かなしみ

今年二月頃だったと思うけれど、一九〇三年一月生まれで、男女通じて世界最高齢と認められた、九州の女性のコメントが新聞に紹介されたことがあった。このひとは車いすを使ってはいるけれど至ってお元気で、福祉施設に住んでそこでオセロゲームを楽しんでいる、とのことである。

記者の、「これまでの人生でいちばん嬉しかった時はいつですか」という問いに、この、百十六歳を迎えた女性は「今」と即答したのだそうだ。それに私は感動した。

「今」とは何だろう。「現在」とは何だろう。これは哲学者も物理学者も明確に答えることができない難問だということだけれど、この、百十六年を生きてきた女性はその答えを知っているのではないか。私はそんなふうに思った。

やはり百歳を超えた双子の姉妹、きんさんぎんさんは「下積みに百年かかりました」と言っていたけれど、あれは冗談ではなかったのだな、とも私は思う。

この、百十六歳の女性が生まれた一九〇三年、つまり明治三十六年について歴史年表を調べてみると、それほどの大事件は起こっていない。日本では日露戦争の前夜である。この年、草野心平とレーモン・ラディゲとビックス・バイダーベックが生まれている。そして、この年の十二月には、アメリカのライト兄弟が初めて飛行機で空を飛んでいる。

飛行機が無かった頃に生まれたひとが今も生きている。そのことにも私は感動する。この百十六歳の女性にとって、今は、まるでおとぎの国にやってきたようなものなのかもしれない。生きるというのはなんと凄いことなんだろう。元号が令和に変わった時にもこのひとのコメントが新聞に出ていて、「一日でも長生きしたい」との嬉しいお言葉である。

生きることを信じること。でも、元号が変わる前後にはテロや理不尽な交通事故でたくさんの生命が失われてしまった。狂信者や傲慢な大人や年寄りが幼い生命を奪ってしまった。皆がそれを知っているはずなのに、私が車を運転していても、周囲の交通マナーが良くなって皆が慎重に運転するようになったとは思えない。しょせん他人事なんだろうか。

それでも、テロや事故の現場には花が置かれて、たくさんのひとが涙を流して祈りをささげている。こんな時、ひとは悲しむことしかできない。悲しみは無力なんだろうか。あかの他人が涙を流して死者を悼むことは本当に無力なんだろうか。かつての私は涙を流すことしかできなかったけれど、今の私はもう少し違う考え方ができる。

残されたひとは悲しみを抱えて生きてゆくしかない。逆に言えば、人間は悲しみを抱えたまま生きてゆくことができる。「悲しみ」と「哀しみ」を併せて、ひらがなで「かなしみ」と書いた方がよいと思うけれど、平成の三十年間で私が学んだ最大のことがそれだったような気がする。

もちろん、私のかなしみなんて他人に比べれば大したことの無いありふれたものだ、そんなことくらい私もわきまえている。それでも、かなしみというものは癒えることはあっても消えることは無い。それならば、石川淳の「普賢」に出てくるせりふをもじって、そこから花を咲かせるほかかなしみを処理するすべはないのかもしれない。

かなしみというのは幼い頃に読んだ「鉢かつぎ」という日本の昔話に出てくる、無理矢理かぶせられた重い鉢のようなものだろうか。その重さとともにひとは生きてゆくしかないのだけれど、それはいつか外れて割れて、そこから宝物が生まれる。それを私は信じたい。

ある日突然、無邪気で無防備な笑顔とともに、未知のひとが私の前に現れる。そのひとは、もう三十年も閉ざされていた私の心の扉をいともたやすく開いてしまう。そして、私の暗い無意識に明るい光を導き入れてくれる。世界はこんなに美しいものだったのだろうか。

ひとを愛するということは人間を信じることである。私が無条件に人間を信じる。それは昨日までの私には考えられなかったことである。そのひとに最大の感謝と愛情をささげながら、私はまた新たに生き始める。部屋の外には陽春の、あるいは初夏の陽射しがあふれていて、たくさんのひとが生き続けている。そのことに私は感動する。

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