夏の終わり
「暑さ寒さも彼岸まで」とは言うけれど、
私が住んでいる岩手県盛岡市でさえ、こうし
て九月の半ばになるまでずっと三十度以上の
真夏日が続くというのは今年が初めてではな
いかと思う。それでも夜になるといくらか涼
しい風が吹くようになったので、私はようや
くこうして文章を書くことができる。綺麗な
夕焼けが出ると夏が終わる。私は経験として
それを知っているけれど、今日はようやく夕
焼けらしい夕焼けを見ることができた。まだ
暑さは続きそうだけれど、まともにものを考
えられる季節がようやくやってくる。
湿気のある暑さと強烈な陽射しが続くと、
人間の身体もさることながら、頭がまともに
はたらかなくなってしまう。天気が良いから
写真は確かにたくさん撮れるけれど、陽射し
が平板だから結局どれも似たような写真にな
ってしまうような気がする。かんかん照りの
真夏というのはお花もあまり咲いていないし
、町の緑もいささか疲れ気味であるように感
じられる。疲れているのは人間だけではない
のだろう。
熱中症、以前は日射病とか熱射病と言って
いたけれど、それで倒れるひともたくさんい
るとは言え、それでもこうして一応社会を回
して生きているヒトという動物はしぶといも
のだと私はつくづく思う。これはまさにゴキ
ブリといい勝負であって、この調子でゆけば
ヒトはこれから何があっても滅亡なんかしそ
うにない。頑張れ、と声を掛けたくなるのは
私だけだろうか。暑さが抜ければもう少しま
ともなことを考えられそうな気がする。
八月の末だったか、もう三十年以上も生息
が確認されていないニホンカワウソの絶滅が
宣言された、というニュースがあった。一九
七九年に四国の清流でその姿が確認されたの
が最後になったということである。一九七九
年と言えば村上春樹がデビューした年で、私
にはそれがそんな昔のこととはとても思えな
いけれど、その時間は、実は野生動物の絶滅
を宣言させてしまうほどの厚みがあることを
今さらながら思い知る。これはもしかしたら
「夢のように遠い昔」なのかもしれない。
この、「夢のように遠い昔」という表現が
私はとても気に入ってしまったのだけれど、
これは山折哲雄著「親鸞をよむ」に出ていた
ものと私は記憶している。七百年以上も昔に
、何と九十歳の生涯を生き抜いた親鸞上人に
は、きっと「夢のように遠い昔」という言葉
で思い出して考えることがたくさんあったの
ではないか、と私は考えてみたりする。
九十歳の生涯を生きなくとも、たった三十
年くらいの時間で気候までもがこうして信じ
られないくらいの変動を遂げる。人間の世の
中もまるで地滑りのように、初めは大した変
化でなくとも、気がついた時には取り返しの
つかない変わり方をしている。風土というも
のはこのふたつに支えられているのではない
かと私は思うけれど、いくら自然を保護しよ
うとしても、人間の世の中がここまで見えな
い変化を遂げてしまったことを、ニホンカワ
ウソのような野生動物は敏感に察知していた
のではないか、と私には思えてくる。人間と
付かず離れず生き続けてきた、あの繊細な野
生動物は、この風土の変動に耐えることがで
きなかったのかもしれない。
それでも、こうしてこんなことを書いてい
る私は、この風土の大変動の中を生き抜いて
いるのだから、消えていった野生動物を悼む
資格はおそらく無いのだろう。「夢のように
遠い昔」を思い出してみたところで、それは
今思い出す昔であって、今の私が本当にあの
時代に連れ戻されたら強烈な断絶と幻滅を覚
えるだけだという気がする。
奇妙なたとえではあるけれど、生き続ける
ということは、月に帰るかぐや姫であり続け
ることかもしれない。月世界の人間が、かつ
て地球人であったことを懐かしむようにしか
我々は過去を思い出すことができない。それ
はまさに「夢のように遠い昔」である。遠い
無意識の世界に沈んでしまった懐かしい過去
は我々を暖かく支え続けてくれるけれど、我
々は現在と未来を見据えて歩んでいかなけれ
ばならない。その方がきっと楽しい。
希望が無いと嘆く前に、自分ひとりの希望
くらいは自力で作り出す必要がある。現在と
未来に闇ばかりしか見えないのなら、それを
避けるなり照らすなりする工夫が必要になる
。せっかちにさえならなければそれは充分に
可能だと私は思う。かつてより我々はずっと
若いし、誰もが親鸞上人のように長い人生を
歩む世の中になっているからだ。これも希望
のひとつかもしれない。
変わりやすい「気分」にばかり振り回され
てものを考えるのが私はもう嫌になっている
。暑い暑い夏の出口が見えてきたところで、
私はようやくそう思えるようになった。