トランプをヒラリめくれば・・・
ドナルド・トランプという政治経験の無い実業家がアメリカの大統領に当選した。もちろん私にその正否を論じる資格は無い。あの日、量子物理学で言うパラレルワールドが分岐して、我々はトランプ大統領が実現する世界に踏み込んだのだな、と私は役に立たない感慨にふけるばかりである。ただ、それによって何かが刺激されて、世の中の沈滞がいくらか避けられるということはあるのかもしれない。今は、歴史の移り変わりを目撃するまたとない機会と言えるのだろうか。
それにしても、彼が大統領に当選する可能性は事前から充分に高かったのに、それを真剣に検討することもなく今まで浮かれ騒いでいたマスコミとは何なのだろう。そして、いざ「トランプ大統領」が実現することが決まると、それを番狂わせと言ってのける彼らの厚顔ぶりに私はあきれる。
彼らは、しばしば思いこみと事実を混同して突っ走るけれど、それが外れても自分たちの失態を反省することが無い。そのうえ、新しい大統領の可能性を冷静に検討することも無くて、事態を静観することさえできずに相変わらず浮かれ騒いでいる。彼らの怠慢は日本もアメリカも同じみたいだ。
要するに、今は、馬脚を現しても何ら恥じることが無いマスコミの生態を見極める、これもまたと無い機会と言えるのだろう。もちろん、それは今に始まったことではなくて、昔のマスコミも戦争をさんざんあおっておきながら、負けてしまうと「一億総ざんげ」とかいう都合のよい文句をあみ出して、みずからの責任から逃げてしまっていたはずだ。これは、連中のどうしようも無い悪徳だろうか。マスコミは信用するものではなくて利用するもの、という鉄則を思い出しておきたい。
五年前の大地震と原子力発電所の事故の時は「想定外」という無責任きわまりない言葉が使われた。それにひきかえ、今回の「トランプ大統領」は充分に想定できることだったのに、マスコミや日本の政府のあわてぶりはもはや喜劇的である。それに比べれば、これから誕生する「トランプ大統領」本人の方が格段にしたたかであろうと私は思う。
選挙戦が終盤に近づくにつれ、しだいに男前が上がり、当選後は一夜にしてある種の貫禄を身につけた、このドナルド・トランプというひとはただ者ではないはずだ。このひとは見事に我々の気持ちをつかんで頂点に登りつめ、そこでまた脱皮して次の戦場に備えている。私はそんな気がする。マスコミや日本の政治家のほとんどは彼に太刀打ちすることはとてもできないだろう。これからいったい何が始まるのか、私はとても楽しみである。
このひとはヒトラーのように、圧倒的な世間の支持を集めて頂点に登りつめたわけではないし、我々の総理大臣のように、周囲の無能あるいは無気力によって君臨を続けているわけでもない。実業家としての失敗も数多いとのことである。それだけこのひとは老獪だということになるだろう。それを私は忘れないでおこうと思う。
マスコミや日本の政治を動かしている、組織から離れたことの無い優秀な人間は、こんなアナーキーな事態に対処することが原理的に不可能なのかもしれない。結局、そんな組織やら世間からほんの一時でも自由になって、つまり、「我々」から「私」にもどって考えて生きることができるのなら、べつに怖いものは何も無いはずである。それが今回の騒動の教訓になるような気がする。
トランプ氏が当選した日の新聞を私は押入れの奥に仕舞っておくことにした。四年後に読み返すのが今から待ち遠しい。そして、もう半年くらい前だと思うけれど、「トランプをヒラリめくれば秋が来る」という時事川柳が新聞に載っていたのを私は憶えている。これは、歴史に残る名句ではないだろうか。