わかっちゃいるけど・・・
植木等が亡くなった直後に出版された戸井
十月著「植木等伝 わかっちゃいるけど、や
められない!」は、私は文庫になってから購
入して何度も読み返してきた。この本は植木
等に何かと縁があった著者が、彼の最晩年に
何度も行ったインタビューをもとに構成され
たもので、とても面白くて味わい深い伝記に
なっている。また、植木等のお父さんは剛毅
な社会運動家でお坊さんだったわけだけれど
、生前の植木等が著した父の伝記「夢を食い
つづけた男」とこれを合わせて読むと、その
味わいがさらに深く感動的になる。こんな素
敵な読書はなかなか無いと私は思う。クレイ
ジー・キャッツや九十年代の植木等のレコー
ドを聴きながらこの二冊を読み返すと、私は
本当に暖かい励ましを受けることができる。
それをこれからも大切にしてゆきたい。
それにしても、植木親子の青春時代、つま
り明治の終わりから昭和のなかば頃までの時
代というのは本当に大変な世の中だったんだ
なあ、という感慨がこの二冊を読み返すたび
にわき起こる。それほど遠くない過去の日本
のことなのに、それは今とはまったく別の国
で起こった歴史みたいに思えるのだ。読むた
びに私は今の世の中との断絶を意識させられ
る。
そんな断絶を飛び越えて、かつて存在した
時代の肌ざわりのようなものを現在の我々に
伝えてくれるものは本当に少ないと私は思う
。この二冊のように、その時代を破天荒に全
力で生き抜いたひとの、優しさに満ちた聞き
書きの形でしかそれは残らないのかもしれな
い。余談ながら、写真のリアリティーはそれ
を助けることはできても越えることはできな
いような気がする。結局、写真は過去を別の
世界に再構築してしまうのかもしれない。
それはともかくとして、植木親子が生き抜
いた時代は、荒ぶる魂を抱えたたくさんのひ
とが、それを大切にして生きていた時代だっ
たように思える。彼らは良くも悪くも今の我
々よりも素直で自信に満ちている。そこには
今よりも苛烈な暴力もある。少年時代にいじ
めに遭ったことのある私はそれを肯定するこ
とはできないけれど、それでもどこかに逃げ
場があったものなのか、昔、いじめで自殺し
た子どもの話を聞いたことは無い。あるいは
、かつての子どもはそういうものだとあきら
めていたのか、単に自殺するという知恵が無
かっただけなのか、実は少年時代の私もそう
だったような気がする。だから私は何とか今
まで生きて来られたような気もする。
話をもどすと、その、素直で感受性が強く
てひとを楽しませるのが大好きだった植木等
少年は、苛酷ないじめに遭ってもそれにめげ
ることなく強く成長してゆく。それは、特高
警察の拷問や迫害に屈しなかった父親の功徳
でもあるのだろうか。ただし、植木等の父親
は決して聖人君子だったわけではなくて、か
んしゃく持ちでわがままで家族に暴力をふる
うこともある、なかなか厄介な男でもあった
らしい。
そんなわけで、暴力もあり、飢えもあり、
理不尽なこともたくさんあったけれど、勇気
と優しさと繊細さを備えたひともたくさんい
て、そんな大変な世の中でもひとびとは音楽
や芸能を楽しみながらしたたかに生き続けて
いた。もちろんそれに耐えかねて心身を病ん
だり自殺してしまうひともいただろうとは思
うけれど、今に比べればかつての時代はたく
ましかった、とは言えると思う。つまり、ひ
とびとは苦難とともに生きるのを当たり前の
こととして受け入れて、その上で人生を楽し
んでいた。私にはそう見える。
偉そうなことを言うようだけど、苦難を抱
えたまま生きる覚悟を私はもういちど確認し
ておきたい。要するに、人生とはもともと困
難なものではなかったのか。苦しい苦しいと
思いながら笑って生きるのが本当の人間の生
き方ではなかったのか。ここ数十年の世の中
が、あまりにも楽だったことを我々はそろそ
ろ認めてもよいように思う。その楽さ加減の
おかげで、我々は暖かく助け合うことを忘れ
てしまっているのかもしれない。ただ、時間
に追われてがつがつ働くことから逃れられな
いのであれば、我々はそんなふうに強く生き
ることは不可能なようにも思える。我々には
わがままや自由も必要なのだ。
当たり前に存在するはずの苦難をこれから
も避け続けようとしているから我々は未来に
向かって踏み出すことができない。私はそん
な気がしている。もちろん、これは小ずるい
政治家どもが押しつけてくる悪政を受け入れ
ろと言っているわけではまったく無い。我々
は等しく苦難を抱えているからこそ国家や政
治家どもには厳しく当たる必要があるはずな
のだ。
すでに世の中は破綻しているし、目に見え
る破滅が訪れるのももはや時間の問題である
。それにまったく気づいていない連中がかく
も多いのはどういうわけなのだろうか。どう
も我々は決定的に鈍くなっているらしい。そ
の破滅を生き抜く力が我々にはあるのだろう
か。
去年の大地震以来、私が住んでいる岩手県
では今も微かな余震が続いている。それを感
じるたびに、私は神様から「ほらほらしっか
りしろよ」と声を掛けられているような気が
している。