オープンロードの旅

暑かった夏がようやく終わる気配を見せ始めた。人間の心身も、暑い間はまともに働かない。その上、今年は今までずっと非常事態が続いていたから、これで涼しくなれば、ようやく少しはまともにものが考えられるようになるのではないか、そんな気がする。

それはおそらく私に限ったことではなくて、今年になってから世の中に現れた言説は皆、どこかしら浮足立っていたように思う。そんなものに身をさらしていても、消耗して気持ちが沈むだけである。今は、自分にできることを無理なく続けながら日常を生きる時である。生きのびることはできると思う。

でも、世の中が非常事態になろうが、暑さが続こうが、あるいは個人的に不愉快なことがあったとしても、私は休日にはカメラを持って外を歩く。旅に出ることはかなわないけれど、今までどおり写真が撮れることに変わりは無い。それなりに面白い写真も撮れる。外の世界で何が起こっても、私の気持ちが沈んでいたとしても、それと関わりなく写真は撮れる。あるいは、それをエサにして面白い写真が生まれる。そんなふうにさえ言えるのかもしれない。

その結果として生まれた写真は、やがて私の手を離れてたくさんのひとの目に触れることになる。その時、写真が私の思っていた以上のメッセージを伝える。これが写真の不思議な力だろう。

カメラを持って歩いている時、私は別の世界にいるような気がする。見慣れた町を見つめながら、それにも関わらず私は未知の世界にいる。そして、そのことが私を守り続けている。人間は自分で思っているほど孤独ではない。写真がそれを私に教えてくれる。要するに、どんな時であっても、人間の生命力は信じていてよい。今は息をひそめて待つ時である。もしかしたら、時代の変わり目というのはこんなものなのだろうか。

ここまで書いてきて、私は十九世紀アメリカの詩人ウォルト・ホイットマンが残した「オープンロードの歌」という長い詩を思い出している。この「オープンロード」というのは「目に見える道だけでなく、魂が進む宇宙の壮大な道も意味する」と解説にある。この言葉を、この詩の雄大さに合う日本語に訳するのは困難なことのようで、この飯野友幸氏の抄訳では、そのまま「オープンロード」となっている。それでよいと私も思う。

外の世界に素直に反応する精神を持ち合わせている限り、ひとは不幸になることは無い。私の前には壮大なオープンロードが広がっている。まさにこの詩にあるとおり、「この先おれは幸運を求めない、おれ自身が幸運だから」ということなのだ。

ホイットマンは、たとえばランボーとは対極の場所にいる詩人かと私はずっと思ってきたけれど、案外とこのふたりの距離は近いのかもしれない。最近になって私はそう思うようになった。

ホイットマンという詩人は私が知る限り、文学青年的なところが感じられないひとで、この本(光文社古典新訳文庫版)の解説にあるとおり、「ストリート系の詩人」だったのだろう。小学校を中退した後に社会で様々な経験を積んで、初めて詩集を出したのは三十六歳になってからとのことで、これは詩人として遅い出発と言ってよい。このへんのところはランボーとはかなり異なる。

その後もホイットマンは波乱に満ちた生涯を送り、みずからの詩集「草の葉」の増補と推敲を七十二歳で亡くなるまで続けた。「生涯一詩集の人とでもいおうか」と解説にある。

その結果、「草の葉」はマラルメの詩集のような純粋で難解な宝石箱ではなくて、様々な生き物が住む豊かな森のような詩集になった。

何で私がこんなことを書いているかというと、僭越な言い方ではあるけれど、私が撮り続けてゆく写真も、そんな豊かで多様な森のようなものになっていってほしい、という思いがあるからなのだ。

生きている間に、自分なりに様々な経験を積んで、いろんなものを素直に撮り続けて、それが、結局はひとつの仕事としてまとまってゆく。そんな写真人生を送っていけたら幸せでいいなあ、と思う。

今、それに気づくことが出来ただけでも、この、未曾有の非常事態を経験したことに意味はあったのだと私は思う。私にとって、人生の曲がり角にたまたまこの非常事態がやって来たことにもそんな意味があったように思う。そんなふうにして私は今を生きのびたい。オープンロードの旅を続けたい。

ところで、今の時代は機材が良くて安上がりだから、何があっても写真を止める言い訳にはならない。極端な話、目が見えて手が動かせれば写真は続けられるのである。これこそが写真のこの上ない厳しさではないだろうか。私は最近そんな気がしてならない。

  でも、カメラを持ってオープンロードを歩き続ける限り、そんな厳しさは問題にならない。美しい景色が私を待っている。素敵なひとが私を待っている。疲れたら休めばよい。待ち望んでいた秋の美しい陽射しが今年もやって来る。その中を歩いて写真を撮る歓びが今年もやって来る。何も恐れる必要は無いのだ。

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