今から三十年以上前、朝倉喬司氏という作家が毎日新聞に発表されていた回想風のエッセイを私は思い出している。それは「若い日の私」というタイトルで、各界の著名人が寄稿する連載だった。
そこでは青年時代の朝倉氏が、アルバイトで作った資金を頼りに、何のつても無い、当時は紛争地帯であった東南アジアを歩いた時の話が語られていた。それは当時の私にも強い印象を与えた。失礼ながら私は朝倉氏の本を読んだことは無いのだけれど、この文章は、まさに「若い日の私」を暖かく挑発してくれたと思う。
そのことについて語り始めるときりが無い。今、朝倉氏の文章からひとつだけ語るとするならば、この文を引用させていただく。「私にすれば、戦争という異常事が、あのようにさり気なく日常にセットされうるものだということが大発見だった。」そして、朝倉氏は、戦争は生活の延長のようにみえた、と書いておられる。
いったい日常とは何だろうか。今さらながら私はそう思う。この、平凡で退屈な繰り返しとしか思えない日常。多くのひとが時折の休日をはさんで出勤し登校する日常。でも、それは実際に爆弾が降って来たり銃弾が飛び交う、血なまぐさい戦争とも共存してしまうものらしい。八十年前の日本だって、戦争は日常の中にあった。実に間抜けなことだけれど、それを私はすっかり忘れていた。
ユーラシア大陸のかなたで続いている戦争がいつ、どんなふうに終わるのか、それがこの文章を書いている今はまるで見通せない。それがもしかしたら核戦争に進展する可能性もゼロではないし、近い将来、この戦争が日本の近辺に飛び火する可能性もゼロではない。
戦争はいつでもある。国と国との戦いだけが戦争ではない。平和な世の中であっても、不条理な苦しみはいつでも当たり前にそのへんにころがっている。誰もがそれをかいくぐって生き続けている。こうして今も私が生きているのは、ただ運がよかっただけなのかもしれない。そして何よりも、たくさんのひとがいろんな形で私を助け導いてくれたおかげである。朝倉氏の文章もそのひとつだ。自分の努力のせいで今の私がある、そんな傲慢な考え方を私はしたくない。
この、今のところは平穏に見える日常というものを、他人は何だと思っているのだろう。日常という、ぬらりひょんのような妖怪について、我々は余りにも鈍感で無防備で傲慢ではないのか。私にはそう思える。
たとえば、大きなスーパーで買い物をしていると、そんな日常にどっぷりと漬かった怠惰な連中をたくさん目にすることができる。戦争が有ろうが無かろうが、これなら日本が滅びるのは間違いない。私はいつもそう思う。もちろん、そんな連中だけがスーパーで買い物をしているわけではない。そのくらいのことは私も知っている。
街頭スナップを続けていると、そんな感覚が研ぎ澄まされてくるように私は思う。もう二十年以上前、パリの街路を撮り歩いた時、通り過ぎるひとびとの誰もが美しく引き締まっていて、それが私にはとても魅力的だった。私は夢中でシャッターを押し続けた。
でも、その感覚は日本では求めようが無いことを帰国してから私は知った。日本の町角で、通り魔やテロが横行する理由が私なりに理解できた。無防備で怠惰なのである。
そして今、ひさしぶりにマニュアルのカメラを持って、コロナで寂しくなった町を歩いてみると、マスクをしたひとたちが、まるで人形のように私の前を通り過ぎてゆく。その写真はいずれお見せできると思うけれど、いったい私が撮ったこの写真は何を語ることになるのだろう。それがまだ分からない。
そんなふうに日常を生きることができるのは、スナップ写真家の特権かもしれない。他人があまり感じないらしい「おびえ」が私にはいつもつきまとう。でも、それに負けない気力があれば、この、ぬらりひょんのような日常に負けることは無いだろう。私はそう思っている。
すべてはつながっている。だから、そんな日常を生きるためには、あらゆる知識が必要になる。ひとりの人間の経験なんてささやかなものだけれど、その経験のすべてがこの日常を生きるための助けになる。
近い将来、我々の日常にも戦争がやって来るのかもしれない。戦争が無くとも、何らかの天変地異がまたしても我々を訪れるのは間違い無い。写真が、そんな得体の知れない日常を生きる力になる。そこに、ささやかではあっても歓びも隠されていることを私は信じたい。
それにしても、果てしなく繰り返される、この平凡な日常とはいったい何なのだろう。それに耐えられずに老いて死んでゆく、我々とはいったい何者なのだろう。生きることにこれほど多くの慰めを必要とする日常。誰もそこから逃れることはできない。
もしかしたら、人間が戦争なんて愚行を止められない理由もそこにあるのだろうか。私にはまるで分からない。それでも、季節は進んで、今、初夏を迎えようとしている。