春告げ鳥

盛岡にもようやく遅い春がやって来たようで、町から雪が消えて、あちこちの庭でクロッカスが咲き始めた。すべての花の先陣を切って、春の先駆けのように咲くこの花を私は勝手に「春告げ鳥」と呼んでいるのだけれど、この春告げ鳥は一斉に咲き始めるわけではなくて、私の見るところ、紫色の花がいちばん最初に咲いている。その次に黄色、最後に白が咲く。この順番は毎年同じである。それぞれ寒さが残る中で最初に現れ、春を告げ、次の花にその役目を引き継ぐ。紫、黄色、白という春告げ鳥の順番はそれを示しているように私には見える。
 この、春告げ鳥の花がすべてしおれてしまう頃になると水仙やチューリップが咲き始めて花壇に彩りが戻ってくる。そうなるともう雪の心配も無くなって春本番である。その頃、春告げ鳥は目立たないように細い葉を伸ばして早々と翌年の準備を始める。陽射しをいっぱいに受けて、盛んに光合成をして球根を太らせるのである。そして、夏が来る頃にはその葉も枯れてしまって彼らは地上から姿を消す。勢いのある夏の草花がその跡に咲き乱れることになる。やがて季節がめぐってまた冬が終わる頃になると、彼らは誰よりも早く地上に青い芽を伸ばしてくる。そんな、ひっそりとした春告げ鳥の生き方が私にはとても好ましく思える。 ともあれ、今年もようやく春告げ鳥が順番に花を咲かせる短い時間がめぐってきた。私にしてみれば、外を歩いていて気持ちが安らぐ季節の再来である。彼らは地下の球根が咲かせる花には違いないのだけれど、それはまるでどこか別の世界から飛来する小鳥のようにも思われる。私が勝手につけた「春告げ鳥」という呼び名も悪くないような気がする。
 こんな、可憐な生き物の律儀な営みがことさら気になるというのはどういうことなのだろうか。外の世界、つまり人間どもが繰り広げる世界の苛酷さやでたらめさ加減を知り抜いていたローザ・ルクセンブルクは、今から百年近く前、獄中にありながら、そこからかいま見える小さな生き物の世界や雲の行き来を細やかに観察して親友への手紙にしたため続けた。
 それは決してただの息抜きや気休めではなくて、そんなささやかな自然の摂理をいとおしんでともに歩もうとすることが、最高に強靭で優雅な戦いであることを彼女はよく知っていたのだと私は思う。彼女の肩書きは「革命家」と書かれることが多いけれど、イデオロギーの構築や人間どうしの争いに血道をあげるよりも、ひとりひとりがささやかな自然とともに生きることこそが革命であることを彼女は優しく教えてくれる。
 ただ、それは強靭ではあるけれど極めて繊細なことでもあるので、あまり言葉で説明しようとすると嘘になってしまう。だからなのだろうか、ローザ・ルクセンブルクはそのいとおしい気持ちをひたすら正直につづるだけであって、それを思想として語ろうとはしない。それが本当の優しさであり強さなのだろうか。
 それが分かってしまえばこれ以上何も書く必要は無くなるので、ひとは美しい沈黙に身をゆだねて素直に生きてゆけばよいのかもしれない。ただ、沈黙が持つ過剰なエネルギーを放置しておくのは危険なことでもあるので、才能があるひとはその沈黙を何か他のものに変換しようとして奮闘する。美しいアートはそんなふうに生まれるような気がする。場合によっては、その美しい沈黙を死と呼ぶこともあるかもしれない。不思議なことではあるけれど、生きる希望、生きる勇気がそこから生まれる。
 目の前のささやかな自然をいとおしむこと。するとそれが窓になって、広大な宇宙やどろどろした人間社会がよく見えるようになる。孤独が連帯に、絶望が希望に変わるのはそんな時かもしれない。私にとって、それは写真を撮り続けることにつながっている。
 敬愛するピアニスト、小林洋子さんのCDを聴きながら私はこの文章を書いてきたけれど、そのCDは「リトル・シングス」と題されている。そのライナーノートを引用させていただくと「日常生活や、友だちとの会話や、道端にころがっている ほんの些細なことから生まれた曲集です。」とある。
 すべてが終わってしまいそうな今の時代に、アートはもはやこういう場所からしか生まれないのではないか。私にはそう思えてならない。ブランショだったかカフカだったかが言った「目立たずに続けられるべきこと」である。
春告げ鳥が花を咲かせているうちに、私もなるべくたくさんあちこちの写真を撮っておきたい。まずは気持ちよく写真を撮ることを心がけたい。そこからすべてが始まるのだろう。本当にささやかで素直なところに希望があるような気がする。


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