写真という架け橋

新型肺炎の世界的流行とのことで世の中が変になっている。身近なところでも、たとえば日曜日に外を歩いてみても、まるでひと通りが少なくて町は閑散としている。この静かな欠落感は精神的に応える。そして、無理矢理に学校を休ませられている子どもたちに、あと何十年も経ってから、おかしな形でこの影響が出てくるのではないか、という気がして私は心配になる。観客を入れない大相撲の中継も実に不気味で、私はとても見る気になれない。

この空虚な気配は九年前、三陸の大地震と大津波の時と同じだと私は思う。世の中というのはいともたやすく非常事態になってしまう。それを我々はまたしても見せつけられている。みずからの無力を白日の下に晒されているようできつい。

あの大地震と大津波も三月に起こったことで、今年は記録的な暖冬だったとは言え、あの時と同じ陽射しが外の世界に降りそそいでいる。あの時、盛岡は内陸だから津波が来たわけではなかったし、町が破壊されたわけでもなかったのだけど、どうしようもない空虚な気配があったのを私は思い出す。それでもあの時は、無理に作ったものであったとしても、ひとびとに笑顔があったのが救いだった。今、マスクをしているひとばかりでは笑顔もよく分からない。友人のカメラマンは、ウイルスのような見えない敵が相手では笑顔を作ることができないのではないか、と言っている。

それでも、ジャズ喫茶とか、中古レコード店とか、銭湯とか、ベーカリーとか、常連さんで持っている店の客足はいつもと変わらない。そんなささやかな店こそがこんな時に強いということを私は知った。これこそが本当に必要とされている店なのである。そして、そんな店にいると外の空虚な気配を忘れることができる。それがとても有り難い。日常というのはこんなふうに維持されるものだということも私は知った。

そんなわけで、今はこの気配をなんとかやり過ごすしか私には手が無い。こんな時こそ、心身の健康を維持して笑顔で生きてゆくことが大事になる。

私がそう感じて生きてゆくことができるのも、写真を撮り続けているおかげなのだと思う。個人的にきついことがあったとしても、写真家というのはしなやかで強いものだと実感する。

今、私は図書館から「キャパとゲルダ」という本を借りてきてぱらぱらと読み続けている。これは、戦争写真家として名高いロバート・キャパと、彼の恋人で、やはり戦争写真家の道を歩んだゲルダ・タローの生涯を追ったドキュメンタリーである。

ふたりが出会って恋に落ちて、運命をともにする決心をすると、アンドレ・フリードマンとゲルタ・ポホリレは、それぞれロバート・キャパとゲルダ・タローに改名する。そして、ふたりとも戦争写真家の道を歩み始める。この改名は、ふたりがナチスのユダヤ人迫害から逃れるためでもあった、とのことだけれど、ひと組の恋人が写真家に転身してゆく様子が、その改名に鮮やかに示されているように私は思った。

彼女の「タロー」という新しい姓は、当時パリで交友のあった岡本太郎から取られたものだ、ということを私は別の本で知った。岡本太郎は後年、写真家としても活動している。その作品は高い評価を得ていて私も大好きだけれど、そこにはかつての友人(恋人?)だったタローへの追憶があったのだろうか。岡本太郎のベストセラー「自分の中に毒を持て」は私の愛読書のひとつで、そこには若き日に彼がパリで出会った恋人たちの思い出も語られているけれど、そこにタローの名前は出てこない。岡本太郎というひとは、きっと語れない思い出をたくさん抱えたひとだったのだろうと私は想像する。

結局、「タロー」という名前は三人の写真家を生んだ、と言えるのかもしれない。タローがいなければキャパも無かった、ということが「キャパとゲルダ」を読むと分かる。写真の不思議な力を私はここに見てしまう。それと並べるのが僭越であることは承知のうえで、それでも、私がささやかな写真を撮り続けていることに不思議な感慨を持つ。

ただ、不幸なことに、ゲルダ・タローはキャパよりも先に戦死してしまう。それを知ったキャパは心を閉ざしてしまって、結局誰とも結婚することは無く、十数年後にみずからも戦死してしまう。その直前、キャパは戦争写真家として最高の名誉と報酬を得ながらも、心はすさみ、写真を止めてしまいたい、とか「シャッターボタンを押すだけなんて、大の大人がやる仕事じゃない」とも口にしていた、ということである。これについて、私は何も言うことができない。

私は以前、キャパの展覧会を見たことがあった。そこで見たプリントの生々しさに圧倒されたことが今も忘れられない。本で見るのと生のプリントを見るのがこんなに違う写真家は、私は他にダイアン・アーバスしか知らない。ふたりとも悲劇的な最期をとげた写真家だけど、心の叫びがプリントににじみ出てくるということは、これほどの燃焼を写真家に強いるものなのだろうか。

写真がひとの間の不思議な架け橋になって、生命をかけた奇跡をひき起こす。でも、それは決して不幸な結果ばかりをもたらすものではないはずだ。そんな歓びを私もかいま見てみたい。そんな希望が私にはある。だから、私は何があろうともしぶとく優しく生き続ける。

この希望を前にすると、今、目の前に広がっている世の中の空虚な気配はかりそめのものにしか過ぎない、とも思えてくる。たとえささやかではあっても、これこそが写真家にとっての本物の希望なのだと私は思う。春の陽射しの中を歩くのが私は待ち遠しい。

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