百年前の音楽が教えてくれること

二〇二〇年という年が、以前から私にはまったく想像できなかった。二〇一九年までなら、今まで私が生きてきた延長線上に考えることができるのだけれど、それが二〇二〇年にはすべて無効になってしまうのではないか。私はずっとそんな予感につきまとわれて生きてきたような気がする。だから、その先のことは、まったく見当がつかなかった。

それでも私はその年を踏み越えて生きてゆくだろう。そんなふてぶてしい、へんな自信だけは変わらずにあったので、二〇二〇年には何か思いがけない試練がやってくるのではないか。そんなことを私はぼんやり予感していたのかもしれない。

だから、二〇二〇年に東京でオリンピックが開かれることが決まった時、空騒ぎをあおる連中が私はとても嫌だった。空騒ぎが明るく広まるほど、試練は厳しくなるだろう。「滅亡近い平家はその故に明るい」という言葉を私はその頃に知った。天皇が二〇一九年に退位して平成が終わることが決まった時も、私はそれを思い出していた。

そして、二〇二〇年が明けると同時にコロナ騒ぎが始まった。予想できなかった試練が本当にやってきたのである。

それから一年が過ぎて、コロナは収まる気配が見えないけれど、ワクチン接種が始まり、それでもオリンピックは強行開催されることになって、この、スペイン風邪以来百年ぶりの試練の様相が、私にも少しは見えてくるようになった。つまり、今までまったく見通しが立たなかった二〇二〇年以降のことが、少しは想像できるようになってきたのである。

気がつけば、二十一世紀が始まって二十年が過ぎた。二十一世紀のすでに五分の一を我々は生きてきたことになる。これで、二十一世紀を考える要素はすべて出尽くしたのではないか。私はそんな気がする。ふり返ってみると、百年前の一九二一年には二十世紀を考える要素はすでに出尽くしていた。私にはそんなふうに思えるからだ。

それと関係があるのかどうか分からないけれど、最近私は一九二〇年代に録音されたジャズの古典、若い頃のルイ・アームストロングやビックス・バイダーベック、あるいはベッシー・スミスのレコードをよく聴いている。一九二〇年代のアメリカは空前の好景気で、二〇二〇年代とはまったく違う時代なのだけれど、九十年百年という時間の意味が以前よりも強く感じられるような気がして、もともと好きだった音楽にさらに深みが出てきたように思う。音楽だけでなくて、当時の彼ら彼女らのポートレートも神々しくてとても美しい。

この、百年近く前の音楽が、具体的な何かを私に教えてくれるわけではない。それでも百年後の今、まったく予測することもできなかった世の中になっている今を、ささやかであっても楽しく生きてゆくことはできるんだよ、そんな声がここから聞こえてくるような気がする。これは、懐古趣味にひたるための音楽ではないのだ。

想像もつかなかった時代になったとしても、私は今までどおり生きてゆけばそれでよい。何を恐れる必要も無い。そんな当たり前のことを古い音楽が教えてくれる。

まったく個人的なことだけれど、私は最近、もう何十年も前に過ぎてしまった古い思い出、初めて自分で働いて生計を立てるようになった頃のことを、思い出として完結させて縁を切るために、ずいぶんときつい思いを続けてきたと思う。夜の夢みも朝の目覚めも、そのおかげであまり快適ではなかった。それでも、これを今やっておかなければ、古い思い出がいつまでも成仏せずに、たたり続けることが私にはよく分かっていた。

それは本当に大変だったけれど、何とかそれをなし遂げてしまうと、この、想像もつかなかった二〇二〇年以降を生きるのが少しは楽になるように思う。

結局、これまでどおり私は生き続ける。もちろん、私のまわりにあるものにカメラを向け、写真を撮りながら私は生き続ける。世の中とつながった「個」として生きることが私の最大の歓びであるし、写真がそれを支えてくれる。そして、古い音楽が、また何か新しい示唆を私に与えてくれることになるのだろう。

ところで、あと数年もすれば、日本は田舎だけでなくて、東京のような大都会でも急激に人口が減り始める、とのことである。人間に限らず、生き物はやたらに個体数が多いと正気を失うものではないのだろうか。私はそう思う。

ただ、この急激な人口減少が止まらなければ、あと二百年足らずで日本人は絶滅する、ということになるらしい。けれども、我々が少しずつ正気に返ってゆくのであれば、無責任だけど、それでもよいではないか、という気もする。衰退する、というのは、もしかしたら正気に返る、ということなのかもしれない。そんな世の中で、柔軟な「個」として生きて、写真を撮りながら、音楽を聴き続けながら、歳を重ねてゆけたら私は幸せだと思う。

[ BACK TO HOME ]