新型肺炎の大流行で世の中がますます変になっている。日を追うごとに事情が変わるので、この文章が掲載される頃には何がどうなっているのか私にはまるで分からない。それでも季節は春を迎えて、盛岡でも花がほころび始めた。行きつけの写真店の社長は「今年はひとがいない桜の景色が撮れますね」と言っている。どんな景色になるのだろう。私もカメラを持ってひと気の無い桜の下を歩いてみたい。「沈黙の春」という言葉を私は思い出す。
たまたま私は仕事に時間の余裕ができたので、今はゆっくり休ませてもらっている。ずいぶん疲れがたまっていたみたいで、数日間は身動きするのも難儀なくらいだった。それでも私は日常生活を普通にこなしているし、ようやく気力も体力も回復しつつある。
私はひきこもっているわけではないのだけれど、長い小説というのはこんな時のためにあるのではないか、という気がして、井上靖の「流沙」と村上春樹の「騎士団長殺し」をもういちど読み返している。 読み始めてから気がついたのだけど、このふたつの物語はどこかしら似ている。これは愛し合うカップルがささいなことで離れてしまって、それから長い紆余曲折を経てふたたび結ばれる物語である。どちらの物語にも、離れてしまったふたりに大事な示唆を与える友人が登場するし、おそらくはそれ以上に、自然や風土や絵画や音楽が彼らに大事なことを教える。そして、この世のものでない精霊やイデアが現れて彼らを導いてゆく。
目に見えるものだけが真実ではない。論理や因果律を越えた真実が存在する。そして、友人の思いが、死者の無言のざわめきが、我々に大事なことを教える。それはとても美しいものだろうと私は思うけれど、我々がそれを見出すためには、ふだんの日常に埋もれていてはいけないのだろう。今は非常時ではあるけれど、ありがたいことに私は時間の余裕に恵まれている。奇妙に静まり返った不穏な世の中には、そんな別世界の非日常に思いをはせることも許されるのかもしれない。
これが言霊(ことだま)の導きなのかもしれない。そして、言霊があるのなら、写真にだって魂がある。三回忌を済ませた母の葬儀の写真を整理して、私はそれを納得することになった。
ディスクに保管しておいたデータをようやく呼び出して、私はその中から四十枚くらいの写真を選んでみた。それを写真店に頼んで小さくプリントしてもらった。それを順にファイルに収めた。そして、母が倒れてから亡くなるまでに撮った、療養中の写真もそのファイルに一緒に整理した。
母の死に顔も、死に装束も、火葬場から出てきた全身のお骨も、頭蓋骨のクローズアップも克明に写してある。そんな写真を見直して選ぶのは大変な仕事である。
でも、これをやらなければ母に対する最後の義理が果たせない。息子として、写真家として、ささやかであるかもしれないけれど、これはどうしてもやらなければいけない仕事だった。そして、母の生前に撮った最後の写真と死に顔の写真を比べた時、私は「死」の谷底のような深みをかいま見たような気がした。それは「魂が抜けてゆく」としか表現できない落差だと思う。そのことをこんなにリアルに語ることができるのは、まさに写真の特権だと私は思う。
これはとても疲れる仕事であったけれど、その翌日、身体がずいぶん軽くなっているのに気がついて私は本当に驚いた。荷物をひとつ降ろした安心感かもしれない。これが写真にやどる魂かもしれない。
そして、私は二十年前にフランスで撮った写真で写真集をもう一冊作るつもりでいる。昨年はモノクロームの本を作ったけれど、カラーで撮った写真がそれと同じくらいたくさんある。撮影から二十年を経て、ようやくこの写真が意思を持って動き始めた。その意思を大切にして、ささやかな本をまとめたい。
昨年のモノクロームの写真集を作ってから、今まで経験したことの無い不思議なことが立て続けに私の身に起こっている。これから、もっともっと不思議なことが私を待っているのだと思う。写真の力が私を変えてゆく。そして、写真が新しいひととの出会いを私のために用意してくれる。
まずは、友人が忠告してくれた「ゆっくりじっくり」という言葉を忘れないようにしたい。今はこの「沈黙の春」の奥にあるものに耳を澄ませて生きてゆく時なのだと私は思う。そして、心身の健康と笑顔が何よりも大切な時である。そのことも忘れずにいたい。