明るい滅びの歌

昨年末、この年末年始には強烈な寒波がやって来る、という予報が出た。その予報どおり、年末には盛岡でも吹雪になって、まるで二月のような寒さになった。その雪が凍る前に私も雪かきをした。それでも、この寒波が来る直前にはひさしぶりに冬晴れになったので、私は大物の洗濯をしたり大掃除をしたりして過ごした。世の中に異変が起こっても、こんなふうに年末年始はきちんとやって来る。

そんなひさしぶりの冬晴れの青空を見ていると、この非常事態に、いつの間にかそれなりに適応している自分に気がついて、私は今さらながら驚いたりする。たった一年で様変わりしてしまった世の中で、自分なりにしんどい思いをしながらも、こうして私は生き続けている。それがとても不思議に思える。非日常の中にも日常はきちんと存在する。それはしぶとくしなやかに続いてゆく。そのことを私はこの一年で学んだのだと思う。

今までの日常の中では見えなかったものが、この一年で少しずつ見えるようになってきた。それは、この一年を生き延びたことに対する、天からのごほうびなのかもしれない。未来を思いわずらうから人間は心を病む。キリストも釈尊も、明日を思いわずらうな、今日を精一杯生きろ、と教えていたことが私にも分かる。

そんな気持ちで自分や世の中を眺めてみると、遠い未来のことがかえってよく見えてくるような気がする。二十一世紀になって何事も急速に便利になって、それにつれて世の中が行き詰まって乱れてきた。これを少し離れたところから考えるひとが極めて少ないように私には思える。

もしかしたら、それはひとりひとりが静かに考え続けるべきことであって、今はまだおおやけに語るべきことではない、ということなのかもしれない。この一年の日本の政治家の右往左往を見ていると私はそんな気持ちになる。連中だって未来のことなんか何も考えていない、ということがこれでよく分かった。ならば、今日を精一杯に生きることで、ひとりひとりに未来が少しずつ見えてくるのだろう。そんな今という時代は案外まともなのかもしれない。

今から二十年と少し前、つまり世紀末に出た本に、「日本は第二の応仁の乱の時代を迎えている」という意見があったのを私はよく憶えている。今から四百五十年前に起こった応仁の乱によって日本は乱世に突入して、その結果、日本のすべてが変わった、ということである。別の本には「乱世にはろくな指導者が出ない」ともあった。

手許にある日本史の年表を見ると、応仁の乱を発端として戦国時代が始まって、織田信長や豊臣秀吉を経て徳川幕府が成立して、大坂夏の陣を経て最後の内乱である島原の乱が終わるまで、百五十年以上の時間がかかっている。

もしかすると、二十一世紀のこの乱世も、終息するまでにはそのくらいの時間が必要になるのかもしれない。今、生きているひとは誰もそれを見届けることはできないのかもしれない。その間に、人口は急激に減少して温暖化が進んで資源が枯渇して、次々に天災がやって来ることになるのだろう。つまり、下り坂の世の中というよりも、やって来るのは滅びの世の中なのだと私は思っている。

だからといって、暗くふさぎこんでしまうのに私はもう飽きてしまったし、そこから目をそむけてバーチャルワールドにうつつを抜かしていても仕方が無い。

その現実を見据えながら、明るい滅びの歌を歌うこと。何も信じられるものは無いことをわきまえながら、それでもひとの笑顔と善意を信じること。そして、安泰に見えるような、制度に縛られた生き方をしないこと。あるいは、質素の中にぜいたくを見いだすこと。孤独の中に連帯を発見すること。

結局、私はこれまでどおりでよいのだ、という結論に達する。そのことにしなやかな自信を持っていい、という確信が新たに加わる。そんな私に、どんな「明るい滅びの歌」が歌えるのだろうか。写真や文章だけではなくて、私の生活そのものがそんな「明るい滅びの歌」になってくれると快適なような気がする。それは、この時代に生きていなければ不可能なことである。これからが楽しみなような気がしないでもない。そして、季節は厳冬を経て、いずれ春がやって来る。

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