ジャズ・メッセンジャーズ

ジャズ評論家、プロデューサーとして、たくさんのひとに慕われた児山紀芳(こやま・きよし)さんが八十二歳で亡くなられた。もちろん、私は何の面識も無いのだけれど、なんだかとてもさみしい。ここのところ、訃報をもとに文章を書くことが多くなっているような気がするけれど、ただのジャズ好きに過ぎない私がこんな文章を書くことを許してほしい。

何の面識も無くとも、ジャズが本当に好きなひとならば、児山さん(と書かせて下さい)の業績と人柄がいかに素晴らしいものであったか、知らないひとはいないだろうと私は思う。

児山さんが編集長を務めたジャズ雑誌を読んでも、プロデュースしたたくさんのレコードを聴いても、長年にわたって担当されたFMのジャズ番組を聴いてもそれを感じることができる。その番組に呼ばれた若手ミュージシャンが、「児山さんの笑顔に癒されました」と語る気持ちが私にも分かるような気がする。

しなやかで公平な感受性と、燃えるような熱意と、該博な知識と、まるで少年のような純粋さと、そしてこのうえない謙虚さをあわせ持って、児山さんはミュージシャンとファンのために、御自身も楽しみながら奔走された生涯だったのではないだろうか。

昨年、児山さんが初めて上梓された著書「ジャズのことばかり考えてきた」は私の本棚にも並んでいて、もう何回読み返したかわからないくらいだけれど、この本のタイトルは「ジャズばか考」とも読めるようにレイアウトされているのが何となく可笑しい。初めての著書というのが意外な感じがするけれど、この本は児山さんの回想録で、おそらく児山さんの人柄が今までそんな本を作ることをご自身に対して許さなかったのだろうという気がする。それでも児山さんの文章は、これまでもジャズ雑誌やレコードのライナーノートで私もたくさん読んできた。それは私にとって、文章のお手本のひとつだったと思う。この「ジャズのことばかり考えてきた」には児山さんのお仕事に対する厳しい姿勢がさりげなく語られている部分があって、それを読むことができたのも私にはかけがえの無いことだった。

児山さんは、まさに「慈父」という言葉がふさわしいひとだったのではないかと私は思う。

ジャズに詳しいひとには片寄った人物があまりにも多くて、ミュージシャンならそれでもよいのかもしれないけれど、それではジャズを紹介する資格は無いのではないかと私は思う。そのことが、世間のジャズに対する偏見や軽薄な思い入れを助長しているし、特に初心者には大きな迷惑である。そうでない評論家はもちろん他にもおられるけれど、児山さんがいてくれて本当によかったと私は思う。

そんな慈父のような、あるいは粋なご隠居のようなジャズ評論家の代表といえばもうひとり、二十年くらい前に亡くなった油井正一さんを私は挙げたい。

実は、私が最初にジャズと出会ったのは、自宅にあった百科事典に載っていた油井さんの記事だった。そこで私はジャズの歴史の概略を知った。そして、少年だった私は、いずれ自分のレコードプレーヤーを持つことができたら、油井さんがそこで絶賛しているオーネット・コールマンというひとのレコードを聴いてみたい、と思ったのだった。

そんなわけで、私が最初に買ったレコードはオーネット・コールマンの未発表セッション集「ブロウクン・シャドウズ」だった。これは今思えば、いろんな編成の演奏が入っているので初心者が買うには案外と最適なレコードだったのかもしれない。ジャズに対してまったく先入観が無かった私は、これを難解と思うことは無くて、「こういうものなのだろう」と素直に受け入れることができたのである。そして、せっかく買ったレコードなので何回も聴いているうちにしだいに面白くなってきた。それが私のジャズへの入り口だった。ジャケットの、阿部克自氏が撮影した写真もかっこよかった。

そんなわけで、オーネット・コールマンを面白く聴けるようになると、あとは、良いものであればどんなジャズでも面白く聴くことができるようになる。この体験は、ジャズに限らずすべての音楽を面白く聴くための入り口になった、と私は思っている。それというのも、油井さんが書いて下さった適切な記事のおかげである。もちろん児山さんもそうなのだけれど、評論家の仕事とはそれに尽きるのかもしれない。

私はジャズと本当に幸せな出会いをしたと思う。初めに片寄ったひと、片寄った記事に接しなくて本当に良かった。そして何事でも、先入観の無いまったくの初心者のうちに、超一流の、難解といわれるものに接した方がよいのだろうと私は思う。それがどこかで自分に引っ掛かってこなければ、しょせんその世界は自分には縁が無いものだと分かるだろうから。

余談ながら、ビックス・バイダーベックを知ったのも油井さんがきっかけのひとつだった。私がジャズに出会った頃に読んだ村上春樹の「1973年のピンボール」にその名前が出てきたのが何も知らなかった私にもとても印象的だった。それがきっかけで、私は油井さんが監修したビックス・バイダーベックのレコードを手に入れることになった。これは今でも私の愛聴盤になっている。私はこの音楽を懐古的と思ったことは一度も無い。ビックス・バイダーベックのコルネットだけではなくて、彼のソロピアノも素敵である。

・・・そんなことを考えていたら、たった今、この文章を書いている今、FMで児山さんの追悼番組が放送されることを知った。まずはそれを聞いてからこの文章に手を入れたい。

そして、今日の新聞記事で、写真界の巨匠、長野重一さんが九十三歳で亡くなられたことを私は知った。私は一度だけ長野さんにお目にかかったことがあるし、私が写真の歴史を最初に学んだのも、自宅にあった百科事典の多木浩二さんの記事だったのだけれど、そのことについてはまたの機会に書きたいと思う。

私は今、児山さんが発掘して監修された「ローランド・カーク・パーフェクト・コレクション・オン・マーキュリー」を聴きながらこれを書いている。そして、そろそろその追悼番組が始まる時間である。何だか気持ちが落ち着かない。

児山さんや油井さんこそ、ジャズの伝道師、つまり、アート・ブレイキーがバンドの名前にした「ジャズ・メッセンジャーズ」だったのだと思う。私はそれにひたすら感謝するばかりである。繰り返しになるけれど、そんな素晴らしい評論家がいて下さったことに私は心から感謝している。

最後につけ加えるなら、児山さんがFMの番組で最後に紹介したピアニスト、栗林すみれは私の大のお気に入りになった。「トラヴェリン」というCDに入っている「森と妖精」という曲が頭にこびりついて離れない。

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