となりの縄文人

最近、縁あって再び縄文時代の遺物に接す る機会が多い。そのおかげで、私はまたして も大昔のひとびとの暮らしを気ままに考える ことが多くなった。今の時代の日常を縄文時 代にひき比べて想像してみることもあるし、 たまたま手に取った本に縄文時代について考 察した一節を見つけることができたりして不 思議な思いにとらわれることもある。私の気 持ちが悠々と自足しているわけでは決してな いのだが、だからこそそんなことを考えるの は楽しい。
 いかに時代が変わろうとも人間の幸福や不 幸の量は変わらない、というようなことを言 っていたのは確か西洋中世史の学者だったと 思うけれど、この言葉はきっと縄文時代にも 当てはまるのだろう。そして、時代が異なる ひとびとの気持ちを正確に理解することはで きないのだ、とも私は思う。このふたつの鉄 則を忘れずにいれば、かえっていろいろなこ とが判ってくるような気がする。
 ここ数十年の間に縄文時代に関する知見は 大きく変わってきて、採集や狩猟だけではな くて意外に大規模な農業が行われていた、と か、ずいぶん遠くの地域とも交易があった、 とか新しい事実が明らかになっているみたい だ。それをもとに、縄文時代は豊かで平和な ユートピアだった、という風説もみられるけ れど、彼らが現代人よりもずっと短命だった のは確かだし、大規模な戦争こそなかったも のの、武器を取って殺し合う小競り合いはあ ったらしい。ただ、縄文時代はたいした変化 をすることもなく一万年近くも続いたのだか ら、それ以後の、進歩発展してゆくせわしな い時代とは何かが根本的に異なっていたのも 確かなのだろう。
 縄文時代の生活がいかに過酷なものだった のか、それについて検証した本に目を通して みると確かにそのとおりだと思うし、それを 読んだ後では脳天気に縄文時代を賛美する一 部の考古学者の風説が軽薄に思えてくるのも 当然である。しかし、私自身、彼らが残した 土器片や石器、あるいは遺構に接していて思 うのは、不思議なほど彼らの怨念がそこから 感じられないことである。むしろ、時代が下 って社会が少しずつでも豊かになると、その 時代の遺物から感じられる怨念が強くなって ゆくような気がする。これはどういうことな のだろうか。
 青森の三内丸山遺跡では、住居跡のすぐそ ばにお墓があった。そこは見晴らしの良い丘 のなだらかな下り坂だったと思う。ボランテ ィアで案内してくれたおばさんは「死者を遠 ざけるようになったのは仏教が伝わってから のことなんです」と言っていたし、私はその お墓を見て、縄文時代には死者は遠ざけるべ きものではなくて、その集落を守ってくれる 暖かい精霊だったのではないか、といった印 象を受けた。死者や異界を恐れて、それを抑 圧する気配が縄文の遺物や遺構からは感じら れないのだ。
 三内丸山遺跡の売店で買ったパンフレット には、最近まで縄文土器の造形性、美的価値 は美術史家の間で全く認められていなかった 、と書かれていたのも意外だった。
 縄文土器の美しさやエネルギーを最初に賛 美したのは第二次世界大戦後の岡本太郎だっ たそうだ。岡本太郎がそれをどんなふうに賛 美したのか私は知らないけれど、縄文土器の 美しさを二十世紀の前衛芸術に通じるように 考えるのも少し違うのではないか、と私は思 う。
 私には、縄文土器の造形に、岡本太郎に通 じるようなエネルギーは感じられない。縄文 土器の造形がおとなしいものだ、とは私も思 わないけれど、それはあくまでも自然なもの だと思う。そもそも、縄文土器の造形や文様 には、どういうわけか時代による厳格な規制 があって、製作者の個性はそこには存在しな い。あの見事な造形や文様は、我々がそこか ら感じるのとはまた別のメッセージを伝えて いるらしい。それを解読するのは考古学者に とっても大変に困難なことのようだ。
 縄文土器と一緒に出土する土偶についても 私の印象は同じだ。素朴で愛らしくて、我々 には理解できない暖かなメッセージがそこに こめられている。彼らのたくましさと繊細な 感覚をそこにうかがうことができる。生活の 苦しさからくる怨念とか政治のにおいは感じ られない。そこが弥生時代以降の埴輪とは違 うと思う。
 また、縄文人がけわしい峠を迷うこと無く 行き来したり、丸木舟で外海を航海していた ことも確認されている。彼らには我々とは違 った素朴な優しさとともに、そんな行動を可 能にする動物的な勘が当たり前のように備わ っていたのだろう。我々から見れば、それは まさに超能力としか言いようが無いけれど、 その後の文明の進歩とともに失われていった そんな能力が、一万年近くも続いた縄文時代 を支えていたのだろうと私は想像する。その 能力を失うほど時代の変転は速くなる、とい うのは考え過ぎだろうか。
 縄文人が我々の先祖のひとつであるのは間 違い無いけれど、いったい彼らは何者だった のだろう。我々から見れば過酷としか思えな い生活を送りながらも、彼らはそれに怨念を 抱くことも無く、自然にそれを楽しみながら 、我々にはもはや解読できないたくさんのメ ッセージを残して歴史のかなたに消えてしま った。彼らが消えてしまった理由も定かでは ない。しかし、その痕跡が我々の中にいまだ に刻まれているからこそ、それに対する関心 も尽きないのかもしれない。
 縄文人に比べるまでもなく、我々は急速に 感覚が鈍くなりつつある。ほんの十年前と比 べてみてもその落差は激しいのではないか。 そして、技術文明が進歩して世界が狭くなる につれて、我々自身も狭量になってゆく。古 い時代のひとびとの気持ちが分からなくなっ てしまうのは今に始まったことではないのか もしれないけれど、そんな豊かなメッセージ を受信できなくなるのは悲しい。でも、もし かしたら、それは受信するというよりも、我 々の中にしまいこまれている深い記憶の中か らひとりひとりが思い出すべきことなのかも しれない。それができるようになれば、我々 はもう少し今を生きやすくなるのではないか 、という気がする。
 実は、縄文人は我々のすぐそばで今も生き 続けているのかもしれない。


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