銀塩モノクローム、写真の歓び

ついに、富士フイルムがモノクロームのフィルムや印画紙の製造販売を中止することを発表した。これで国産のモノクロームのフィルムは姿を消すことになる。
 その、最後にひとつだけ残っていたネオパン100アクロスを私は使ってきたのだけれど、正直なことを言ってしまうと、私はこれをあまり好きになることができなかった。描写がデジタルに似すぎていて、ここまでしなくともいいのに、という思いだった。数年前に先に姿を消したネオパン400プレストを私はずっと愛用していたせいだろうと思う。
 富士フイルムの印画紙は、すでに入手困難になっているとのことだけれど、幸いなことに私の手許にはまだいくらか在庫がある。これを使って、昨年まで撮りためて現像が終わっているネガをプリントしておきたい。手に入れるのが今よりも難しくなりそうだけれど、その後にどの印画紙を使うかは、行きつけの写真店と相談して決めるつもりでいる。フィルムはコダックから出ている三つの銘柄を試し撮りして決めたい。富士フイルムから出ている現像液や定着液といった写真薬品もいずれ手に入らなくなってしまうけれど、これもまあ何とかなりそうである。
 そんなわけで、私はこれからもモノクロームの銀塩写真の制作を続けてゆく。ただ、ここで悲壮な使命感を持ってはいけない。今までどおり、あくまでもわがままな楽しみとして気楽にしぶとく続けることが肝心である。そうでなければ写真が不自由で古臭くなってしまいそうだ。それではフィルムで撮る意義が無い。
 もちろん、もはやフィルムで大量に撮る時代ではない。たくさん撮りたければデジタルを使うべきだろう。デジタルはそのための道具なのだと私は思う。デジタルが嫌になってしまった時、そこから少し距離を置きたい時、そして写真の原点を忘れたくないと思った時、私はこれからもモノクロームのフィルムで少しずつ撮り続ける。記録とかアートとかいうのはこんなものなのかもしれない、と思ってみたりする。
 これは、採算が取れない道楽の一種なので、写真で稼いでいるプロにはもはや不可能な方法である。その意味で、荒木経惟さんがご自分のことを「最後のフィルム作家」と称しておられることに私は深く納得する。モノクロームのフィルムで撮って、それを自分でプリントするという写真の原点は、いまやアマチュアにだけ許された特権なのだと言える。これをアマチュアの勝利と呼ばずして何と呼ぶべきか。
 もしかしたら、写真の原点はこんなふうに、いつもアマチュアによって維持されて伝えられてきたのかもしれない。戦前の、安井仲治や桑原甲子雄の写真を私は思い出している。
 要するに、私はデジタルのモノクローム写真がどうしても好きになれない。しかも、モノクロームのデジタルプリントを自分で作ろうとすると、どうやら暗室用品をそろえる時の十倍くらいの費用がかかりそうだ。暗室用品は、いちどそろえてしまえば十年に一度くらい引伸ばしレンズを交換するくらいで足りるけれど、デジタル機器は定期的に買い替える必要が出てくるだろう。デジタルデータが本当に不変なものなのか、それがいつまでも読み出し可能なものなのか、それも本当は分からないことである。
 デジタルの楽しさや凄さを否定するつもりは無いけれど、それに全面的に依存してしまってよいものかどうか、私には分からない。フィルムもデジタルも等しく写真である、という原則を踏まえたうえで、それでも道楽やアートとして続けるのなら、フィルムで撮る方が写真は楽しいだろうと私は思う。困ったことかもしれないけれど、デジタルはカラーにとどめておきたい、という私の思いが変わることは無いのである。
 気合を入れて、もちろん楽しみながら制作した銀塩モノクロームのプリントは私の一生の財産である。何度も個展を開いた経験をふり返ってみて私はそう断言できる。しかも、それは一度展示して終わりになるものではなくて、何度でもひとに見せることができる宝物なのである。たくさんのひとがそれに見入ってくれて、素敵な言葉を私に伝えてくれる。私という人間を深いところで評価して信頼してくれるのである。これが銀塩モノクローム写真の最大の魅力だろうと私は思う。
 行きつけの写真店では、これからの銀塩モノクローム写真は、たとえば漆塗りのような、いわば伝統工芸品として生き残ってゆくのではないか、というお話を聞かせてくれた。そして、あまりにも高度な技術に支えられているデジタルが挫折してしまうような非常事態が起こった時、百年前のシンプルな技術である銀塩モノクロームが復活して活躍する余地があるかもしれない、とも話してくれた。
私が住んでいる岩手県は全国有数の漆の産地で、その伝承が危ぶまれた時期があったのだけれど、それが文化財の修復に欠かせない、という理由もあって、今、その技術の伝承と振興が図られている。私もそれにたずさわるひとたちと身近に接したことがある。
 今でこそ、漆塗りは特殊な技術として伝承されているけれど、ほんの百年くらい前までは、生活に欠かせない、ごく普通の技術だったのではないかと私は思う。今のような高級な漆器ももちろんあったと思うけれど、日常的に使われる普通の漆器もたくさんあったのだろうと私は思う。
 銀塩モノクローム写真だって、数十年前には決して特別な技術ではなかった。どこの中学校や高校にも写真部があって、そこに入ると誰でも暗室作業をしてモノクローム写真を制作することができたのである。そして、しろうとが美しいモノクローム写真を制作するのもそれほど難しいことではなかった。カメラ雑誌の月例コンテストのモノクローム部門の応募数は今よりもずっと多かったし、その入賞作品は今よりもレベルが高かったと私は思う。デジタルで写真のすそ野は広がったけれど、全体のレベルは落ちているように私には思えて仕方が無い。そして、簡便で安価だったはずの銀塩モノクローム写真が、いつのまにか現代の漆塗りのような特殊技能になってしまった。
 デジタル化によって、撮られる写真の枚数は以前に比べて飛躍的に増加している。そんな時代にあって、たしかに銀塩モノクローム写真は漆塗りのような伝統工芸技術として残ってゆけばよいのだろう。それは、ごく少数のひとにしか必要とされないことではあるけれど、それが無くなってしまうと何か意外なものが損なわれてしまうと私は思う。そして、そんな古い技術がデジタルのような最先端の技術をどこかで支えているのも確かである。
 そんな制作を続けてゆく技術と意思を持っていることを自覚して、もちろん感覚や思考が古臭くならないように自省しながら、私は気が向いた時にモノクロームのフィルムで撮り続けようと思う。それは一生の財産と、格別の歓びを私にもたらしてくれるのだから。


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