二〇二二年になった。二〇二二年なんて少年の頃の私にとって、本当に遠い未来でしかなかった。それがどんな世の中になっているのか、私がそこでどんなふうに生きているのか、そんなことは想像することもできなかった。二〇二二年なんてSFの世界でしかなかったと思う。
そして今、こんな世の中になるなんて私はまったく思っていなかったけれど、それでも私は健康なまま、こうして平然と生きている。そのことが不思議に思えて仕方が無い。人間というのはしぶとい生き物だと今さらながら私は思う。
それでも私が少年の頃、未来は素晴らしいものになるだろう、という雰囲気が世の中にただよっていたのは確かだと思う。それはいつのまにかすべて打ち消されてしまったけれど、それでも今を生きるのが楽しくないわけではない。過度に悲観することなく今を生きることは可能である。長い時間をかけて、私はそのことだけを学んだような気がする。
下り坂の世の中も悪くない。私はようやくそう思うことができるようになった。これから人口が急激に減り始めるし、おそらくあと数十年のうちに、これは世界中で始まることになる。それも悪くないような気がする。
再生可能エネルギーだけで我々が今の暮らしを維持することは不可能であるし、地下資源を使えなくなったところで今の文明は崩壊する。それは自明のことであるはずなのに、これを公言するひとがまるで見当たらないのはどういうわけなのだろう。その貴重な地下資源を、我々は浪費したり殺し合い用に使ったりしている。本当にどうしようもない。
人間が月に行ってからもう五十年が過ぎたのに、それ以来、誰も月に行ったひとはいない。火星に人間が定住することは無理にしても、今、月に研究所のひとつくらいは出来ていてもよい頃ではないだろうか。その程度の技術なら我々は充分に持っているはずだと私は推測する。ところが、その気配はまったく無い。可能なことを実現できない。これは極めて異常なことのように私には思える。
その代わり、予測していなかったほどの速さでコンピュータのネットワークが完成して、我々はその中で暮らすことになった。人間が内向きになったのだと思う。
すでに我々は中世に逆戻りしているような気がする。新しいものはもう何も生まれない。これからずっと、便利だけれども退屈でのっぺりとした世の中が続くのだと思う。災害が次々に起こって、世界がしだいに縮んでゆく。
それでもよいではないか、と私は無責任に思う。ただ、この期に及んで、いまだに制度や世の中を信じてそれに縛られた生き方をしているやつらが私には信じられない。自分だけは安心だと連中は本気で信じているのだろうか。それとも、ずっとそんな生き方をしていると、そんなことさえも分からなくなってしまうのだろうか。配達が終わった年賀状を見ながら私はそんなことを考えている。食えなくなる経験をしないと、何も分からないのかもしれない。もう私の知ったことではないけれどね。
北斎やわらさんからは「やることが多すぎて時間が足りない。やりたいことが多すぎる」というお便りが届いた。これが正しい生き方なのだと私は改めて感服している。
瀬戸内寂聴さんや笹本恒子さんがよいお手本だと思うけれど、人間はどうやら百歳くらいまでは創作活動を続ける能力があるみたいだ。ならば、時間が足りないことをそんなに恐れる必要も無いのではないか、と私は思う。やわらさんのような気持ちを抱きながらどん欲に生きていれば、きっとよい人生が送れるのだと思う。有限の人生の中で、時間が止まって永遠を生きる。それが可能になるのだと思う。
私もやることが多すぎる。だから死ぬことを恐れる暇が無い。死後の世界も生まれ変わりも私は信じていないから、死んでしまえば私の意識は完全に消滅してしまうのだと思っている。だから、死について考えることも生きているうちにしかできないのである。死を恐れる暇は無いけれど、死について考えるのは不思議な快楽である。それが楽しく生きるための力になる。
祖母と母の死に顔を見た私は、死を恐れる必要が無いことをその時に知った。恐れるべきは、与えられた時間を充分に生きなかったことである。これも当たり前のことである。でも、この「当たり前」を生きていないやつらがいかに多いことか。私はもうそんな連中にかかわっている暇が無い。
この文章を書き終えれば明日がやって来る。当たり前のことではあるけれど、生きている限り毎日は繰り返される。ペンを置いて(キーボードを叩くのをやめて)私はまた生き続ける。生きていることを確認するために、私はひと月後にはまたこうしてキーボードの前に帰ってくる。その間には「生活」がある。その中には写真も含まれている。生きるのは、もしかしたら愉しいことなのかもしれない。ああ、私もやることが多すぎる。でも、幸せとはこんなことを言うのかもしれない。