微笑みのひと

幼い頃、この世に生きている人間は自分ひ とりだけではないのか、周りの人間は全員が ロボットではないのか、という疑念にとらわ れるひとは私だけではなくてわりとたくさん いるらしい、ということは以前にも書いたこ とがあるけれど、こうして四十を過ぎてもい まだにその感覚が抜けきれていない。しかし 、私は幸いなことに魅力的な友人知人にたく さん恵まれてもいるのだから、これはもはや 甘美な孤独と言う他に無いのだろう。
 それでも、これはどうもひどすぎるのでは ないか、と思うことも多々あって、そんな時 は、私を含めて人間は全員が病んでいるとい う真実を噛みしめるしかなくなる。平凡を装 っている人の中に、しばしば底知れない病の 入口が見えることがあって、それをしつこく 観察するのは背筋が凍るほど怖いけれど面白 い。嫌でもそこに目がいってしまうのが私の 病なのだが、おそらく本人も気づいていない そのかなしみがびりびりと伝わってきて、私 は平凡を装う人と親しく接するのがとても辛 かった時期があった。それに侵されない強さ としなやかさを身につける他に、私にできる ことは無かった。結局、私はこれまでどおり 自分の中の闇とつきあい続けるしか無いのだ ろう。
 それはともかく。
 手塚治虫の「三つ目がとおる」にトコロテ ン機械というのが登場した。これは、三つ目 の写楽くんがゴミやガラクタを集めて作った 巨大な装置で、作動させると周りにいる人間 がボケて廃人になってしまうという恐ろしい 機械だった。「人間の脳みそはトコロテンに なったほうがいいと思う」「人間がみんなバ カになれば滅亡がふせげるだろう」という写 楽くんのコメントがあった。
 また「ドラえもん」には「ビョードーばく だん」という道具が登場していたと思う。の び太くんの爪の垢の汁をその爆弾にセットし て世間にまき散らすと、世の中の人間の全員 が彼のようにのろまで間抜けな人間になって しまう。のび太くんにはかけがえの無い優し さという長所もあるわけだが、残念ながらそ の優しさが世の中に行き渡った、という話に はなっていなかったと思う。マンガを離れて この現実の世界にあっても、どうやら欠点ば かりが世の中に広がりやすいということにな っているらしい。困ったものである。
 べつに他人や世間を見下すつもりは無いけ れど、いつのまにか、ここ十年くらいの間に トコロテン機械やビョードーばくだんがひそ かに広範囲に作動して、我々は取り返しのつ かないほど馬鹿になってしまったのではない か、という気がする。だから、私は最近、平 凡を装う人が再び怖くなってきたのだ。
 馬鹿というのは、感覚が鈍いまま、考え判 断する能力が発達しないことを指すと思う。 本当に美しいものも知らず、自然な食べ物の 美味しさも知らず、ひとの真心も知らず、考 える喜びも本当の性の喜びも知らず、その対 極にある苦しみも孤独も知らずに生きるのは 明らかに不幸だと私は思う。
 平凡とは本来、見事に成熟して過不足の少 ない状態を指したはずなのに、いつのまにか 鈍感で安易な方向に流されやすい状態を言う ようになってしまったと思う。そんな、トコ ロテン状態の「平凡」が私は怖い。そのエネ ルギーが動き出すとろくなことは起こらない と私は思うからだ。秋葉原でナイフを振り回 したあの男に、なぜ十数人ものひとを殺傷す るだけのエネルギーがあったのか、なぜ東京 という街がそれを呼び寄せてしまったのか、 それを思うと私はとても恐ろしい。
 三つ目の写楽くんが言うように、トコロテ ン状態の不幸な人間が増えると人類の滅亡は 本当に防げるのだろうか。それとも、以前に も私は書いたことがあるけれど、そんな人間 が増えるのは人類の種としての知恵なのだろ うか。大量発生した人類は、トコロテン状態 を経てやがて滅亡に向かい、そこを生き延び た少数の連中によって再生を図るのだろうか 。もちろん私には判らない。
 人間は誰でも広大な可能性をはらんだ遺伝 子を持っているのだけれど、スイッチが入ら なければそれは決して作動することが無い。 人間の持っている可能性なんて誰でも大した 差は無いだろうと私は思うけれど、早い時期 に訓練を受けなければそれにスイッチを入れ ることはできなくなる。ここ十年くらいで、 質が良いとは言えない情報を安易に大量に受 信発信できるようになったおかげで、その訓 練を受けなくとも我々は生きてゆけるように なってしまったのかもしれない。唐突ではあ るけれど「呪い」という言葉を私は思い出す 。綺麗で薄っぺらなハイテク社会にも呪いは 現れるのだと思う。その祓い方はひとりひと りが苦心して見つけ出す他に無い。
 今、そんな呪いがかけられたものばかりが 世の中に現れるように私には思えるので、私 の甘美な孤独はますます深まってゆくのであ る。ただ、それは孤独ではあっても決してひ きこもってはいない。開かれた孤独とはこん な状態を言うのかもしれない。それはそれで 悪くはない。今井美樹の「微笑みのひと」と いう歌を私は今、聴いている。


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