夜明け前

この十月に、毎年恒例の私の小写真展を今年も開催することができた。そのタイトルは「平成最後の『盛岡町家のひなまつり』」とした。今年は中止になってしまったけれど、毎年四月に、昔の盛岡の面影を残す通りで、そのお店やお宅が先祖代々伝わるおひなさまを公開するおまつりである。

このひなまつりが終わってすぐ、昨年の五月に新しい元号が始まったので、これは私にとっても平成最後の写真になった。

元号制度は日本だけに残る、世の中の取り決めに過ぎないのだけど、それでも、「平成」は本当にいい時に終わったものだ、と私は感嘆している。それはたった一年と少し前のことなのに、はるか昔のことのように感じられる。そう思っているのは私だけではないのかもしれない。

私は最近そんな思いを抑えることができない。それで、私は今年の小写真展にこの写真を選んで、「平成最後の」というタイトルをつけてみた。そんな気がする。

五木寛之の新刊「回想のすすめ」にもそんなことが書かれていた。「明日を考えるより、きのうをふり返ることのほうが、いまは大切なのかもしれないと感じたのである」という言葉に私は納得する。

今年になって、世の中が非常事態になったことを私は私なりに体験したのだから、今はじたばたしないで世の中の様子をうかがう時である。私は最近ようやくそんな気持ちになることができた。

そんなわけで、私は元気に生き続けている。写真も撮り続けている。そして夜は安眠する。よい夢も悪い夢もほとんど見ない。そのかわり、どういうわけか、明け方に目が覚めた時、もう何十年も前の、初めて就職した頃のことを思い出すようになった。

その時の友人知人とはもう縁が切れてしまっていて、彼ら彼女らが今どうしているのか私は知らないし、それを知りたいとも思わない。楽しかったこともあるし、不愉快だったこともある。正直に言って、私はもうその頃のことを思い出したいとは思わない。懐かしいけれど、うっとうしい。それでも、その頃の思い出は、まるでしつこい別れのあいさつを繰り返すみたいに毎朝私のもとにやって来る。

ただ、そのおかげで、こうして何十年も経ってからようやく理解できることがある。それはありがたいことなのかもしれないけれど、それ以上のものでもない。何を今さら、という気もする。こんなことを思い出すくらいなら、もっと快適な夢を見て目覚めたいと思う。

でも、今はそれが必要な時期なのかもしれない。思い出を完結させるためにもそれは必要なことかもしれない。それが完結して去ってゆくまで、もう少しこんな夜明けが続くのかもしれない。

その後何年か経って、うつ病を経験するまで私の「青春時代」は続いたのだけど、それまでの間に、私はやってみたいことは何でもひととおりやってみた。今はそんなふうに思える。

だから、私はあの時代を後悔してはいない。たくさんのひとが私を助けてくれたし、私は私なりに精一杯やった。だからこれでよいではないか、というわけである。その曲がり角で私はうつ病にかかって、その入り口の時にフランスを旅してたくさん写真を撮った。私の写真家としてのキャリアはこの時から始まる。自分ではそう思っている。

最近になって、何人ものひとから「あなたはそれでよかったのよ」と言われるようになった。その、フランスの旅の写真は二十年経ってからようやく写真集にすることができたのだけど、その制作を担当してくれた印刷会社の女性も私にそう言ってくれた。

二十年の時間が今、巻き戻されたような気がする。あの時に心を病んだのは、「そろそろあなたが本当にやるべき仕事に向かって歩き始めなさい」というメッセージだったのだと今にして思う。そして、心の病を乗り越えて、写真だけでなくて、生活でも職業でも、この二十年で曲がりなりにも私はそれをなし遂げることはできたと思う。今またそれをふり返る時がやって来た。奇しくも、それが世の中の非常事態に重なった。

それにしても、我々の人生は「知らなくともよいこと」や「知らない方がよいこと」によって支えられているのではないか。私はそんな気がしてならない。

毎朝やって来る古い思い出にしても、今の私が知っている以上のことを知ってはいけない。そんな確信がある。すべてを壊さないためには、これ以上それについて知らないでいることが必要なのだ。

話は飛ぶけれど、多くのひとが人間として平穏に生きてゆくことができるのも、誰もがひとりひとり異なった「知らないこと」を抱えているからではないのか。それでも、こうして普通に生きてゆくために、「常識」というものがあるのだろう。

この年齢になれば、知りたくないことはもう知りたくない。私はそう思う。それを補う常識は、これまでの経験で充分に身についているはずである。あとは私がやるべき仕事をこなしながら写真を撮り続けてゆけばよい。新しくめぐり会うひとや、毎朝やって来る古い思い出が私にそれを教えているのだと思う。今はそんな時代なのだとも思う。そして、そう遠くない未来に、それこそ夜が明けるように何かが移り変わってゆくのだと思う。

・・・先日、無名の作者による新聞の俳句欄に載せられていた句をふたつ引用させてもらってこの文を終えたい。


朝刊をひろげ露の世をのぞく

生きてゐるただそれだけで爽やかに


私は何か新しい呼吸法を教わったような気がする。世の中が劇的に住みよくなることはあり得ないけれど、自分の中の夜明けは必ずやって来る。これも思い出が私に教えてくれたことである。朝の光を待っていたい。

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