆく誘いになるのかもしれない。深い森の入り口に、私はようやくたどり着いたような気がする。生きる歓び、生きる希望とはこういうことなのだろうか。

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