記念写真の中の私

ささいなことではあるけれど、自室の机の引き出しの中に、プライベートな記念写真が散乱しているのが前から気になっていた。最近ようやく少し時間と気持ちの余裕ができたので私はそれを整理してみた。その作業をしながら考えたことを書いてみようと思う。
 写真作品、という言葉は私はあまり好きになれないけれど、自分の名前を冠して不特定多数のひとびとの前に公開することを前提に制作する写真をとりあえずそう呼んでよいのだと思う。そんな写真作品と、プライベートな記念写真の間に実はたいした違いは無いのだろうし、作品のつもりで撮った写真がいつのまにか記念写真になったり、あるいは記念写真を作品の中にまぎれこませてしまうのもなかなか楽しかったりする。
 では、なぜ我々は記念写真を撮るのだろうか。それを考えるのは、おそらく写真の本質に深くかかわることで、写真作品について論じるよりもこれはずっと大変なことになるような気がする。我々はなにげなく日常的に記念写真を撮って公開する時代に生きているけれど、実はとんでもなく謎めいた行為を、それとは知らずに続けていることになる。そんなふうに考えると、この日常にまたひとつ謎が増えることになる。
 そして、そんななにげない記念写真と写真作品の間にどんな関係があるのか。このふたつの中に、お互いの謎を解き明かす鍵は存在するのか。そんなことを考えてみるのは楽しい。
 別に秘密の写真でもないのに、他人には何となく見せたくない記念写真はたしかに存在する。そんな記念写真と写真作品との関係をどう考えているのか、荒木経惟さんを別にすれば、それについての他の写真家の考えを私は知らない。
 あるいは、写真を撮られるのが嫌い、というひとが少なからずいるのは私も知っているけれど、はたして写真家であっても、自身が写真に撮られるのが嫌いだ、というひとはいるのだろうか。そんな写真家がいるとすれば、そのひとの手許には自身の写真作品だけがひたすら蓄積してゆくことになる。日記や私信をまったく書かずに詩や小説だけを書き続ける作家、というのもかなり異様だけど、作品だけを撮り続ける写真家というのもかなり異様である。幸い私はそうではない。生き続けてゆけば、ひと並みに記念写真はたまってくる。
 私の場合、写真作品は、たとえば個展が終わってしまえばそれに出品した以外のプリントをすべて捨ててしまうし、古いネガやポジも引っ越しのたびにずいぶん整理してきた。だから、古いプリントが押入れに散乱しているようなことは私は無いのだけど、それよりもずっとサイズが小さい個人的な記念写真を整理するのはなかなか難しい。それでも、もう見たくない昔の記念写真は去年だいぶ捨ててしまったのでずいぶんと気が楽になった。だから、こうして机の引き出しに散乱している記念写真を整理するのは気が重い作業ではない。
 記念写真のサイズは、以前はサービス判と言っていたけれど今はL判と言っているみたいだ。それを収納する五十円くらいのファイルを私は何冊か写真店で買ってきて、手許の記念写真を年代順に収納してゆく。ほとんどの写真に日付が入っているのでその作業は難しくない。ただ、これからもどこかから古い記念写真が出てくるかもしれないので、ファイルに少し余白を残しながら作業を続ける。
 そんなふうにして、散乱していた記念写真をまとめてみると、いろいろなことが分かってとても面白い。長年の気持ちのつかえが外れたような不思議な安心感もある。写真作品を制作するのとはまた違う、これも写真の面白さなのだと私は思う。
 そんなわけで、ここ二十年くらいの記念写真(の一部)をこうして並べてみると、そこにはもう二度と会わないひとが何人も写っている。もう亡くなってしまったひともいる。一緒に写っている私も、昔の写真の方が当然ながら若い。
 それでも、張り詰めた生活をしていた時期の私は頬がこけて目つきが鋭くなっているし、うつ病に苦しんでいた頃は薬の副作用で顔がむくんでいるのが分かる。人間は必ずしも時間の経過とともに年を取ってゆくものではない、ということも分かる。行きつ戻りつしながら人間は年を取ってゆくものらしい。それもまた悪くはない。
 その時にはまったく分からないことなのだけど、何か大事件が起こる直前に撮った記念写真の中で、私はずいぶんと不穏な表情をしているのに気がつく。自分は知らないうちに、運命は事前に本人の顔に表れているのかもしれない。そうだとすれば写真はやはり恐ろしいものだと思う。
 自分の顔をリアルタイムで見ることは誰にもできない。自分の顔が発するメッセージは身近な他者が受け取ってくれるけれど、それを的確な言葉に変換してリアルタイムで投げ返してくれることは極めてまれである。つまり、自分がどんなメッセージを周囲に発信しているのか、本人は分からないまま人間は生き続けている。
 あまり言いたくないことだけど、自分でも知らないうちに不穏な表情をしている人間は、事件や事故を自分から引き寄せてしまうのかもしれない。そう考えてみることもできるだろう。結局、笑う門には福来る、ということわざはいろいろな意味で正しい、という当たり前の結論に達することになる。
 だから、心身の健康を心がけて、そのうえで、唐突ではあるけれど、かつてパリの雑踏で出会ったひとびとが見せていた、自然な笑顔と緊張感を身につけて私は生きてゆきたい。パリで撮った記念写真を見直して私はそう思った。
 パリのひとびとに比べると、日本人はあまりにも無愛想で、そのくせ隙が多すぎると私は思った。それが、私がパリの雑踏を写し歩いて得た一番の感想である。
 日本人は悪に対する耐性が極めて弱い、ということを路上スナップをたしなむ写真家は、外国に行かなくとも身にしみて知っているはずだ。それもその時の体験から得た教訓である。
 つまり、この世界のもろさも軽薄さも、あるいは暖かさもしたたかさも、我々写真家は誰よりもよく知っている。優れた写真家は、いつのまにか予言者になることさえある。そのことが私に不思議な勇気を与えてくれる。
 記念写真を整理していて、そんなところまで私の考えは飛んでしまった。とりあえず、笑顔で記念写真に写ることをこころがけたい。写真家としても尊敬している宮本常一の、あの素敵な笑顔には遠く及ばないけれど・・・。


[ BACK TO MENU ]