楽しく撮る
月刊「アサヒカメラ」誌を私はもう十年以上買ったことが無いし、行きつけの写真店では「日本カメラ」誌を購読しているので、「アサヒカメラ」は図書館で見るだけになってしまった。以前、やわらさんと電話で話した時に、「アサヒカメラ」の発行部数が危機的な数まで落ち込んでいるという話を教えてもらった。カメラメーカーの宣伝広告費で持っている雑誌なのでまあ何とかなっているらしい、ということだけれど、それでは雑誌が面白くなくなるのも当然ということになるし、その、カメラの広告も昔の方がずっと面白かった印象が私にはある。
今、この雑誌をめくっていると、ねえ、写真って楽しいんだよね、と私は言いたくなるのだ。私はこの雑誌には恩義の無い無責任なアマチュアだから言うのだけれど、写真がこんなにつまらないものだったら私は今すぐ写真から縁を切ってしまうと思う。写真を撮る行為はいついかなる時でも楽しくなければなりません、と言ったのは十文字美信さんで、それは確か一昨年の「日本カメラ」誌のコンテストの総評だったけれど、そうでない印象を与える写真に何の価値があるのだろうと私は思う。たとえ深刻で悲惨な状況を伝えるドキュメンタリーであっても、優れた写真には写真を撮る喜びが必ずどこかに隠されているはずだと私は信じたい。もちろん、楽しく撮ることには厳しさが伴う。それは言うまでもないことである。
そんなふうに写真を楽しく見せるのは編集者の厳しい力量でもあって、「東京光画館」で私の写真に毎月そんな魔術を施してくれるやわらさんに私は感謝するばかりだけれど、どういうわけか、「アサヒカメラ」を見ていると私は何だか息苦しくなってしまう。
そして、悲惨なドキュメンタリーを撮っているわけでもないのに、深刻ぶった表情で薄暗いコメントを寄せる写真家の気持ちも私には分からない。たとえ経済的に苦しくとも、会社組織から離れて好きなことをやってお金をもらうという、一般のひとから見ればうらやましい限りのことをしているのだから、もっと楽しそうな顔をして、楽しく写真を語ればよいのになぜそれをしない奴がこんなにたくさんいるのだろう。それも私には分からない。
深刻ぶった様子で芸術家づらをするのは、はっきり言って時代遅れである。深刻なことを語りたいのなら写真とは別の文脈で語ればよい。そんな知恵もはたらかないような奴と私はおつきあいをしたいとは思わない。たとえ辛いことがあったとしても、楽しそうに自由を謳歌するのが写真家の務めではないかと私は思う。
今から三十年前、森山大道さんが「日本カメラ」の月例コンテストの審査員をされた折、「写真にはプロもアマチュアもないと思う。だから写真は楽しまないで、もっと苦しんで撮ってほしい」と言って物議をかもしたことがあったけれど、私の見たところ、それは決して写真の楽しさを排除した発言ではなかった。その数年後、私は森山さんと一緒に町歩きの撮影をする機会に恵まれたのだけれど、撮影にのぞむ森山さんの厳しさには、得体の知れない楽しさがどこかに隠されていて、それが私にはたまらなく魅力的に見えたのである。あの時期の森山さんは、写真を撮る楽しさを再発見することで復活していったのではないか、とさえ今の私には思える。
その町歩きの撮影会はやがて「フォトセッション」に発展していって、私は定期的に森山さんに自分の写真を見てもらう、という今思えば夢のような機会に恵まれることになった。そこで私が学んだのは、結局、最高に厳しい写真の楽しみ方だったような気がする。
だから、私には深刻ぶって薄暗く写真を語る奴の気が知れないし、写真が撮れない、と言い出す奴の気持ちも分からない。写真は楽しいのだから、そんなことはあり得ないだろう。さらに言えば、たかが写真、なのだ。シャッターを押せば勝手に写る。それが写真である。何も深刻ぶる必要は無いし、深刻になりたければもっとたくさん撮った上でそうすればよい。それもかつて「フォトセッション」で私が学んだことである。
以前、立木義浩さんが言っていたように、写真なんてきまぐれに見たり撮ったりしていたい。もちろん誠実に、そして楽しく、である。それが私の周りにも伝わってゆくような生き方ができれば幸せでいいなあと思う。また、そうでなければ本当に大切なものと出会うことはできないだろう。
だらしないふりをして、弱いふりをして、素直にしたたかに撮り続けたい、生き続けたい。私はそう思っている。そこにこそ最高の厳しさと楽しさがあるはずだ。そんな生き方が私に可能なのは、もちろんたくさんのひとの厚意のおかげである。これこそが「写真の幸福」ではないのだろうか。