「岩手抗体」と「巣ごもり」

たった半年も経たないうちに、世の中はこんなに変わってしまうのだな、と思っているのはもちろん私だけではないのだろう。それでも季節はめぐって初夏を迎える。梅雨になって湿気が出るとウイルスの勢いは弱まるのではないか、という見解があったけれど、どうなるものやら私にはまるで分からない。

これを書いている今、私が住んでいる岩手県では全国で唯一、新型肺炎の感染者が確認されていない。それでも町は不気味に静まりかえっている。ただ、長野県の友人から「岩手県民がコロナに強えのは納豆をたくさん食ってるからだって言うけどほんとかい」という電話がかかってきた。こんなことがあると、世の中というのは捨てたもんじゃない、という気持ちになって嬉しい。別の友人は「コロナに対して「岩手抗体」なるものが存在する、とうわさされている」と教えてくれた。関係無い話だけれど、岩手県には原子力発電所も存在しない。

岩手県というのは広くて人間が少なくて、その住人もあまり甘言に惑わされることが無いまじめな頑固者ということになるのかもしれない。派手なお祭り騒ぎもあまり好きではないみたいだ。私自身、その律儀なマジメさが嫌になることも無くは無いけれど、それでもこうして岩手県に住み続けている。この県民性は、こんな時には吉と出るのかもしれない。私は岩手で生まれたとは言え、いい歳になるまでずっと他県で暮らしてきたので、この県民性を外側から見ることができるような気がする。余談ながら、このことは私の写真にも反映されているのだろうと思う。

宮沢賢治も石川啄木も、あるいは「遠野物語」の佐々木喜善も、決して故郷の岩手を手放しで愛していたわけではなかったらしい。彼らが感じていたであろう不思議な気配を、私もいくらかは感じ取ることができるけれど、それにもかかわらず、岩手県民の感受性は妙におおらか、悪く言えば節操が無いところがあると思う。律儀で真面目なのに、清濁あわせ飲んで、しかも潔癖である。なかなか不思議だ。

田舎くさいものも都会的なものも等しく受け入れて評価してしまう。写真で言えば、土門拳も森山大道も篠山紀信も等しく受け入れて評価する。私はそんな岩手県民の感受性をとてもありがたく思ってはいるのだけれど、それでも、時々不気味になって逃げ出したくなることがある。そして、向上心が強いひとが多いし親分肌のひともここにはたくさんいる。岩手県から総理大臣がたくさん出る理由がこんなところにもあるような気がする。岩手県にもどって来るまで私が住んでいた長野県とはだいぶ気配が異なる。

話がずれてしまったけれど、そんな私から見ると、今までの世の中はせっかちに過ぎたのではないか、という気がしてならない。中国の内陸で発生したウイルスが半年も経たないうちに世界中に広まって何十万人も死んでしまうなんて想像を絶する。せっかちで便利すぎる。その反動ではないのか。

そんな世の中を支えるために、資源を浪費して廃棄物を垂れ流して、たくさんの人間を低賃金でこき使って、あげくの果てにノイローゼやらひきこもりを大量に発生させている。今さら言うのもどうかと思うけれど、我々は狂っている。何事につけても、人間が作り出したものが人間の能力を越えてしまって、それに踊らされている。それに我々はようやく気がつきつつあるのかもしれない。

とりあえず今を生き延びることができれば、いずれ我々は免疫を獲得して、この感染症は今ほど恐ろしいものではなくなるはずだ。それがいつになるのかは分からないけれど、その時は、もしかしたら今までよりはいくらかまともな世の中になるのではないか、という気がしないでもない。少なくとも、こんなにせっかちで便利すぎる世の中はもう維持できないだろう。

マジメもほどほどに、という言葉を私は思い出す。こんなにも豊かで、しかも健康に留意すれば誰でも長生きできる世の中なのに、どうして我々はこんなにせっかちにワンパターンにしか生きられないのだろう。それが私には不思議でならない。お金だってそんなに信用できるものではない、ということくらい誰でも知っているだろう。今の世の中を維持している地下資源だって、いずれは今ほどには使えなくなるはずだ。

この巣ごもり生活の間、私は旅に出ることも無く、いつもの日常生活を続けながら、庭仕事をしたり長い小説を読んだり次の写真集のレイアウトをしたりして過ごしていた。桜の季節をはさんで私はいろんなことを考えたと思う。こんなに身体が疲れていたのか、ということも実感した。いつのまにか、我々はとんでもなく不自由になって疲れ果てていたのだと思う。

長い小説を読むたびに私は思うのだけれど、ひと昔前までのひとたちは、今よりも寿命が短かったのに、さほど年齢を気にすることもなく、我々よりもずっと自由にのんびり、しかも楽しく生きていたのではないだろうか。

思うように生きればよい。それは誰にでもできることである。文学が教えてくれる最大の教訓がそれなのかもしれない。「疲れたら休め」これは以前、北斎やわらさんが私に贈ってくれた忠告である。この文章が掲載される頃には盛岡にも初夏がやって来る。気を取り直して私は生き続けようと思う。

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