無意味の贈り物

三月の大地震から三か月が過ぎて、私が住 んでいる岩手県盛岡市には初夏がやって来た 。その間、世の中の混乱は深まるばかりだけ れど、季節が変わるといくらか物事を冷静に 考えられるようになるのも確かである。以前 にも書いたけれど、夢と現実が逆転して、混 乱がそのまま日常になった、というのがこの 三か月で起こった最大の変化であるように私 は思う。
 地震の前に言われていた、無縁社会だの大 失業時代だのといった言葉が、もはや言うま でもないくらい当たり前のことになって意味 を失ってしまった。しかし、つまらない言葉 が意味を失うのは良いことだと私は思う。そ の上で、ようやく我々は目の前の現実に立ち 向かうことができるからだ。勝ち組だの負け 組だの、格差社会だのといった不愉快な言葉 も聞かれなくなった。もはや、勝者などどこ にもいない乱世である。そのことがようやく あからさまになった。まやかしが少なくなっ ただけ健全な世の中になりつつある、と言え るだろう。そんな世の中は私は決して嫌いで はない。貧乏であっても存分に自由に生きら れるし、そこで精一杯ひとに優しくすること もできるからだ。これだけの惨状や苦痛と引 換えにして、我々にはようやく今までの虚飾 を脱ぎ捨てる可能性が現れたように思う。
 ところで、地震に限らず自然災害というも のは本来無意味なものである。神様が人間の 行いを正すために下した天罰ということはあ り得ない。そして、戦争のように、人間の愚 行という言葉だけで説明できるものでもない 。今回の地震や津波は、地球に本来備わって いるエネルギーによって三陸沖のプレートが 動いたというだけのことであって、これは科 学的に予想できる自然現象に過ぎない。それ を想定外だと言ってしまうのは科学者や政治 家の怠慢であるし、その可能性を忘れて虚飾 におぼれてしまうのは我々の自業自得である かもしれない。我々よりも、津波の来る沿岸 には決して住居を作らなかった縄文人の方が ずっと賢くて謙虚だったと言えるだろう。縄 文人は、我々よりもずっと自由にしなやかに 生きていたのかもしれない。
 そんな無意味な自然災害が起こって大変な 苦痛や悲しみに襲われると、我々はそれを意 味によって乗り越えようとする。しかし、な ぜ今、こんな大災害が起こったのか。なぜ私 は生き延びてあのひとは死んでしまったのか 。そこに深い理由は存在しない。それは、私 がこの世に生まれてきた理由が存在しないの と同じことである。その空虚に耐えられない 連中が、頑張ろうだの心はひとつだのといっ た不愉快極まりないスローガンを世の中に広 めている。
 そんなことをしても、我々の傲慢さや虚飾 がよみがえるだけのことで、それでは無意味 に死んでしまったたくさんの死者が浮かばれ ない。無意味な悲劇の前で謙虚さと優しさを 取り戻すこと。そして、天災を人災に拡大さ せた無責任な思想を糾弾すること。それが死 者を悼むことにつながるはずだし、そこから しか再起の道は開けないように私は思う。そ んな空虚を見つめるだけの強さくらいは、誰 でも持ち合わせているはずだ。そこにたどり 着くためならば、泣きたいだけ泣けばよいし 、甘えたいだけ甘えればよい。
 地震の数日後に知人がささやいた「こうし て生き残っただけで幸せだ、それを大切にし よう」という言葉を私は改めて噛みしめてい る。あの時、日本中のあちこちで、真実はこ うして語られていたのだろう。無意味な悲劇 を乗り越えてゆく「強さ」とはこういうもの だと今にして私は思う。
 それにしても、こんなふうに我々を惑わせ る「意味」とはいったい何だろう。「意味」 が存在することが常に正しいとは限らないの だ。何事にも意味を求めないとうまく生きて ゆけない我々は、もしかしたらどこかしら狂 っているのではないだろうか。逆に、意味を 求めるのを止めると、とたんに酷薄になって 、無意味の奴隷になって自堕落になってしま う連中も多い。人生はもともと無意味だ、と か気取って言う奴らのことである。意味と無 意味に振り回されているということではどち らも同じである。世の中の大方のひとは、そ んな問いから目をそむけるために日々の雑事 を求めているように私には思えることもある 。そんな時、まさに天災は忘れた頃にやって 来る。
 「意味」に頼るあまり、我々はずいぶんと 弱く狭量になってしまった印象がある。しか し、こうして意味が挫折してしまっても、朝 が来れば陽が昇るし美しい青空が果てしなく 広がる。そして、ひとの優しさは変わること なく存在する。生き残った我々は、そこから また歩き始めることができる…
 この宇宙には、もともと意味という概念は 無かったはずである。意味が無かったのだか ら無意味も無かったわけで、まことに平和で 風通しの良い、これ以上言うことの無い理想 的な宇宙がかつては存在していたことになる 。何だか私はその頃がとても懐かしい。
 おそらく、生命の誕生とともに意味という 概念がこの宇宙に生まれたのだろうと私は考 えている。生存に適切な環境を識別し、子孫 を残すために生命はこの宇宙を意味と無意味 で区別する必要があった。それと同時に体内 と外界を区別する必要が生まれて、自己とい う概念も生まれたのだろう。いずれにせよ、 それは生命が抱いた仮説にしか過ぎないよう に私には思える。
 それでも、生命が生まれてから文明人が生 まれるまでの長い間、我々は意味と無意味に わずらわされることもなく平和に機嫌よく生 きていたように思えてならない。縄文人の遺 物に接しているとそれがよく分かる。彼らの ように、意味と無意味にとらわれていなけれ ば謙虚に幸せに生きることができる。最初に 書いたように、地震や津波が来ても大きな被 害をこうむることも無い。自然が発するメッ セージをきちんと受け止めて豊かに生きるこ とができる。それを少し取り戻すことくらい は今の我々にも可能なはずだ。
 もちろん、こうして言葉と文字を持ってし まった我々は、それが持つ「意味」を離れて 生きてゆくことはできない。しかし、言葉と いうものは、言葉にならないものを伝えるた めに存在するはずだ。平凡な、ありふれた言 葉の背後にどれだけの切なさと広がりが控え ているか、それを見極めて感動するしなやか さを失ってはいけないのだと私は思う。
 そして、縄文人のような、超能力に等しい 以心伝心の能力を失ってしまった我々は、と もかく言葉を発しなければそんな広大な宇宙 の気配を伝えることができない。沈黙に語ら せるためには不器用な言葉を発するしかない のである。その時、意味は無意味を味方につ けて、言葉の送り手と受け手に切ない感動を もたらすことになる。地震から三か月が過ぎ て、私はそのことに感じ入っている。それを 可能にするのは、ひとのぬくもりと信頼であ る。それを教えてくれた大切なひとに私は感 謝したい。そのために、私はより強くしなや かに生きてゆかなければならない。


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