せっかくの新年お正月なので、縁起でもない話から始めたい。あの世とは何だろうか。
我々が死んだ後におもむく場所、あるいは生まれる前に住んでいた場所、先に死んでしまったひとと再会できる場所。でも、それは目に見えないし、その存在を立証することもできない。でも、我々は何万年もの間、それが存在することを前提に生き続けてきた。あの世なんか無い、と断言すること自体、その存在を認めていることになるような気がする。あの世は目に見えないものなのだから、それが信じられないのなら、わざわざそんなものに言及する必要は無いはずなのだ。
それでも、この世での行いによって、天国とか地獄とか、あの世の行き先が変わるというのもずいぶんおかしな話ではないか、と私は思う。もしそうならば、あの世はあの世ではなくて、生きている間にはたどり着けないこの世の一部である、ということになるのではないか。
以前も私は書いたことがあるけれど、天国なんて長くいると退屈で気が狂うだろうから、天国は長くいると地獄に変わる。そして、この世よりひどい地獄が存在するとも私には思えない。我々が思い描いてきた地獄は、すべてこの世がモデルになっているし、地獄の責め苦はすべて、今までの我々の歴史で行われてきた所業である。だから、天国も地獄も我々の心の中にあるということになる。天使も悪魔も我々自身であるということになる。
死後の世界にこの世での因果応報を持ち込んだのは間違いではないのか、という気がする。それは、権力者には都合のよい思想であるし、怠惰に生きる連中には何らかの効力を持つのかもしれない。でも、そんなものが無くとも、我々はいさぎよく生きてゆくことができるように私は思う。報いを求めて行う善行は善行ではないし、悪行はあの世を持ち出さなくとも、この世でその報いがある。それで不充分だと言うのなら、その原因は、この宇宙の不完全さに求められるべきである。
縄文人は、死者はすべて山に帰っていって、いつかまた我々のもとに生まれ変わると考えていたらしい、と私は聞いたことがある。死後の裁きやら天国と地獄なんてものを持ち出すよりも、縄文人のこの考え方の方が、ずっとシンプルでさわやかで暖かいと私は思う。これは、「あの世」を持ち出さなくとも、「この世」だけで完結している幸せな思想ではないのだろうか。その後の歴史のどこかで我々は間違えたのかもしれない。
「あの世」は「この世」とは完全に切り離された世界でなければならない。それならば、この世に生きる我々が「あの世」の存在を確かめる方法は皆無であるということになる。だから、我々は「あの世」は無い、と言うしかなくなる。存在を確かめることができないものは「無い」というより仕方が無いだろう。
それでも不思議なのは、あるはずの無いものの存在を想定しなければ、この世の現象がうまく説明できない場合がある、ということである。たとえば、二乗するとマイナスになる数なんてあるわけは無いのだけれど、その、虚数というものの存在を想定しないと数学は成り立たない。数学ばかりでなくて、虚数が無ければ量子物理学も成り立たないから、パソコンもスマホも使えないということになってしまう。物理学による宇宙論にも虚数が出てくる。
あり得ないものの存在がこの世を支えている。「虚数」の原語は「想像上の数」という意味らしいけれど、そんな想像上の存在がこの世を支えているらしい。
「あの世」というのもそんなものなのだろうか。それならば、やはり、因果応報でこの世とつながっている卑小な「あの世」におびえて生きるよりも、その存在を立証できない、「この世」と完全に切り離された、「あの世」に思いをめぐらせて生きるほうがさわやかではないか、と私は思う。それは「あの世」と言うよりも「無」と呼んだ方がよいのかもしれない。
「無」は虚無とは違う。「無」は自由なのだから、そこにはあらゆる可能性が存在できる。そこに天国を描くのも夢を描くのも、死者との再会を望むのも自由なのである。
だから、罰を与える神、信じる者しか救わない神、我々はもう、そんなものの相手をしている場合ではないだろう。「神様の賞味期限が切れた」と私はどこかで聞いたことがある。
no hell below us above us only sky というジョン・レノンの歌、あるいは「みろよ青い空、白い雲、そのうちなんとかなるだろう」というクレイジー・キャッツの歌、宇宙の真理はおそらくこのへんにあるように私は思う。
喜劇は悲劇を呑みこんでしまう、ということも忘れずにいたい。この宇宙の本質は喜劇である、ということになるらしい。結局、我々は笑顔を忘れずに生きてゆければそれでよいのだろう。
「ホラも吹かなきゃホコリも立てず いびきもかかなきゃねごとも云わず ボソボソ暮らしても世の中ァ同じ」という歌もあった。そして、この、乱世としか言いようの無い年の初めに、「生きてゐるただそれだけで爽やかに」という無名の作者による俳句を思い出しておきたい。