救命救急センターで考えたこと

幸いなことに私は今まで入院したことも無いし救急車で搬送されたことも無いのだけれど、付き添いで救急車に同乗して、大病院の救命救急センターに行ったことは何回かある。到着後に私はそこの待合室で過ごした後、私は救命救急センターの先生から説明を受けることになる。その日のうちに一緒にタクシーで帰宅できることもあれば、町を見下ろす高層の、ひと気の無い別の待合室で私はひとり夜明けを迎えたこともあった。そんな時、もちろん私はいろんなことを考える。

救急車で駆けつけて下さる救急隊員は沈着冷静を絵に描いたように落ち着き払っている。救命救急センターの先生は、私がお世話になった限りでは若い研修医の女医さんが多い。看護師さんも若い女性が多いような気がする。

ここで働くひとたちを見ていると、みずからの仕事を天職と自覚して、彼ら彼女らは誇りと思いやりを持ってきびきびと職務をこなしている。他のどんな職場よりも私はそれを強烈に印象づけられる。それは私にとっても天啓である。仕事というものについて、生きるということについて本当にたくさんのことを教えられる。

私には医療機関で働く友人が多かった時期があるから、その頃に彼らの本音というか愚痴のようなものも聞かされたおぼえがある。それを併せて思い出してみると、この、ひとの生命を救う仕事はとても私にはできない仕事なのだな、と改めて思う。それでも、そんな友人たちが私を尊重してつきあってくれたのが本当に嬉しかった。

そんな私にはおよびもつかないことだけれど、医師でありながら高名な写真家でもある、というひとは日本にも外国にも何人かおられたし、私もCDを持っているデニー・ザイトリンというジャズピアニストは精神医学のドクターである。医師で文筆家というひとは数多い。この世界とアートの世界はそれほどかけ離れたものでもないらしい。

救命救急センターで働くひとたちのように、私も直接ひとを助ける仕事、あるいは直接ひとの役に立つ仕事をしたい。私はずっとそう思って生きてきたはずなのだけれど、私の職業はそんな仕事ではないし、私が撮る写真が直接ひとを助けるわけではない。そのことを私は今まで長い間、ずっと負い目に思ってきた。

ただ、不思議なことに、最近たくさんのひとが私を写真家として認知して下さる。今のところはまだ写真でお金を稼いでいるわけではないんですよ、と断っても、「あなたはこういう仕事をしているひとなんですね」と声をかけられることが多い。

お金を稼ぐばかりが仕事ではない。世の中の少なからぬひとがそう考えている。不思議な感慨とともに私はそれを実感している。

本当に意外なことなのだけれど、少なくないひとが私の写真を心の支えにしてくださる。写真なんて何の役にも立たないはずなのに、それはブランショが言うように、作者の盲点でしかないのかもしれない。でも、この盲点を大切にしなければ写真を続けることはできない。これも私の自覚である。分からないことを私は大切にしなくてはならない。

そもそも、どうして私は写真にめぐり会ってしまったのだろう。自分が写真を撮り続けていることが、私にはいまだに信じられなくなることがある。でも、以前三十年ぶりに小学校の頃の恩師に再会した時、先生は「絵が好きで理科が得意だった阿部君が写真をやるというのはあたしにはよく分かります」と言って下さった。こういうことは、本人よりも身近なひとの方がよく見えるのかもしれない。これも作者の盲点かもしれない。

これを天職と言うのだろうか。ならば、救命救急センターで働くひとたちに恥じない生き方をしている限り、私は長い間抱えてきたつまらない負い目なんか捨ててしまって、写真を撮り続けてゆく覚悟を改めて決めるべき時なのだと思う。

そうすると、時々ゆううつになったり、世をはかなく思ったりするのも私の仕事のうちだ、ということになってくる。それを抱えたまま、私は笑顔で生きてゆけばよいのだろう。

私の撮る写真が、直接ひとを助けたり、直接ひとの役に立っている仕事をしているひとたちに受け入れられるものであるように。それが私の願いであり、目標であり、自戒になる。

もう少し私も大人になりたい。そんなふうにも思う。

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