未来

2020年が始まってひと月以上が過ぎた。いったい今はいつなんだろう。その答えはまさにひとそれぞれだと思う。相対性理論を持ち出すまでもなく、時間に絶対の基準は無いのだから、ひとは誰でも、ものごころがつき始めた少年時代を時間の起点にしているのだろう。そんな気がする。

私の少年時代、高度成長が終わってバブルが始まるまでの、おそらく日本がいちばん平和で豊かだった時代には、2020年なんて想像することもできない遠い未来だった。その頃は1999年でさえフィクションだったのだから仕方が無いだろう。

それでも、あの頃、未来というのはもっと明るく楽しくて、子孫に引き継ぐに値する、憧れのようなものだったと思えてならない。あの頃、こんな2020年を望んでいたひとは誰もいなかっただろう。

それでも、こうして私がなんとか2020年を生きてゆくことができるのは、少年時代に熱心に読んでいた筒井康隆や星新一や小松左京のSFのおかげなのだと思う。未来は決して明るくない。この三人はあの時代にそれを書き続けていた。あの三人が予測していた未来が今、本当にやって来た。そう思うと、私は不思議に未来に絶望することが無いのである。

そして、手塚治虫や松本零士や宮崎駿といったマンガ家はその頃、さらに暗いディストピア(反ユートピア)を描いていた。これからやって来るそんなディストピアでも、我々は人間らしく生きてゆける。この三人はそれを私に教えてくれた。

それでも、これが二十一世紀である。そして、今生まれて来る赤ん坊の多くは二十二世紀まで生きる。つまり、もう二十二世紀でさえそんなに遠い未来ではない。でも、そのことが明るい印象を与えることが無い不幸なことだと思う。

誰が言ったか忘れてしまったけれど、パンとサーカスにうつつを抜かしていた古代ローマに今は似ている、という意見も私は聞いたことがある。そうかもしれない。私は自分に出来ることをして、そのうえで楽しく全力で生きてゆくだけである。

そんなわけで、私だけならなんとか今を生き続けることはできると思うけれど、希望を見出すのが困難なくせに、豊かでバーチャルなこの時代を子孫に引き継ぐのが本当に正しいことなんだろうか。私はこの疑問をいまだに解くことができずにいる。

地球の存在を宇宙の歴史に刻むことが人類の唯一最大の使命だとするのなら、我々の仕事は二十世紀にもう終わってしまっている。人間には宇宙に進出する能力も無いし地球を管理する資格も無い。異星人と交信するほどの知性も寿命も無い。ならば、あとはゆっくり衰えて滅びるだけのことである。

  今挙げた六人の小説家やマンガ家が描いたような、荒れ果てた未来をささやかに、それでも人間らしく生きてゆく希望だけが我々に残されている。

この話を私は以前にも書いたことがある。でも、こんな浮世離れしたことを声高に主張しても、どうせ誰も理解してくれるわけは無いので、私はこうして何食わぬ顔をしてひと並みに生き続けている。

筒井康隆の名作「時をかける少女」で、未来からやって来た少年が、この時代の恋人に語る言葉を私はずっと忘れられないでいる。「ぼくは未来より、この時代のほうが好きだ。のんびりしていて、あたたかい心を持った人ばかりで、家庭的だ。ずっと住みやすい。未来の人たちよりは、この時代の人たちのほうが好きだ。」これが筒井康隆の良心なのだと私は思っている。

この小説が書かれたのは六十年代の終わりだったと思うけれど、それから五十年が過ぎてしまった。五十年後というのはもう未来と言ってもさしつかえないかもしれない。

筒井康隆のもうひとつの長編「虚航船団」が書かれたのは八十年代の初めだったと思うけれど、そのラストで、荒れ果てた世界にとり残された母親が、息子にこれから何をして生きてゆくつもりか問いかける場面がある。「ぼくかい。ぼくなら何もしないよ」「ぼくはこれから夢を見るんだよ」息子はそう答える。

筒井康隆が描いたこのふたつの場面を私は忘れることができない。

もはや、思い出と、ひとの笑顔しか信じられるものは無いのかもしれない。そして、そんなディストピアを楽しく人間らしく生きてゆこうとするならば、それは他人には夢をみているようにしか見えないだろう。その意味で、私はこれから夢をみるように生きてゆくと言うしかない。

結局、どんな時代であっても生きるのが厳しいのは当たり前のことだ、という常識にすべてが落ち着いてしまうのだろうか。

四十年が過ぎれば思い出になる。五十年が過ぎれば歴史になる。私はこの歳になって、それを実感できるようになった。たとえディストピアであっても、これからどんな未来がやって来るのか。通り過ぎた過去がどんな歴史になってゆくのか。そして、私の人生がどんな思い出になってゆくのか。それを見続けるためだけでも、これからを生き続ける価値はあるような気がする。そんな今の私の思いがどんなふうに変わってゆくのか。これも年を取ってみないと分からないことである。

もしかしたら、私にとって、写真を撮り続けることが、それに深く関わることなのかもしれない。最近になってそんな思いがしている。

かつて夢中で撮った写真を二十年も経って見直してみると、過ぎ去った時間や通り過ぎた場所を懐かしく思い出す以上に、もっと大事な、まったく別のことを知らされる。それは私の貴重な財産である。そして、それを面白がって見て下さるひとが少なからずおられる。

生きることに写真が深く関わっている、というのはこんなことなのかもしれない。時には立ち止まって、過去に撮った写真を見直してみるのも悪くないな、と思う。そして、森山大道さんがフォトエッセイ「遠野物語」の最後に記した「これが人生か、よし、もう一度」という言葉を私は今、思い出している。これが人生の折り返し点なのだろうか。不思議な希望を私は実感している。

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