モノクロームの夢

モノクロームの夢をみるひととコーヒーを飲んでお話したい、と私の友人が相変わらずおしゃれなことを言っている。 それについて何かを書こうと私は思ったのだけど、まず、どこでどんなコーヒーを飲むのだろう、とあまり関係無い情景を私はあれこれ想像している。ホットコーヒーだろうかアイスコーヒーだろうか。砂糖やシロップは入れるのだろうか。ミルクは入れるのだろうか。そうするとコーヒーの色は真っ黒ではなくなってしまうけれど、それは夢と何か関係があるのだろうか。あるいは、ホイップクリームをコーヒーにのせて、あなたはそれを美味しそうに口にするのだろうか。そして、私はコーヒーはブラックが好きだということをあなたは今でも憶えていてくれるだろうか・・・
 こんなふうに、それこそ堰を切ったように、そんな暖かくてささやかな情景があふれてくるのに私は驚いている。そんな美しくて懐かしい場所から私はずいぶん長い間、遠ざかってしまっていたのかもしれない。それを思い出させてくれただけでも私は友人に感謝しようと思う。それでも、モノクロームが似合う情景でコーヒーをふたりして飲む、というのはあまり若いうちには無理なことかもしれない、とも思う。
 話は変わるけれど、私はモノクロフィルムで写真を撮り始めたので、十代の頃から今にいたるまでずっとモノクロームで撮り続けていることになる。それと並行して、本気でカラーで撮るようになったのは二十代の終わり頃で、自分で言うのも何だけれど、その時は、お前がカラーで撮るのか、と友人たちからずいぶんいぶかられたのを憶えている。カラーで撮り始めたきっかけは、中平卓馬さんと桑原甲子雄さんのカラー写真だったと思う。
 十代から二十代の頃の私にとって、モノクロフィルムで撮り続けるというのは、もしかしたら、荒海にほんろうされる小舟にしがみついているようなことだったのかもしれない。でも、あの頃の私はそれが写真だと思っていたし、それが面白くて仕方が無かったのも確かだった。またまた自分で言うのも何だけど、ずっこけたりしながらも、その過程でいくつかの名作をものすることもできたのだから、それでよかったのだと今は思う。
 そして、言うまでも無いことかもしれないけれど、モノクロームでいい写真を撮るのはカラーで綺麗に撮るよりも格段に難しい。自分の日常をモノクロームで撮って、それをどこに出しても恥ずかしくない作品に仕上げるのはもっともっと難しい。そのかわり、モノクロームの名作はいくら時間が経っても古びることが無いし、旧作と新作を一緒に並べてもまるで違和感が無い。それがモノクロームのメリットだと私は思う。写真に感情をこめることは私はしないけれど、モノクロームには作者の手触りや肌触りが濃厚に投影されるのは確かだろう。だから、私はモノクロームはデジタルではなくてフィルムで撮りたい。逆に言えば、カラーはフィルムでもデジタルでも鮮度が第一の「なまもの」だと私は思う。ワインで言えばボージョレヌーヴォーみたいなものかもしれない。
 日曜日に盛岡の町を歩く時も、あるいは旅に出る時も、私はモノクロームで撮るかカラーで撮るか、ほとんどその時の思いつきで決めている。撮り始めてから、今日はカラーにすればよかった、とかモノクロームにすればよかった、と思ったことは一度も無い。色を意識して撮ることもほとんど無いような気がする。
 今日は盛岡の町で、美しい毛並みの大きな犬を連れた年配の男性に声をかけて写真を撮らせてもらったけれど、私はファインダーの中で、風になびくような銀色の毛並みと、男性の白髪まじりの長い髪やひげを眺めながら、一瞬、今日はモノクロフィルムにしてよかった、と思いながらカメラのシャッターを押した。
 十数年前、パリやフランスの町を歩いた時はカメラを二台下げて、モノクロームとカラーの両方で撮ったけれど、歩きながら、どちらのカメラで撮ろうかと迷ったことはまるで無かった。今思えば不思議なのだけれど、自然に手がしかるべきカメラに伸びて写真を撮ってしまっていた。後日その写真で個展を開いた時は、モノクロプリントとカラープリントをごちゃまぜにして展示してみた。しかし、それがまったく違和感が無かったのも我ながら不思議に思う。
 だから、モノクロームとカラーってそんなに違うものなんだろうか、と今の私は思っている。盛岡で親しくさせていただいている写真家から、私は色で撮るけれどあなたは光と影で撮る、と言われたことがあって、なるほどと思ったのだけど、それと関係があるのかもしれない。ただ、光と影で撮ると言っても私は色がじゃまだと思うことも無い。写真は目の前にあるものに文句をつけても始まらない。ただ、私のカラーの展示を見てくれたひとから、次はぜひモノクロームで、と言われることが多いのも確かである。
 そこでようやく冒頭の夢の話になるのだけれど、私は夢の中で色を意識することがほとんど無いのです。まれに、夢の中で手にした色紙の隅が金色に輝いていた、というようなことを憶えているくらいだから、私の夢はふだんはきっとモノクロームなんだろうと思います。
 まるでモノクロプリントの銀の粒子が流れるように霧が流れてゆく、というなかなか素敵な夢をみることがあります。あるいは、プリズムをのぞくように、私の夢は場面ごとにモノクロームになったり淡いカラーになったりするような気もします。
 そのかわり、私の美しい思い出の多くは青空や青い海、あるいは深みのある赤といった鮮やかな色彩とともに記憶されています。
 今年は十何年ぶりにどこかで会って、美味しいコーヒーを飲みながらそんな話をしましょうか。モノクロームがよく似合う情景ですね。まずはお元気でお過ごしください。


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