ウツボの歯軋り

この前の「なんじゃもんじゃ」で報告したことだけれど、この六月、私は上野の森美術館で開かれていた立木義浩さんの展覧会を見るために上京した。立木さんは私の尊敬する写真家のひとりである。これは、立木さんのデビュー当時から今にいたるまでの仕事に接することができる展覧会とのことで、私はどうしても見たかった。その、期待以上の圧巻の展示を体験できたメリットは計り知れない。

それだけでも私は幸せだったのに、会場で、私は立木さんご本人にお目にかかってお話をすることができた。これは本当に意外なことだった。私が美術館に着いた頃にちょうど立木さんがふらりとそこに現れて、スタッフとお話をされていた。それが途切れたのを見計らって、私は立木さんにあいさつをして自己紹介をした。もう十数年前、私が長野県上田市に住んでいた頃、上田市で立木さんの講演会が開かれたことがあって、私はそれを聞きに行った。そんなわけで、失礼かもしれないけれど立木さんには親近感があった。立木さんはすぐにうちとけて下さって、たまたま持参していた私の自己紹介文や私の写真のポストカードにも目を通して下さった。立木さんのお人柄は変わらない。私はそんな印象を持った。

それから少しすると、展示場の入り口で立木さんのサイン会が始まった。私は千部限定という立木さんの新作写真集「SNAP 20C」を購入してそこにサインをしていただいた。この写真集が私の最高の教科書になっていることはもちろんのことだけれど、そこに立木さんは「ウツボの歯軋」(正確には、「ウツボ」は魚へんに「単」の旧字で「の」は「乃」)と書いて下さった。これを「うつぼのはぎしり」と読むことを、私は盛岡に帰ってからようやく知ることができた。

しかし、その読み方を知ってからも、私はこの言葉の真意をはかりかねていた。立木さんほどの巨匠であっても、海の猛獣と言われるウツボが歯軋りをするように、ご自分の仕事に不満を持っておられるのか。それが立木さんを今も写真に駆り立てる力なのか。私はそんなふうに考えてみたのだけれど、こうして夏が過ぎて、もういちどそれを思い出してみると、この言葉はそれだけの意味ではないのではないか。私にはそう思えてきた。

「ウツボの歯軋り」、これはなによりも私へのメッセージではないのか。おそらく、立木さんは誰にでも同じ言葉を書いているのではないはずだ。あの時、一瞬で私という人間を深いところまで見抜いて、いちばんふさわしい言葉としてこれを贈って下さったのではないか。今の私にはそう思える。

つまり、ウツボのような実力と情熱としぶとさを自覚しているのなら、歯軋りをするようにくやしさを研ぎ澄ませて、来るべき時に備えなさい。あるいは、へこたれずに何度でも挑戦を続けなさい。それが立木さんの私へのメッセージだったのだと思う。

今も折りにふれて読み返している、長沼毅氏という生物学者のエッセイには「勝つまで負ける」という言葉が出てくる。失敗から学ぶ姿勢を失わない限り、連戦連敗でいい。くじけないことが何よりも大切なのだ、というわけである。哲学者や文学者が語るように、この宇宙は不条理でしかないのかもしれないけれど、地球生命はそこを生き抜く力を与えられている。失敗から学び、冒険心を失わず、勝つまで負け続けよう。それが生きるということなのかもしれない。

立木さんの写真からもそれを感じることができる。「写真は、基本は失敗、いささかの成功があるのみ」これも立木さんの言葉である。ここで、「写真」を「人生」に置き換えることが許されるのなら、「人生は、基本は失敗、いささかの成功があるのみ」という恐ろしい言葉が導かれる。でも、写真と人生をそこまで接近させて考えているのなら、これは写真家にとって最高の励ましになるような気がする。もともと写真も人生も本質は失敗なんだから、もっと気楽にやっていいんだよ、ただし絶対にあきらめないでね、ということだろう。

そんなしぶとさと、そして素直さが写真の最大の才能だとするのなら、写真とは本当に奇妙なメディアだと私は今さらながら感心する。そして、私がそれに恵まれていることを、立木義浩さんも森山大道さんも正確に見抜いて下さった。そして、おふたりは私を厳しく暖かく見守って下さる。それはもちろん大変に幸せなことなのだけど、これは他人にはおそらく想像もつかないいばらの道である。でも、そこから導かれる幸せを噛みしめながら私は生き続けるしかない。

以前、私がうつ病に苦しんでいた頃、手相に詳しい友人から「あなたは自分でも嫌になるくらい長生きすることになっていますから、死にたいなんて思ってはいけません」と言われたことを私は思い出している。それは決してお世辞ばかりではなかったのだろうと今の私は思っている。それよりも以前、勤めを辞めて大学院に入る時、恩師から「お前の能力なんてたいしたこと無い。でも、お前のしつこさは本物だよ」と言われたことも思い出している。まさに「ウツボの歯軋り」である。

最後につけ加えるなら、立木さんが若い頃の出世作「舌出し天使」を初めて写真集にまとめられたのは昨年のことである。撮影から五十年以上の時間を経て、あの名作はようやくひとつの形をとることができた。

それと並べるのは僭越極まりないことではあるけれど、それならば、私が撮影から十九年の時間を経て、フランスで撮った写真をようやく小さな写真集にまとめることができたのも、べつに奇異なことではない、ということになるのだろうか。

写真がひとつの形をとるためには長い時間を要する場合がある。それは、もしかしたら、写真家の力量とは関係の無いことなのかもしれない。私は覚悟を決めて、それこそウツボのような情熱としぶとさを持って、くやしさに歯軋りをしながら、一生をかけて写真とつきあっていかなくてはならない。もちろん、それはとても楽しいことでもあるはずなのだ。

それを教えて下さった立木さんに、私は改めて感謝したい。

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