盛岡から上田へ、その前に小さな旅

「東京光画館」でもお知らせしたことだけれど、今年も毎年恒例の私の小写真展を無事に終えることができた。十月の一か月間、岩手県盛岡市にある行きつけの写真店の展示スペースに、モノクロームの六ツ切プリント十八枚を展示した。昨年暮れからこの春にかけて撮った盛岡市内のスナップ写真である。

この場所は写真店の一角だから、いろんなひとが訪れる。私はほとんど会場にいない。それでも、休日には時々、私も顔を出していたので、お店に入って来るひとがどんな反応を示すものなのか、何食わぬ顔をして横から観察していた。

展示の前を通りかかったひとは必ず写真に目をとめてくれる。それが私には驚きだった。昨年までとお客さんの反応が違うのである。昨年まで、つまりカラー写真の展示、あるいはモノクロームでも外国の写真を飾った時はそうではなかった。昨年までは、見てくれるひとは熱心に見てくれたのだけど、そうでないひとは見向きもしないで写真の前を通り過ぎていた。

写真店の店員さんの話では、私がいない間もそうだった、とのことである。ただ、熱心に見てくれるひとは多いけれど、ノートに感想を書いてくれるひとは少ない。でも、店員さんに何かしら感想を話してくれるひとはいる、とのことだった。そのかわり、会場に置いたノートに残された書き込みの内容はとても濃密である。これはもちろんとても嬉しいことだけれど、そんな感想を書き残してくれたひとの顔ぶれも以前とは少し違っている。

ノートに住所を書いて下さった方にはお礼状を出しておいたけれど、そんなわけで、こうして無事に展示を終えた私は、いい意味で戸惑っている。

自分が住んでいる町をモノクロームで撮って、それを作品に仕上げて、同じ町で時間を措かずに展示する。実はそれはいちばん難しいことである。「写真なんて近所を撮ればいいんだよ」と言ったのは天才アラーキーだけれど、それを第一級の作品に仕上げるのはまさに天才のわざである。自分でやってみて、その難しさと楽しさがよく分かった。

それを少しでもできるようになってきたのはとても嬉しいことだけれど、この、お客さんの今までとは違う反応は、そのご褒美なのだろうか。

あるいは別の考え方もできる。もしかしたら、盛岡のひとは、自分たちが素敵な町に住んでいる、という自覚はあるのだけれど、それをうまく表現できていないのかもしれない。それを私が写真にしてあげると、「いいとも」という感じで反応してくれるのだろうか。盛岡のひとは、そのへんが不器用なような気がする。私は盛岡の生まれだけど、いい歳になるまでずっと他県で暮らしてきたので、かえってそんなところがよく見えるのかもしれない。比べるのは僭越だけれど、石川啄木も宮沢賢治も、ずっと盛岡で暮らしたひとではなかった。

そして、あえて言わせてもらえば、盛岡のひとは感受性が保守的なのかもしれない。これは盛岡市内で商売をしている知人の意見なのだけれど、盛岡のひとはアバンギャルドなものや自分の知らないものにあまり興味を示さない。だから地元の写真が受けるんだ、ということである。

この意見に私は納得する。これが県民性とか市民性というものなのだろうか。前にも書いたことがあるけれど、盛岡のひとはおおらかにいろんなものを受け入れる度量の広さを持っているけれど、保守的で閉鎖的で冒険を好まない。それは私にも分かる。

だから、私は盛岡が好きだけれど、息苦しくてきゅうくつに感じられることも少なくない。そんな時、私は背筋を伸ばして絶叫したくなるのだ。

田舎町なんてみんなそんなものだよ、と言われてしまいそうだけれど、私が盛岡にもどって来る前に十年も住んでいた長野県上田市はそれとはまったく違っていた。上田ほどよそ者に寛容な町を私は他に知らない。それなのに、町の雰囲気は盛岡に似ていて、それで私は上田が大好きになって十年も住んでいたのだった。

上田は山あいの小さな町なのに、どうしてこんなに開けていて、それなりに洗練されているんですか、と私は上田でお世話になった恩人に質問してみたことがある。

おかいこさんのおかげなのよ、というのがその答えだった。養蚕が盛んだった上田は、幕末の頃から横浜と直接につながっていたので、モダンなものが早くから入ってきていたのだそうだ。明治の初めには、上田に写真館があったらしい。そして、上田には日本でひとつだけの、養蚕業の学校があったから、そこに入るために日本中からいろんなひとが集まって来ていたのよ、ということである。

そんなふうに、町にはその大小にかかわらず、それぞれに個性がある。あえて言わせてもらえば、盛岡のひとは、自身を他者の視線で眺めることに慣れていないのではないか。私はそう思うことがある。

それにしても、コロナやら何やらで、元号が令和になってから、私はまだ上田に帰省していない。「帰省」というのも変な言い方かもしれないけれど、上田駅に降り立つと、いつも私は「ああ、帰ってきた」と思うので、これはやはり帰省なのである。

だから、上田が恋しい。上田でもまた写真を撮りまくりたい。上田はゆるやかに変わってゆく町なので、私はいつでも安心して帰ることができる。だから、いつまでも大切に思っていられるのである。私が上田を好きな理由のひとつがそれだ。まあ、それは盛岡も同じなのだけれど。

それにしても、上田に限らず、私はもう三年近く、岩手県から一歩も出ていない。新幹線にも乗っていない。これはまさに驚天動地の出来事である。こんなことが起こるなんて本当に信じられない。

それでも、この文章を書き終える頃、私は本当にひさしぶりに、ささやかな旅をすることができると思う。

遠い場所の空気を吸いたい。その景色を眺めたい。その思いがこんなに切実なのは、こうして自分なりに、「私の町」、つまり盛岡を写しているからなのだろう。愛憎紙一重、とはこんなことを言うのだろうか。

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