三次元の写真、四次元の写真

おかげ様で今年も私の小写真展を開催することができた。昨年の暮れから、マニュアルのフィルム一眼レフとモノクロフィルムを使って撮り始めた盛岡市内のスナップから十八点を選んで展示してみた。皆様の感想を聞くのは、おそらくこの文章を書き終えてからのことになる。

私が撮った写真の群れが、今、ようやく何かを語ろうとしている。僭越かもしれないけれど、展示作業を終えて私はそう思った。

一枚の写真が語るのとはまったく別のことを、この写真の群れが、本当に小さな声ではあるけれど、まるで言葉を話し始める幼児のように、懸命にささやこうとしている。そんな気がする。

もちろん、写真家として、これはとても嬉しいことである。けれども、殻を割って出てくるひな鳥のように、とにかくこの世界で声を発したい、それだけがこの写真の群れの意思なのだから、いったい何を話そうとしているのか、それは私にもまだ分からない。

これは写真家として、私はまだそんな幼児のようなレベルなのだ、ということでもあるのだけれど、今の私はそれを大切にしなければならない。それでも、私はそんな初々しい声を聞くことができる。それがとても嬉しい。これは誰もが経験できることではないのだ。

以前読んだ新宮一成著「夢分析」という本を私は思い出した。誰もが一度はみる空を飛ぶ夢は、言葉を話せるようになったことで人間になった喜びを表現しているのだ、というようなことが書いてあった。赤ん坊にとって、自分の頭上、つまり空を飛びかう言葉をものにする、ということは自分が空を飛べるようになったことと同じだ、というようなことがそこに書いてあったと思う。

一枚の写真は、いくら優れていてもそれは点でしかない。それが積み重なってゆくことで線になり、その線が幅を持つことで面になる。その面が立ち上がることで写真は三次元の立体になる。この時、写真はようやく自らの意思で言葉を語り始めるのだと私は思う。そして、達人と言われる写真家の「立体」は、時間を経ることによって、より自由で豊かな四次元の構造を獲得することになる。

私はまだそんな四次元を夢みることしかできないけれど、人生もおそらく半ばを過ぎて、私の写真の群れはようやく三次元の構造を取ろうとしている。そして、何かをささやき始めている。

これはとても嬉しいことだけれど、ここまでたどり着くのにこんなに時間がかかってしまったのは、私の写真家としての力量とは関係無いことなのではないか、とも思う。写真に限らず、表現とはそういうものなのだろう、という気がする。

このことに気づいて、自分の写真の群れが何かをささやき始めていることを自覚すると、この世界が変わる。夢の中で空を飛ぶ感動、幼い頃に言葉を話せるようになった時の感動、それと同じなのだと思う。

私の写真の群れが発する声は、たくさんのひとにはまだ届かないかもしれない。あまりにもささやかな声を聞くことができるひとは、それほど多くないかもしれない。けれども、それは誰かのもとには必ず届く。そのことによって私が、世界が少しずつ変わってゆく。何かがリセットされてゆく。これこそが写真の力、写真の歓びではないのか。

何度も繰り返すけれど、写真がそれ自身の言葉を語り始めた。作者の私は、それに向かって写真を撮り続けるだけである。

もちろん、これはたくさんのひとの暖かい助力のおかげでできることである。表現を展開してゆくにはたくさんのひとたちの支えが必要になる。三次元の構造を獲得した写真は、もはや作者ひとりのものではないのだ。

この、三次元の構造を取り始めた私の写真が、たくさんのひとと歓びを交わして成長してゆくことができるように、そして、私の人生が続いているうちに、それが時間を味方につけて、四次元の自由で豊かな構造を取ることができるように、そんな遠い目標を私はかすかに見ることができる。

私の写真の群れを本の形にしてくれているあのひとに、私は特段の感謝をささげたい。もちろん、北斎やわらさんを始めとする「東京光画館」の皆様にも。

「もう一度、飛ばなくてはならない。そのたびに、いちばん初めの跳躍が思いだされることになる。」これはここで挙げた「夢分析」という本に出てくる言葉である。

正直に言って、まだ心細くて怖いけれど、私はまた飛ばなくてはならない。でも、それは歓びに満ちているということを私は知っている。そして、たくさんのひとが私を見守ってくれていることも知っている。深い青空を見上げる時のあの気持ちが、また私に帰ってきた。

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