期待 忘却 春の気配

大地震が起きてから一年が過ぎた。もちろ ん、この一年という時間にどんな意味がある のか、私には分からない。ただ、あの時と同 じ季節があれから初めてめぐってきたのは確 かなことで、その気配の中で、あの時のこと を私に限らずたくさんのひとがあれこれふり 返ることになる。
 こんな書き方をすると、私は血も涙も無い 人間に思われてしまうのかもしれない。一年 くらいでたくさんのひとの悲しみも苦しみも 癒えるわけは無いし、これから我々がどうな るのか、どうするべきなのかもよく分かって いない。ただ、この一年の間に起こったこと で、明らかにされていない大事なことがたく さんあるのではないか、という思いを抱える ひとはたくさんいるだろうと私は思う。
 この大地震に限らず、天変地異や悲惨な大 事件が起こってからしばらくすると、この惨 事を忘れたくない、忘れて欲しくない、とい った意見が語られる。はたしてそれは本心な のだろうか。こうして一年が経って同じ季節 がめぐって来ると、耐えがたい苦痛でしかな いおぞましい記憶がよみがえる。大した被害 を受けなかった私でさえ、地震直後の日々や 、非日常が当たり前になってしまっていた世 の中の気配を思い出さざるを得ない。その中 で、多かれ少なかれ狂っていた自分を思い出 すことにもなる。私に限らず、そんなものに ずっと耐えられる人間などいないだろう。あ んなものは早く忘れてしまいたい。なるべく なら思い出したくはない。そう思っていては いけないのだろうか。
 たかが地面が揺れただけ、つまり、科学的 に充分に説明がつく自然現象にしか過ぎない 地震や津波で、我々はこれほど悲惨な目に遭 わなければならない。我々は口ほどにもなく 無力である。結局、我々は思い上がっていた だけではないか。これは、災害の被害に劣ら ないほどの屈辱だろう。だからなのか、我々 は、これほどの大災害を経ても懲りてはいな い。相変わらず、自分だけは安全な場所にい ていい思いをしていられると思い込んでいる のではないか。私を含めて、目の前の現実を 見るというのはこれほど困難なことなのだろ うか。それでべつに萎縮する必要は無いけれ ど、それでも「恥を知れ」と自分に言い聞か せながら、胸を張って生きてゆきたいと私は 思う。
 そして、当たり前のことではあるけれど、 平穏な日常とは決して磐石なものではない。 それを築き上げて維持しているのは、平穏と 相反する修羅場をくぐり抜けてきたひとの無 言の努力である。そうであるのなら、今から 六十年以上も前、悲惨な戦争を生き延びるこ とができたひとたちが、その体験をあまり語 ること無く、それぞれの生活を、あるいは世 の中を建て直すために働いた気持ちを我々は 想像してみてもよいのかもしれない。良い悪 いは別にして、あの時代のひとはそうするし かなかったのかもしれない。
 地面が揺れれば我々の精神も揺れる。自然 を痛めつければ必ず我々も深手を負う。我々 は自然の一部である。そんな当たり前のこと がまた我々の前に示された。そろそろそれを 受け入れてもよいのではないか、という気が する。我々が作り出すものは、もはや人間の 能力を越えて、悪魔の力を持ち始めているか ら。
 ただ、世の中が、我々が本当に変わるため には時間がかかるのも確かなのだろう。おそ らく、それには十年単位、あるいは百年単位 の時間が必要になる。それを待っているうち にひとりひとりの人生は終わってしまう。だ から、世の中が変わるのをただ待っているわ けにはゆかない。しかし、やみくもに世の中 に躍り出ればよいというわけでもない。この 日常を大切にすればよいということは分かっ ているけれど、もはやそれだけでこと足りる というわけでもない。これを閉塞と言うのだ ろうが、私はそれで暗くなるほどマジメでは ないし、今の世の中に信頼できるひとがいな いわけではない、ということも知っている。 ただ、事は極めて重大で予断を許さないほど なのに、それを語る言葉があまりにも軽いの で、何も考えられなくなっているように思え る。
 我々の身体は、あるいは無意識はすでにそ れを承知しているのかもしれない。今年は去 年に比べてずいぶん寒い三月だけれど、春は そこまで来ている。暖かくなって、心身がほ ぐれてきたら私はまたそれをのほほんと考え るつもりでいる。写真を撮りながら春の野を 歩きたい。結局、私はそこからしか何も始ま らない。
 だから、一年前のおぞましい記憶は無意識 の底に預けて封印しておきたい。そうしなけ れば、明るい陽射しのもとを歩き続ける智恵 が湧かないではないか。何があっても地球は こうして周り続けている。そんな当たり前の ことを、我々は案外忘れているのかもしれな い。


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