縄文人ふたたび

ジャズ喫茶で「ニューヨーク・アート・カルテット」というレコードを聴かせてもらった。これは、同名の四人編成のグループが、一九六四年にフリージャズの名門レーベル、ESPレコードに録音したもので、メンバーはジョン・チカイのアルトサックス、ラズウェル・ラッドのトロンボーン、ルイス・ウォレルのベース、ミルフォード・グレイヴスのドラムスである。誰がリーダーなのか私は知らないし、演奏を聴いてもそれは判然としない。四人ともフリージャズのつわものとして知られる達人だと私は思うけれど、ほかの場所ではまず名前を聞くことの無い音楽家である。曲はすべてメンバーのオリジナルのようである。
 このグループにはもう一枚、フォンタナというこれまたフリージャズの名門レーベルに録音があって、こちらの録音ではベースがジョン・コルトレーンのグループにいたレジー・ワークマンに交代している。ここではスタンダード曲もいくつか演奏しているけれど、私はオリジナル曲ばかりのESP盤の方が好きである。スタンダードを演奏すると、どうしてもメロディやハーモニーを重視することになるし、それは彼らの音楽には似つかわしくないと私は思う。
 リズム、メロディ、ハーモニーが音楽の三要素だ、と私は中学校の音楽の時間に恩師に教わった記憶があるし、ジャズではさらにアドリブ(即興)とインタープレイ(メンバーどうしやお客とのかけあい)が大事である、ということはジャズをきちんと聴くひとなら誰でも知っている。
 しかし、この「ニューヨーク・アート・カルテット」が聴かせる音楽は、そんな音楽の三要素が未分化のままで息づいているように私には思える。そして、どちらかと言えばメロディやハーモニーよりもリズムが優先されているし、アドリブもインタープレイも他のジャズよりもずっとぶっきらぼうと言うか素朴である。
 ジャズ喫茶の奥さんは「これは自然の音ね」と言っていたけれど、これは他のどんな音楽とも似ていないと私は思う。フリージャズの巨人と言われるオーネット・コールマンともアルバート・アイラーともセシル・テイラーとも、もちろんジョン・コルトレーンとも彼らの音楽はまったく似ていない。一九六四年のニューヨークにどうしてこんな音楽が現れたのか、本当に不思議である。
 今になって私がこのレコードを聴きたくなったのは、もしかしたら、縄文時代の音楽に通じるものがここから聴き取れるのではないか、と思いついたからだ。ミルフォード・グレイヴスの、なんとなく先史時代を思わせるドラムスはポール・ブレイやジュゼッピ・ローガンのレコードで聴いたことがあるから、彼が参加しているこのグループなら、ピアノが無い分、より縄文時代に近い何かを聴き取れるように私は勝手に思い込んでしまったわけだ。
 余談かもしれないけれど、フリージャズの音楽家には先史時代の音楽に大きな興味を寄せる方がおられるようで、日本の打楽器奏者にも縄文時代の太鼓を再現しようという試みを続けて、考古学者と深い交流をお持ちの方がおられるらしい。考古学の本に、突然フリージャズの音楽家の名前が出てきて私は驚いたことがある。
 それでも、私のそんな思い込みで「ニューヨーク・アート・カルテット」を聴くのは正当な音楽の聴き方ではないのだろうと思う。しかし、それによって私はこの音楽を以前よりもずっと興味を持って楽しく聴くことができる。これも音楽の楽しみ方のひとつ、音楽に入ってゆくきっかけのひとつとして許してもらえるのなら私はとても嬉しい。それに、縄文時代の音楽を聴くことは不可能なのだから、今、この世界に残されている音楽を手がかりにしてそれについて想像を膨らませる外に方法は無い。
 それにしても、この「ニューヨーク・アート・カルテット」の音楽はいったい何を伝えているのだろう。前に書いたように、ぶっきらぼうで素朴で、他のどんな音楽とも似ていない。私の感情をここに思い入れることはできないけれど、それでも奇妙に懐かしい。そして「ニューヨーク・アート・カルテット」の名前のとおり、メンバーに日本人はいない。ミルフォード・グレイヴスはジャマイカに、ジョン・チカイはデンマークにルーツがあるとのことである。そんな音楽が乾いた懐かしさを誘う。
 もとをたどれば音楽は何でもひとつに行き着くのさ、と安易に思い込むことはしたくない。でも、音楽の原初はこれに近いものだったのではないか、と空想することは許されると思う。 縄文時代の音楽について、しろうとの私はこんなふうに勝手な思い込みを重ねてゆくしかないのだけれど、すべてのアートはリアリズム以外の何物でもない、という鉄則はここでも揺るがないだろう。つまり、真剣に製作されたものは、すべて作者に聞こえていたとおり、見えていたとおりのものを表現している。ならば、この音楽は彼らの奥深くで鳴っていた音をそのまま表現したもので、それがどこか奥深いところで我々にもつながっている。私はそう考えてみる。
 幸いなことに、音楽ではなくて縄文時代のアートならその断片が豊富に残されている。そこから、我々からかけ離れてはいるけれど、どこかしら懐かしい不思議なメッセージを読み取ることは可能だと思う。
 我々にはまったく意味が不明な縄文土器の文様は、何か切実なものをリアルに表現しているはずだし、我々にはデフォルメにしか見えない鼻が曲がった仮面も、あるいは宇宙人にしか見えない土偶も、彼らが生きていた世界をそのまま伝えているのだと私は思う。縄文人にとって、世界があれほど豊かで素朴で情熱的で奥が深いものとして存在していたのなら、彼らは我々とは比べものにならないくらい幸せに生きていたのではないだろうか。
 縄文時代は平和なユートピアだった、という見解も、逆に今の我々には想像もつかないほど苛酷な暮らしだった、という見解もともに間違っていると私は思う。人間が暮らす限り、平和なユートピアなどあるはずがないし、もしそうなら、たった一万年程度でそのユートピアが崩壊してしまうはずが無い。 縄文時代の暮らしが厳しかったのは当然のことだけれど、彼らはその後の時代を知らないのである。生まれた時代の中でひとは精一杯生きて死んでゆく。縄文人も我々も、それはまったく同じはずである。そして、縄文人は弱者に対する深い思いやりを持ち合わせていた。それを裏づける証拠はたくさん出土している。そんな暖かくて素朴な世界の中で、あのような情熱とともに生きることが不幸であるはずがない。
 縄文人の平均寿命は三十歳前後だったという研究がある。幼年期を生き延びて、十代なかばで結婚して子どもを産めば、三十歳になる頃には次の世代が成長する。ならば、人生がそこで終わってしまっても、それほど悔いるほどのことではなかったのかもしれない。そして、それよりも長生きできた少数のひとは長老として尊敬されたのだろう。つまり、人生のピークが性に目覚める十代なかばにやってくるわけで、これはとてつもなく幸せなことではないかと私は考えたくなる。
 おそらく、世界がいちばんみずみずしく鮮やかに見えていたのは、誰であっても性に目覚める頃、十代なかばだったのではないだろうか。その時がどんな世の中であっても、そのことにはおそらく関係が無い。だから、ひとは誰でもその頃を特別な懐かしさとともに記憶している。縄文人がそのみずみずしい年代に大人として認められ、結婚して子どもをもうけ、豊かな自然と深い精神性の中で生きてゆく幸せに私は嫉妬するばかりである。彼らの生活の苛酷さは当たり前のことであって、それをあげつらうのは我々の傲慢なのだと私は思う。
 ところで、人間を含めた霊長類の平均寿命はもともと三十歳前後だとのことである。そして、私は三十歳を少し過ぎた頃にうつ病で倒れた。同時に髪に白いものが混じり始めた。青春の終わりというものがあるのならば、私にとってはあの時である。それ以前がまるで前世の自分であるように思えるし、今の私がひたすら懐かしく思い出すのはすべてその前世の出来事である。あの時に私は死んだのだという気がする。
 大げさな言い方ではあるけれど、死を通過しないと表現は不可能なのかもしれない。三十歳以上生きた縄文時代の長老は皆そうだったのかもしれない。彼ら長老たちが縄文の音楽やアートを次の世代に伝えたのだろう。
 私はこの時代をこれからもひたむきに生きてゆくし、今の方が、かつての「前世」よりもずっと幸せなのもたしかだけれど、それでも私は、あの、すべてが無条件にみずみずしく輝いていた頃をひたすら懐かしく思い出す。それをこれからも絶対に忘れたくない。そして、豊かさと素朴さに包まれた、あの懐かしい感触を時折はよみがえらせたい。もしかしたら、それを願って私は写真を撮り音楽を聴いているのかもしれない。
 もういちど、私は「ニューヨーク・アート・カルテット」を聴き直したい。注文していたそのCDがそろそろ届く頃である。我々から見れば、短くて苛酷な人生を送った縄文人の深い歓喜にも思いをはせてみたい。


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