我が心の友へ
「人の交わりにも季節あり」と言ったのは私の敬愛する南方熊楠である。彼は二十代から三十代にかけて、私費でアメリカやイギリスに遊学していたのだけれど、その貧乏生活のさなかにロンドンで知り合った革命家、孫文と交友を続け、帰国後に和歌山で再会を果たしている。しかし、それがふたりの最後の面会になってしまった。孫文の没後に熊楠がそれを惜しんで口にしたのが冒頭の言葉なのだそうだ。
そんな南方熊楠は、生涯にわたってたくさんの出会いに恵まれていた。彼の年譜をたどるだけでもそれを実感することができる。そのうえで伝記を読んでみると、市井に生きる無名のひとびとの暖かいはからいが彼を支え続けていたのが分かる。彼ほど素敵な出会いに恵まれたひとはそうたくさんはいないのではないか、憧れの気持ちをこめて私はそう思っている。彼はそんなひとびとと誠実な友情を交わして、しかし時期が来ると親友と決別して新天地へと旅立ってゆく。友情を大切にしながらも、熊楠は決してそれにほだされることは無かった。相手を大切にするのと同じくらい自分を大事にして、時が来るとさわやかに別れてゆく。ただ、孫文とはいちど別れた後の再会だけに、感慨もひとしおだったのだろう。そのうえで出てくるのが「人の交わりにも季節あり」という言葉である。
大げさなたとえになってしまったけれど、お正月が過ぎて寒波がやって来る時期になって年賀状の配達が終わった今、私は改めて「人の交わりにも季節あり」という南方熊楠の言葉を思い出している。
人間関係というのはなるほどゆるやかに流れてゆく川のようなもので、それは自分でも気がつかないうちにゆっくりと入れ替わってゆく。そんな当たり前のことを私はようやく認めることができる。南方熊楠のようなさわやかな別れを経験した記憶は私には無いけれど、それに憧れの気持ちをもつことができるようになった今、私はようやく少年から大人になったのかもしれない。まあ、中年の入り口にさしかかってそんなことを思うのもずいぶん間抜けではある。
そんなわけで、今まで手放すことができなかったものからこうやって少し離れてみると、それが実は重い足かせになって自分を縛っていた、ということが分かってくる。無くてもよいものを大事なものと思い込んで、自分がどれだけ不自由な思いをしていたか、ということも分かってくる。おかしなたとえだけれど、うつ病の薬をやめた後に、薬を飲まない生活がいかに楽なものかを思い知った、あの時の気持ちに少し似ている。深い青空を見上げるような、なんとなく心細いけれど身軽で自由なあの気持ちである。
気がつかないうちにひとは変わってゆく。それに耐えられないひととの関係は終わるしかない。そうであれば、せめてさわやかにその関係を終えてしまいたい。それがかなわない相手ならば、ひっそりと連絡を絶って離れてゆきたい。そんなことを私はようやく認めることができる。くどいようだけれど、長い時間をかけてひとは大人になる、ということかもしれない。
さようなら、という言葉の語源を私は知らないけれど、これは案外暖かい言葉なのかもしれない、と思ったりもする。運命が許すならまたいつかどこかで会いましょう、さようならとはそんな言葉なのだろうと私は勝手に思い込むことにしたい。なぜなら、思い出したくもない嫌な奴には「さようなら」という言葉をかける気にも私はならないから。
私の思い出の中でだけ生きているひと、おそらく今はその思い出からずっと離れたところで実際に生きているひと、そんな大切なひとに向かって、私はようやくさようなら、という言葉を贈ることができる。そんなひとが私に残してゆく空白には、きっと何か新しいものが生まれる余地がある。これを希望とか自由と呼ぶのかもしれない。
・・・とりとめの無いことばかり考えているので文章がいつも以上によくまとまらない。それも仕方が無いだろう。要するに、さようなら、という大切な言葉を遣うときくらいは感傷にひたってもよいと私は思うのだ。イルカの「我が心の友へ」という歌の歌詞をすべて引用してこの文を終えたいところだけれど、そうもいかないので、その中から「ひとつひとつづつ言葉をくり返しては この広い空の下で生きて行きます」という詞をここに記しておくことにする。もはやとるに足らないことかもしれないけれど、そんな私の感傷を今のあのひとは許してくれるだろうか。