冷たい貧困、愉しいビンボー
前川つかさ著「大東京ビンボー生活マニュ
アル」というマンガが新作を加えて復刊され
た。「なにもないシアワセ」というタイトル
も新たに付け加えられている。これは八十年
代後半にコミック誌「モーニング」に連載さ
れていた人気(?)作品だった。私はそれを
リアルタイムで愛読していたので今回の復刊
はとても嬉しい。当時出版された全部で五巻
ある単行本も私はもちろん買い揃えてあるの
だけれど、二十年以上の時間を経て、この作
品が再び世の中に受け入れられるようになっ
たのがことのほか嬉しい。
主人公のコースケ君は、大学を卒業した後
も定職に就かずに東京下町の古いアパートに
住み続けている朴訥な青年である。彼は、ア
パートの大家さんや下町のひとびとと暖かい
交流をしながら、四季の移り変わりとともに
のんびり愉しいビンボー暮らしを続けている
。その部屋には本当に何も無い。しかし、彼
にはつかず離れずのおつきあいを続ける素敵
な彼女がいる。
今回の復刊で特に嬉しかったのは、コース
ケ君が今になっても昔と同じアパート「平和
荘」で昔と変わらない生活を続けている、と
いう作者のさりげない配慮だった。コースケ
君の彼女、ひろ子さんはずいぶん大人っぽく
なったけれど、彼女とコースケ君との関係も
何も変わっていない。その、変わらない優し
さが作者からの何よりのメッセージなのだろ
う。少し大げさかもしれないけれど、この作
品がそんな形で再び現れてくれたことが、私
がこれまで抱えてきた不安を鎮めてくれたよ
うな気がしている。このマンガの魅力は単に
なつかしさだけではないのだ。
この作品が連載されていた頃、私もコース
ケ君のように東京下町のアパートでひとり暮
らしを続けていた。思い出してみると、当時
の私はコースケ君ほどひまではなかったけれ
ど、彼と大して変わらない生活をしていたよ
うに思う。大学に通って、わりと忙しい講義
や実験をこなしながら毎晩料理をして銭湯に
通い、大学の友人たちとつきあいながら、時
間をみては近所を歩いて写真を撮り、現像引
き伸ばしをして月に一、二回、フォトセッシ
ョンの例会に出席して森山大道さんにそれを
見てもらった。小林充昌さんややわらさんを
はじめとするメンバーの写真もそこで見せて
もらって、その後はアナーキーな宴会に突入
した。大学が長い休みに入ると肉体労働のア
ルバイトをしたり実家に帰省したりした。本
も読んだし音楽も聴いた。私が村上春樹を読
み始めたのはその頃だったと思う。今回の復
刊には含まれていないけれど「大東京ビンボ
ー生活マニュアル」にはコースケ君が村上春
樹を読んでいた場面もあった。そして「彼女
」ではなかったような気がするけれど、やは
り親もとを離れて少し遠い町に住んでいた幼
なじみと私は時折会ったりもしていた。
その子も、大学の友人の何人かも、「大東
京ビンボー生活マニュアル」を読むと私を思
い出す、と言ってくれた。しかし、実は森山
大道さんも当時は世田谷の古いアパートでひ
っそりと暮らしていた時期だったと思う。森
山さんのエッセイを読むと、当時の森山さん
の生活もコースケ君のそれと似ていた印象が
ある。その気配を、私はフォトセッションで
の森山さんの言動や「写真時代」誌での連載
から感じ取っていた。コースケ君の暮らしは
、実は写真家にとって理想のひとつなのかも
しれない。
あの頃はケータイもパソコンも無くて、町
は今よりもにぎやかで、そこには何かしら暖
かみがあったような気がする。町のざわめき
や、なじみの肉屋や八百屋や食堂の気配とい
ったものを私はよく憶えている。そして、そ
こで出会ったひとびとが私に大切なことをた
くさん教えてくれた。コースケ君のように、
私も自分の生活をのんびりいとおしんでいた
と思う。少なくとも私の周りにいたひとは、
お金や物が無くともそれを気にするようなこ
とは無かったし、バブルの時代だったとは言
え、学生にお金や物が無いのは当たり前のこ
とで、そんな中で我々は何とかやりくりをし
て勉強したり好きなことをしたりデートをし
たりしていた。いろんなひととのつながりの
中で、我々は今よりも生活を楽しんでいたと
思う。
それでも、あの頃の私がにこやかに充足し
ていたかと言うとそんなことも無くて、結構
いろんなことにいらついて、時には怒気を現
しながら生きていたようにも思う。「うつ」
になる前だったから、私は不安にかられたり
気分がふさいだりすることは無かったと思う
けれど、あの頃はあの頃なりに、気にさわる
ことはたくさんあった。フォトセッションの
メンバーや大学の友人たちにそれをたしなめ
られたのも今となっては良い想い出である。
その怒気が今はしつこい不安に変わっただけ
で、私はあの頃と大して変わっていないよう
な気がする。
ただ、「大東京ビンボー生活マニュアル」
の連載が終わってから今に至るまでの二十年
余りの間に、次から次へとたくさんの新しい
物が我々の生活に入り込んできた。そして、
世の中が加速して欲望が肥大した分だけ世の
中が閉塞して、気がついたら冷たくて不安で
貧困なだけの世の中が来てしまった。それで
も、我々の欲望はずっと肥大したままだから
、そんな貧困が愉しいビンボーに変わること
はあり得ないのだ。
いったい今の世の中で、これ以上何を欲望
しようと言うのか。これ以上豊かになって何
が快適になると言うのか。仮に、貧困にあえ
ぐ今の世の中で金持ちになってみても、その
お金には実体が無いのではないか。実体の無
い、自分の労働に見合わないお金、つまりあ
ぶく銭、バブルを手にしてみても、それは我
々の心身をむしばむだけだろう。そのバブル
は近々はじけて大恐慌がやって来るのだと思
う。冷たい貧困もバブルも私はもうごめんで
ある。
八十年代そのままの愉しいビンボーに戻り
たい、と私は言っているわけではない。ただ
、あの頃は考えられなかったデジタル機器の
便利さをこうしてひと通り味わってみると、
それ以前のアナログの味わいがよく理解でき
るのも確かである。のろくて手間がかかるに
せよ、それが人間の生理によく合った技術で
あることもよく分かる。デジタルもアナログ
もほどほどに使いこなして、愉しいビンボー
を生きてゆきたい、というのが私の新年の抱
負である。豊かさから一歩引いたところにい
た方が幸せに生きてゆけるような気がするの
だ。
結局、欲望というやつは冷たい貧困をもた
らす貧乏神なのだろう。その冷たい貧乏神の
呪縛から逃れてみると、今の世の中でも楽し
くのほほんと生きることは可能なように思え
てくる。どうあがいてもつきまとうこの不安
も、実は刺し身のわさび程度のものかもしれ
ない。それとうまくつきあって、この毒を薬
に変えてゆけばよいのだろう。もしかしたら
、欲望に振り回されないことが最高の抗議で
あり復讐なのだろうか。そう考えてみると、
コースケ君の生き方にも別の味わいが現れて
くるかもしれない。彼のように、時々は立ち
止まることも大切にしたい、と私は思う。
ところで、あの頃、私が住んでいた古い木
造アパートに、休日になるとひまを持て余し
た大学の友人たちが昼間から集まってきてよ
く話し込んでいたのを憶えている。彼ら彼女
らに私は手間をかけて紅茶をいれたりココア
を作ったりしていたので、それは不思議なお
茶会になった。お菓子はいつのまにか友人た
ちが持参してくれるようになった。それを口
にしながら窓の外を眺めると、白い雲を浮か
べた深い青空が広がっていたのを私は思い出
す。話にちょっと間を取りたい時は、テレビ
が無かったので窓の外を眺めるしか無かった
のだ。友人たちの表情と青空をかわるがわる
眺めながら飲み物を口にして、のんびり話を
続けるのは愉しかった。あの気分がまたやっ
て来るのかもしれない。