東京の山歩き

とりたてて言うほどのことでもないのだけれど、ひさしぶりに私は上京して山歩きをしてきた。奥多摩の手前にある御岳(みたけ)に一泊して、青梅の駅前を少し歩いてから高尾山を歩いて盛岡に帰ってきた。二日間ずっと雨に降られてしまったけど、幸いなことに山歩きをしている時だけは降られずに済んだ。立川より西の東京に私は行ったことが無かったし、その立川に行ったのさえもう三十年も前のことになる。このあたりは、もしかしたら青木名人のフィールドなのかもしれないけれど、青木さんどうか笑って許して下さい。
 私が小笠原に行ったことを知っている盛岡の友人からは「東京のへき地めぐりだね」と言われてしまったけれど、どうしてこうなってしまったのか私にもよく分からない。ただ、大都会のすぐそばに御岳のような山里があるのは私には以前からとても面白そうに思えた。御岳はひとりで、高尾山は東京の知人の誘いでそのひとと歩いたのだけれど、世界に冠たる大都会、東京の奥深さがここにも現れているように私は思った。
   なるほどパリの近郊にはこんな山里も手軽に登れる山も無い。高尾山は東京のすぐそばの山ということで今や世界的にも有名だとのことである。高尾山の登山道は日本人だけでなくて世界中のひとが歩いていた。私は、ここも東京なんだなという思いを新たにして盛岡に帰ってきた。
 東北新幹線で東京駅に着いて、東京駅の雑踏の中を歩いて中央線に乗り換える。その電車が西に向かうにつれて、乗り降りするひとびとの顔つきが微妙に変わってゆくのが分かって面白い。田舎では電車に乗って町をいくつか越えてゆくと、ひとびとの顔つきが変わるのが分かるけれど、東京でもそれは同じなのだと分かって妙に安心する。そして、これだけひとの行き来が激しい世の中なのに、まるで江戸時代のような地域性がひとびとの顔つきに現れているのが不思議だとも思う。いくら世の中が進歩しても変わらないものはたしかにあるみたいだ。
 その意味で、東京はやはり日本のひな型なのかもしれない。今も残る東京の地域性は、都心の雑踏ではなくて周辺の山里を基準にしてみるとよく見えてくるのだろうか。
 立川を越えて青梅にさしかかる頃になると電車はだいぶ空いてくるし窓の外の町並みもだいぶ落ち着いてくる。もっとも、これは古き良き東京を残すために行政も何らかの施策を行っている成果なのかもしれない。それでも、青梅を過ぎるともう文句なく山里の景色である。何だか江戸時代の痕跡がそこにより強く現れているように思えてとても面白い。この山から切り出した材木を多摩川に乗せて下流まで運んで、それを使って江戸の町は造られたということは私も知っていた。そして、御岳駅に降りると大気に杉の材木の香りがただよっている。駅のホームからは山里の景色が見える。私は逆に、小笠原の母島に着いた時に熱帯の花の香りがそこにたちこめていたのを思い出した。そんなふうに、固有の自然の香りを持っている場所はとても素敵だと私は思う。
 駅前で美味しいそばを食べてから、観光案内所でもらった地図を頼りにケーブルカーの駅まで私は歩くことにした。バスに乗れば簡単なのだけど、それでは町並みを写し歩くことができないし、せっかく来たのだから少しは山歩きもしなくてはならない。
 駅前の町並みを歩いてから多摩川にかかるつり橋を渡って、小一時間かけて荷物をかついでケーブルカーの駅までの道を登るのはなかなかいい運動になる。曇天のもと、汗びっしょりになって、それでも時折カメラのシャッターを押しながら私は歩き続ける。広い舗装道路なので、道に迷ったり熊に会ったりすることが無いのが安心である。
 無事ケーブルカーの駅までたどり着いて、ケーブルカーで山頂近くまで登って、そこから少し歩いてお寺の宿坊のような宿に到着する。都心で用事を済ませてきたのでもう夕方になっていて、あいにくの曇天なので夕焼けも夜景も見ることは出来なかった。それでも、山上の神社の参道から下界を見るのはとても気持ちがいい。宿で風呂に入って夕食をいただいて少しお酒を飲んで、疲れているので私はすぐに眠ってしまう。
 汗をかいて歩きながら私は思い出していたのだけれど、近代の日本文学が扱ってきた問題なんて身体を動かして汗をかけば消えてしまう程度のものではなかったのか、と言っていた小説家の言葉が得心できて愉快だった。写真を撮るにしても、こんな時は山道を登りながら単純にスナップするだけなので、町を歩く時よりも余計なことを考えることは少ない。誰もいないのをいいことに、私はおかしな歌を歌いながらシャッターを押し続けることになる。写真なんてそれでいいのかもしれない。
 雨降りのせいで、御岳でも青梅でも高尾山でもあまり写真を撮ることができなかったのが残念だったけれど、そのかわりひと混みにぶつかることなく歩けたのかもしれない。そして、それぞれの場所で出会ったひとにはとても親切にしてもらった。これも東京の奥深さなのだと私は思う。御岳の宿を紹介して下さり、高尾山に私を連れ出して下さった知人に感謝するばかりである。
 またいつか私は東京の山里を歩いてみたい。日本のひな型としての東京の奥深さにもっと思いをめぐらしてみたい。そこでどんな写真が撮れるのか、どんなひとに出会えるのか、もちろんそれもとても楽しみである。帰ってからしばらく脚に筋肉痛が残ったのもいい思い出になったし、御岳のケーブルカーの駅で食べたまんじゅうも、宿で口にした地酒もとても美味しかった。


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