月日は流れ わたしは残る
盛岡では立春を過ぎても真冬の天気が続いていたけれど、光は明るくなってきたし、時折は雪ではなくて雨が降るようになって春は近づいている。今まで引き締めていた身体が少しずつ緩んでくる予感がある。温暖化のせいなのか気象が極端になっているのはたしかだけれど、人間の営みとは無関係に地球は回っているのが感じられるようで嬉しい。
それでも、十数年前、心身の病に苦しんでいた頃は、こんなふうに律儀に地球が回って毎日が過ぎてゆくことが私には耐えられない苦痛だった。病気のせいで思い上がりが過ぎて、自分が地球上の生き物に過ぎないことがきゅうくつに思えた。あの頃は、冬になると悪い夢ばかりみていた。もうそんなことは思い出したくない。
こうして病から回復して時間が過ぎて、私は再びあれやこれやとひと並みに忙しそうに暮らしている。それでも、たまにふっとひまになると図書館に行って古い新聞の縮刷版をながめたりする。お金もかからないし退屈することも無くてなかなか面白い。ぼんやり無為に過ごすことができる。
たとえば、私が幼かった頃の新聞をながめてみると「サザエさん」はまだ連載が続いている。その大半は単行本で読んだ記憶がある話だけれど、こうして当時の新聞の中で読み返すと、また別の印象があって面白い。そんな落差が時代の気配を語るのかもしれない。
当時は今よりのんびりしていたこともあったとは思うけれど、この時代に私が今の年齢の大人として生きていたら、やはり息苦しくて生きにくいと思いながら生きていたに違いない、と納得できる。この時代よりももう少し後の、私の少年時代は今でもとてもなつかしく思い出すことができるけれど、それでも世の中はいつだっていい時代であったことは無かったのだろう。それにもかかわらず、美しい思い出は時代が変わっても色あせることはない。
それに思いいたると、不思議なことにひとは老いることが無くなるみたいだ。いつのまにか大相撲の力士もプロ野球の選手も全員が私よりも年下になったし、古典文学の世界ではもうとっくに世をはかなんで出家してもおかしくない年齢になった。つまり、もう無理に世の中についてゆこうとする努力をする必要は無い。ここまで来ると本当に気楽なものである。前回書いたように、これからは自分の「ミッション」をはたすように生きてゆけばよい。
ただし、この調子で世の中が進んでゆくと、いずれまた原子力発電所の大事故が起きるだろうし、そう遠くない将来に大地震や火山の噴火も起きる。その時、日本にいる限り安全な場所はどこにも無い。その前にお金の価値が崩壊するかもしれないし、いつ何が起きるのか誰にも分からない。
広範囲に火山灰が降るような噴火が起きるとこの文明は壊滅的な損傷を受けるというし、さらに大きな噴火が起きれば国が滅びる。その可能性は常にゼロよりも大きい。そして、今は温暖化で騒がしいけれど、遠い未来には地球全体が氷に閉ざされるようになってそれが何万年も続くとのことである。
いずれ我々が滅びるのは明らかであるし、こんなにぜいたくに思い上がって生きている我々がそんなに長く生き延びられるとも私には思えない。平和に生き延びたとしても、何事も二十世紀までにすべてやりつくされてしまって、これから何か新しいものが生まれるとも私には思えない。せいぜいバーチャルワールドの中で夢をむさぼるのが関の山であろうか。ドラッグ中毒と同じである。外の世界よりも先にバーチャルワールドを知ってしまう今の子どもたちが哀れでならない。
それでも、そうであってもこうして冬が終わって春がやって来る。生き続ける限りこのサイクルは繰り返される。それに反応しようという意志を持ち続ける限り身体は自然とともに在る。そして、それこそが写真ではないか、という奇妙な確信が私にはある。今年もまた、めぐる季節を見つめてゆこうと思う。それが人間の営みに、私なりに誠実につきあうことになるだろうから。
「月日は流れ わたしは残る」というアポリネールの詩の一節を私は思い出す。この有名な「ミラボー橋」という詩が、ようやく私にも納得できるような気がしている。