大河小説の効用?
今年、年が明けてからいちばん寒かった頃
にトルストイの「戦争と平和」を読み始めた
。私が手にしているのは岩波文庫から出てい
る藤沼貴訳の新訳で、全六巻、各巻が五百ペ
−ジ以上ある長い長い大河小説である。しか
し、訳文はとても読みやすいし、小説の舞台
になっている当時のロシアについて訳者が書
いたコラムがあったり、登場人物の紹介や小
説の内容に関する年表が添えられているので
、私でも何とか読み進めることができる。
それでも、私はこの小説を毎晩寝床に入っ
てから眠りに就くまでのほんの短い時間に読
んでいるだけだから、なかなか先へ進まない
。今のところ、ようやく四巻を読み終えそう
なところである。この小説の登場人物は総勢
五百五十九人にものぼるというけれど、そん
な複雑な大河小説の面白さを充分に味わって
読んでいるとは私自身とても思えない。情け
ないことに、小説の中で何が起こっているの
か理解して読んでいるとも言い難い。主要な
登場人物の因果関係もあらかた忘れながら読
んでいる。そんな出来の悪い読者であっても
、途中で読むのを止める気にならないのは不
思議としか言いようが無い。これが文豪の力
であり、訳者の力なのだろうか。
だから、私がこの小説について何かを言う
資格はまったく無い。けれども、昔の長編小
説というのは前置きがやたらに長いのが通例
であるようなので、この小説の佳境はもしか
したらこれから読む終結部、第五巻第六巻に
あるのかもしれない。
ロシアの長編小説と言えば、私は三十代の
頃、ドストエフスキーの「カラマ−ゾフの兄
弟」を二回読んだことがある。私の印象では
「カラマ−ゾフの兄弟」は「戦争と平和」よ
りもずっと密度が濃かったように思う。私自
身、その頃は今とはまた違った問題を抱えて
いたわけで、そんな、ひりひりするような血
の気の多い時期には「カラマーゾフの兄弟」
は確かによく合った。今に至るまで、私をず
っと支えてくれている言葉とその中でめぐり
会うこともできた。なるほど、ドストエフス
キーは凄いんだな、と私は自分なりに納得す
ることもできたし、なによりもまず、これは
とても面白い小説だったと思う。そんなわけ
で、またいつの日か、私は「カラマーゾフの
兄弟」を読み返すことになると思う。
その数年後、私はトルストイの「復活」を
読んだ。しかし、この小説の内容はすっかり
忘れてしまった。ただ「復活」の自然や風景
に関する描写がとても美しくて素晴らしかっ
た、という印象だけが私の中に残っている。
それは流れるように瑞々しくて、色彩豊かで
鮮やかだった。考えてみれば、私にとってそ
んな読後感だけを残した小説は今のところ他
には無い。ロシアに詳しいひとから、ロシア
本国ではドストエフスキーよりトルストイの
方が評価が高い、という話を聞いて、私は「
へえ」と思った記憶もある。トルストイは最
晩年に家出をして野垂れ死んだ、とか、科学
にあまり理解の無い作家だった、とかいった
ことばかり私は聞いていたのだけれど、科学
にまったく理解の無い作家にはこんな素晴ら
しい描写は出来ないのではないか、と今は思
っている。
その「戦争と平和」は、まさに大陸をゆっ
たりと流れてゆく大河のような印象があって
、もしかしたら、狭い島国で文明の利器に追
われてせせこましく生きている今の日本人に
は少し理解しにくいところがあるのかもしれ
ない。その一員である私としては、毎晩ほん
の少しずつ、訳文に運ばれるように読み進め
てゆくというのは、もしかしたらそれほど悪
い読み方ではないのかもしれない。私はそん
なふうに思ってみたりする。繰り返しになる
けれど、ろくに内容を理解していないのに、
この大河小説を半分以上読んでしまった、と
いうのが我ながら不思議である。
「復活」と同様、「戦争と平和」も情景の
描写がとても的確なので、私としては、何だ
か長い長い映画に毎晩少しずつ付き合ってい
るような気がしている。物語を離れた映像詩
として見ても、これは超一流の作品のような
のだ。そのせいなのかどうか「戦争と平和」
を読み始めて以来、私は眠っている間に夢を
みなくなってしまったことに今気がついた。
疲れる夢も悪夢も私はみない。これはとても
ありがたいことだし、こんなところにも、こ
の大河小説の効用があるのかもしれない。
結局、超一流の、しかも訳者の配慮がゆき
届いた大河小説に浸っていると、その物語を
充分に理解できなくとも、私の無意識はもし
かしたらそれ以上のメッセージを受け取って
いるのではないか、という無責任な感慨が生
まれてくる。つまり、このような良質の物語
が、知らず知らずのうちに私の人生を少しず
つ良い方向に作り替えているような思いがあ
る。
そんなわけで、これから読む第五巻第六巻
が楽しみだし、「戦争と平和」を曲がりなり
にも読み終えた後には、他の大河小説を読み
始める、という人生の新たな楽しみが私には
できることになる。そして、繰り返しになる
けれど、そのことが私の人生のすべてをもっ
ともっと素敵な方向に導いてくれるような気
がしている。サムシング・スイート、サムシ
ング・テンダー、といったところだろうか。