中平卓馬/反「私写真」論

六月のなかばに私は風邪をひいて仕事を一日休んでしまった。その日は一日、寝床に横になって休んでいたのだけれど、うまく眠れなくなるとふだんはあまり目を通すつもりになれない本を開いてみたりする。私はその日、引き出しの奥にしまっておいた中平卓馬の特集本をぱらぱらとめくってみた。二〇〇九年に河出書房新社から出た「中平卓馬 来るべき写真家」である。熱中してその文を読む気にはなれないけれど、寝床に横になったまま本を手に取ってぼんやりあれこれ思い出したり考えたりしてみる。それが嫌になると、うとうと眠りに落ちる。失礼な言い方ではあるけれど、健康という言葉がいまひとつ似合わない写真家について考えるのにいい機会だったかもしれない。
 中平卓馬ほどその評価が極端に揺れ動く写真家はいないのではないか、というのが今の私の感想である。その生活と写真は、ほとんど取るに足らないものに思えることもあるし、逆に、中平卓馬がいなければそれ以降のすべての写真は無効になってしまうほど巨大な存在に思えることもある。どちらが正しいのか、あるいはどちらも正しくないのか、それは今のところ誰にも分からない。
 私が二十歳になる頃、国会図書館に出かけて中平卓馬の「来るべき言葉のために」と「なぜ、植物図鑑か」を一日中ながめたり読んだりしたことがあるし、その数年後、森山大道さんの小ギャラリーで中平さんにお目にかかって、一緒にお茶を飲んだり持参した写真を見てもらったこともある。それは今思えば夢のような貴重な経験だったけれど、その思い出や私が接した中平さんの人柄が、おおやけに語られる中平卓馬の業績とうまく合致しないのもたしかである。どの方向から近づいていっても、中平卓馬の生活や写真は極端から極端に揺れ続けるみたいだ。
 だから、中平卓馬は「来るべき写真家」ではなくて「乗り越えられるべき写真家」ではないかというのが私の思いである。しかも、いちどだけでなくて、何度も何度も繰り返し乗り越えられるべき写真家ではないのか、と私は思うのだ。ジャズの世界に「ミュージシャンズ・ミュージシャン」という言葉があって、これは、熱狂的な聴き手もいるけれど、どちらかと言えば同業のミュージシャンに深い示唆を与えるカリスマのことを言う。中平卓馬こそ「フォトグラファーズ・フォトグラファー」ではないのだろうか。
 その後、私は中平さんの写真集「新たなる凝視」を手に入れたし、篠山紀信との「決闘写真論」の文庫版も手に入れた。十年以上前に横浜美術館で開催された中平さんの展覧会にも出かけて、その図録も購入した。その展覧会でいちばん衝撃的だったのは「新たなる凝視」の原稿になった数百枚ものモノクロプリントを見たことだった。あの衝撃は今も私の中に生きているし、それを乗り越えることはこれからも難しいだろう。けれども、中平卓馬をすっかり忘れて写真にかかわっている私を見出すことも多くあって、結局、中平卓馬という写真家は本当によく分からないのだ。
 ただ、私にこんなことを言う資格があるのかどうか分からないけれど、中平さんがかつて政治活動に深くかかわったことだけは写真家として大きな誤りだったのではないか、と私は思っている。素直にたくさん撮れば撮るほど何を撮っても写真は作者の手を離れて普遍的な政治性を帯び始める。私はそう確信しているので、写真家が政治にかかわる必要は無いはずなのだ。もちろん政治的なドキュメンタリーなど論外である。私自身、選挙の投票には必ず行くけれど、それ以上に政治にかかわるつもりはまったく無い。政治とはおそらく麻薬のようなものであって、それは昨今の政権与党の言動を見ているとよく分かる。
 それでも、私を含めて中平卓馬を必要としている写真家は今も数多くいるはずで、そのためにも中平さんの旧作や新作が手の届くところにいつも公開されていてほしい、というのが私の願いである。それは、中平さん本人がよく口にされる「写真の原点」なのだと私は思う。
 もうひとつ、中平卓馬の仕事はどういうわけか写真における「私」の問題とからめて語られることが多い。これも私にはよく分からない。中平さんと「私写真」にいったいどんな関係があるのだろうか。引き合いに出されること自体、中平さんにとっては大きな迷惑ではないかという気がする。
 ただ、この「中平卓馬 来るべき写真家」に収められている中平論の中に、荒木経惟さんに代表される「私写真」を痛烈に批判しているくだりがある。これほど当を得た「私写真」の批判を私は他に知らない。読んでいてとても安心する。
 写真やアートの雑誌で次々に紹介される「私写真」のほとんどすべてに私はあざとさや嫌悪感を覚えることしかできない。はっきり言って、こんな写真なんか見るんじゃなかった、と後悔するばかりで腹立たしい。あんなものを見せられると身体に悪いし、それこそ「中平卓馬を見て出直して来れば」と私は連中に言いたくなる。あんな程度のものを作品として世間に売り出そうとする根性が私にはまったく理解できない。
 「私写真」というのはこの世でただひとり、天才アラーキーだけに許された、極めて特殊な表現なのだと私は思う。それを優れたものにしているのは、荒木さんの比類ない魅力的な人柄と超人的なエネルギーであって、それに欠けているわれわれ凡人がその真似をすることは許されない。それを誰もが忘れている。
 荒木さんから学ぶべきことは他にたくさんあるし、わざわざ「私写真」なんか作らなくとも他にいさぎよい生き方はいくらでもあるし撮るべきものもいくらでもある。そもそも、写真に限らず「私」という袋小路にはまりこんでしまったら出口が無い。そして、言うまでもないことだけれど、荒木経惟は「私写真」だけの写真家ではない。
 それを承知のうえで、それでも「私写真」を作ろうとするならば、認知症のお母様をずっと介護されて、亡くなってから十年を経てようやくその写真集をまとめられた山崎弘義さんのようなとてつもない忍耐と優しさと冷静さが必要になるのだと私は思う。
 いずれにせよ、政治活動も「私写真」も私には無縁である。幸か不幸か、その才能が私には決定的に欠けている。そして、最後につけ加えるなら、中平卓馬の文章は決して読みやすいとは言えないけれど、中平さんがそこで言っているのはべつに難しいことではない。
 要するに、写真は写真家の意図を表現する「芸術」ではないのだから、なるべく素直にたくさん撮り続けよう、そうすれば意外な形で世界が立ち現れてくるし写真家の姿がそこにあぶり出されてくる。それが写真の最大の力であり魅力であるし、それを可能にするのが写真家の才能である。その実践のひとつとして、中平さんは今も写真を撮り続けているのだと私は思う。
 その意味では、私だって中平卓馬の弟子のひとりなのである。不愉快な政治のことも「私写真」のこともとりあえず忘れて、私はまた青空のもと写真を撮り続けたい。風邪も治りそうだから。 


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