記憶から記録へ

この八月から九月にかけて、行きつけのカメラ店の空きスペースで私はささやかな展示を続けている。今年の春に部屋の整理をしていた時に出てきた、フランスで撮ったモノクロ半切プリントである。会場はその二十枚を一度に展示する広さが無いので、十点ずつ前半と後半に分けての展示になった。
タイトルは「パリ/フランス 2000年3月」である。首都パリや詩人ランボーの故郷として知られる小さな町シャルルビル・メジエール、そこからの帰途に立ち寄った古都ランス、この三つの町をひとりで歩いて撮り続けた写真である。
今からもう十六年も前、同時多発テロの前年、おそらく今よりもずっと平和だった頃のパリやフランスの田舎のささやかな記録、という意味合いも出ているかもしれない。写真もお酒のように熟成するのだろうか。これも写真の不思議な力のひとつかと今の私は思う。
 これは、六切りモノクロプリントやカラーで撮った写真と一緒に、その頃私が住んでいた長野県上田市での二〇〇四年の個展「パリ/フランス」で展示している。しかし、盛岡で二十点すべてを飾るのは初めてである。
 展示には、それ以前の軽井沢での個展で使った、ある木工作家に作っていただいた半切プリント用の特注の額を使った。ネガを見直して新しいプリントを数枚作ったり、少し気に入らないプリントをやり直したり、手製のチラシを作ったりしたくらいだからお金は大して使っていない。作者としては実に気楽な展示なのだけれど、それによって私が新たに気づかされたことはたくさんあった。これはもちろんありがたいことなのだけれど意外なことでもあった。旧作のささやかな展示であっても、それが作者にとっての写真展の魅力だろう。
 その手製のチラシは、なじみの喫茶店や中古レコード店で貼ってもらったり、盛岡市内の友人に送ったり、職場で配ったりしたくらいで大した宣伝をしているわけではない。ただ、昨年の個展で取材に来てくれた地元紙の記者にも送ったので、展示期間中は地元紙に小さな告知をずっと載せてもらっている。
 展示の初日、行きつけのジャズ喫茶でチラシを配った折、たまたま居合わせた見知らぬ年配の女性にもひと声かけてチラシを手渡した。その女性はチラシに熱心に目を通して下さってからそれをハンドバッグにしまって、「ありがとうございます」と私にあいさつをして店を出て行った。
 その翌週、私は展示会場に顔を出して感想ノートに目を通してみると「ジャズ喫茶でチラシをいただきました。六十六歳の誕生日に素敵な写真に出逢うことができました。ありがとうございました。」という無記名の書き込みがあった。
 それを読んだ私は何だかしみじみと嬉しくて、こんな時、いったいどんな言葉を紡げばよいのだろう、と思うばかりなのである。
写真なんてまるでお金にならないことだけれど、こんな感慨はいくらお金を積んでも得ることはできないだろう。これが写真の幸せ、写真家の幸せなのだろう。「お金にならないけれど、いくらお金を積んでも手に入らないもの」もしかしたら、それが写真なのかもしれない。このフレーズは私の新しいスローガンになりそうな気がする。またお目にかかれるかどうか分からないけれど、名前も分からないその女性に私は感謝するばかりである。
 これを書いている今はまだ展示が続いているし、展示期間の前半はパリの写真を中心に、後半はシャルルビル・メジエールやランスの写真を中心に、ということになっている。だから、展示がすべて終了するまでどんなひとが見て下さってどんな感想を記して下さるのか分からない。私は日曜日ごとに会場を訪れて自分の旧作をながめて、ノートに書き残して下さった来場者のご感想に目を通す。
 この写真を撮った頃の私は心身の病気に苦しんでいて、それをはねのけての初めての海外旅行で、でも旅行中は心身ともに絶好調だった。しかし、そんな個人的な思い出は十六年も経つともう記憶の彼方に遠ざかってしまっている。写真だけが残ってこうして今も様々なことを語りかけてくれる。これが記録ということなのだと私は思い知る。
 このフランスの旅で私は何かを脱ぎ捨てたのだと今にして思う。これ以前の私の写真は、もはや個人的な思い出にしか過ぎなくて、こんなふうに今さら発表する気にはとてもなれない。その「脱皮」は病気の効用でもあったのだろう。
 今になって、なぜ十六年前の写真をまた展示してみたくなったのか、実は私自身にもよく分からない。あれから年を取って、私はまた何か曲がり角にさしかかっているのかもしれない。
 この、フランスの旅より前の、今となってはまるで前世のような古い思い出に浸りたくなったら、私はそのかわりにこの写真の群れを思い出すことにしよう。あるいは小笠原の青い海と空を思うのもいい。そんなふうにして、ひとは記憶から自由になってゆくのかもしれない。


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