もうひとりの私

「なんじゃもんじゃ」でもお知らせしたことだけれど、毎年恒例の私の小写真展が、おかげ様で今年も無事に終了した。

会場は盛岡の行きつけの写真店の空きスペースに設けられた小さな壁面で、プリントを十点くらい飾ればいっぱいになってしまう。しかし、これはお店のオープンスペースなので、意外にたくさんのひとが見て下さる。自作のチラシを知人に配ったり、地元紙に案内も載せてもらう。

私はここで、十九年前にフランスで撮った写真を毎年少しずつ展示している。私はほとんど会場にいないけれど、ノートに感想を残して下さったり、写真店の店員さんにことづけをして下さる方が何人もおられる。

こんなふうに自分の写真を自分で構成し直して展示して、自分でもそれをよく見て、ひとの感想を聞く。それが何よりの勉強になるし、私もとても面白い。そのおかげで写真が自分の中でまとまってくる。ここ数年は、パリで撮ったカラープリントを私はここで展示しているけれど、今年、フランスで撮ったモノクロームのプリントを写真集にしたのに続いて、カラーもようやく写真集にできそうに思えてきた。ここまでたどり着くのに、撮影から十九年もかかってしまった。

これは十九年前の写真だから、デジタルではなくてリバーサルフィルムで撮っている。でも、「これは最近撮ってきた写真ですか」と質問するひとが多かった、と私は写真店の店員さんから教えてもらった。「写真は永遠の現在である」と言ったのは天才アラーキーだったと思うけれど、こんな形で私はそれを納得することになった。

この、フランスで撮った写真で、私はもう十五年くらい前に長野県上田市のギャラリーで個展を開いたことがある。でも、あの時の私に自分の写真が本当に見えていたのだろうか。今となっては疑問に思う。

今年、盛岡で展示したのはパリ東駅で撮った写真だったけれど、この写真は上田市の個展では一点も展示していない。あの時の私には、この写真がまったく見えていなかったことになる。二十年近い時間を経て、私にようやく自分の写真を選んで構成する力が備わってきた。それができなければ写真家は仕事を果たしたとは言えないし、撮影するよりもその方が格段に困難な作業である。けれども、それはとても楽しい。

私が言葉を並べるよりも、たとえ十九年前の写真であっても、私の写真を見てもらう方が、私の人格や私の現在の気持ちがよく伝わるものらしい。今回の展示でそんな手応えがあった。会場に来てもらわなくとも、配ったチラシに写真を一点載せてあるので、それを見て下さったひとを含めて、何か大切なことが確実に伝わっている。それが私には分かる。

これも写真の不思議な力なのだと思う。それができる私はたしかに幸せな写真家だと思う。それにしても、十九年前の写真が現在の私の気持ちを確実に伝える。これはどういうことなのだろう。発見して構成し直すことで、写真は現在のものとしてよみがえり、新しい生命を獲得する。そう考えてよいのだろうか。そして、その時にもうひとりの私が現れて、私自身について、あるいはこの世界について素直に正確に語り始める。私はそんな気がする。

写真家としてこれは本当に嬉しいことである。でも、そんな写真の中の「もうひとりの私」に比べて、こうして言葉を紡いだり生活している生身の私はいったい何なのだろう。そんな疑念が私の中で生まれる。「もうひとりの私」が、無言のうちに、しかし正確に私という人間を表現して伝えてくれる。それに比べると、生身のこの私は、私という人間について、あるいはこの世界について、ずいぶん貧しい理解しかしていないみたいだ。

これは不気味な喜劇のような気がしないでもない。幸いなことに、そんな「もうひとりの私」は穏やかで優しいひとのようなので、彼が生身の私を侵食することは無い。それはよく分かる。だから、比べるのは僭越であるけれど、私は深瀬昌久さんのように破滅することは無い。私は安心して写真を続けていられる。

でも、生身の私はなんだか悔しいのだ。この俺はいったい何なんだと今さらながら思う。私の苦しみも悲しみも、ひとり芝居のまぼろしではないか。またしても私はそう思う。もしかしたら、写真の中にいる私の方が現実で、生身のこの私はその影なのかもしれない。

有名な荘子の「胡蝶の夢」の話は、夢の中のもうひとりの私に、「君がぼくの夢なんだよ」と言われてしまう。そんなふうに読むこともできるのではないか。私はそう思っているけれど、それを写真で納得することになるとは私はそれこそ夢にも思わなかった。恐ろしいことに、夢と現実はこんなふうに簡単に逆転してしまうものらしい。

私はもっと素直に生きた方がよいのかもしれない。でも、私を好いてくれるひとには、そんな私の実態がよく見えているようにも思える。私はなんだかとても恥ずかしい。

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