若死にするのは善人だけ
先月は小笠原の旅のことをあれこれ考える
ために、ひさしぶりに中島敦を読み直した話
を書いた。太平洋戦争のさなかに三十三歳で
病死した中島敦の全集は、手紙や日記を含め
てもたった三巻で終わってしまう。しかし、
実はその全てを私は読み尽くしたわけではな
いのだ。
中島敦を初めて読んだのは高校生の頃で、
そのきっかけは憶えていないけれど、学校の
図書館にあった彼の全集をいとおしんで読み
続けていたのを今、私はなつかしく思い出し
ている。ささやかなことではあるけれど、全
集の口絵に転載されていた、彼が南洋から奥
方に宛てた葉書の末尾に「鳩ポッポに水をや
れよ」という一言があったのが私はずっと忘
れられなかった。中島敦というひとは、作家
には本当にめずらしいくらい心くばりが細や
かで優しいひとだったのだな、と私は思い続
けてきた。その意味でも彼は私にとって特別
な作家なのである。
そんなわけで、先月の文章を書き終わった
後、近所の図書館から彼の単行本の全集を書
庫から出してもらってひさしぶりに読み返し
てみると、その「鳩ポッポに水をやれよ」と
いう一節は、本当に小さくしか印刷されてい
ない。私事ではあるが、作品をそれほど読ま
なかったくせに、それを目ざとく見つけて気
持ちの奥に刻みつけていた少年時代の私が今
となっては痛ましく思える。
あの頃の私は同時にカフカの全集を読み始
めていたけれど、カフカに関しても私は作品
をあまり読まずに日記や恋人に宛てた手紙を
読み散らかしていた。倉橋由美子の「聖少女
」をぼろぼろになるまで読み返して、石川淳
の短編を読み始めて、そしてサドの「悪徳の
栄え」に魅せられていた高校生。生物学にひ
かれて理科系志望を表明し、森山大道さんの
「光と影」に不思議な親近感を覚えていた高
校生。
何だか得体の知れない憎しみや悲しみが、
いたずらに私の少年時代を長引かせていたよ
うな気もする。それをいつのまにか忘れてし
まうのが大人になるということなのかもしれ
ないけれど、それが私にはどうしてもできな
かった。その理由はいまだによく判らない。
要するに、私は自分でも持て余してしまうほ
どしつこいのだ。何事もうまく忘れてしまえ
るひとが私は本当にうらやましい。
そんな少年が「鳩ポッポに水をやれよ」と
いう中島敦の優しさを忘れることなく、こう
して四十過ぎまで何とかひと並みに生き続け
てきた。いつの間にか中島敦やカフカが死ん
だ歳も越えてしまった。それでも、私が少年
時代に抱えていた悲しみや苦しみは何ひとつ
解決してはいない。それが多少は和らいだ、
と思えるのは錯覚に過ぎなくて、単に私が鈍
くなって忙しくなっただけである。これが歳
をとるということなのだろう。この痛みは結
局私ひとりで死ぬまで抱えてゆくほかに無い
。そう覚悟を決めるしかないのである。あの
頃初めて読んだ石川淳の「普賢」に「ひとは
そこから花を咲かせるほか欠陥を処理するす
べはないんだ」という文章があったのを私は
思い出している。
話をもどすと、そんなふうに、優しく明敏
だった中島敦が書き残した「光と風と夢」と
いう中編小説を私は先日初めて読んだ。これ
は、彼が敬愛していた作家スティーブンソン
の晩年の生活を描いている。スティーブンソ
ンも病のために若死にしているけれど、彼を
通して、ここには執筆当時の中島敦の気持ち
がよく現れているように思う。
中島敦が書き残した数少ない、しかし比類
ない作品を愛するあまり、彼の若死にを惜し
むひとがたくさんいるけれど「光と風と夢」
を読んでみて、彼は自分が長く生きられない
ことを誰よりもよく知っていたのだろう、と
私は思った。
だからこそ、彼は名作を書き残すことがで
きたのではないか。生きているうちに、これ
だけは書いておかなければならない。その思
いが彼に名作を書かせたように思う。彼の「
山月記」に出てくる虎になった詩人は、自分
の作品を遺すことにすさまじい執念をみせる
けれど、それは中島敦の気持ちの奥にひそむ
猛獣の叫びである。彼の名作は、彼の死の数
年前に集中して書かれている。もちろん、中
島敦が健康に恵まれて長命を保ったとしても
優れた作家になったことは間違いないけれど
、もしそうなっていたら、彼の作品が今残さ
れているものとずいぶん異なっていたのも確
かだろう。
中島敦が、その可愛らしい奥方や幼い息子
に宛てた、謙虚で優しく思いやりにあふれた
手紙をひさしぶりに読み返してみてもそう思
う。そして、彼が婚約時代に彼女に宛てた手
紙には、恋人の甘い睦言など一切見当たらず
、少年の感受性を持って何かしら重々しい苦
痛に耐えている彼の様子がしのばれる。その
中にあって彼が恋人を優しく気遣っているの
が痛ましくも感じられる。もちろん、今より
も生きるのがずっと厳しい時代だった、とい
うこともあるのだろう。いたずらに彼の苦し
みを今に持ち出すのは無神経なことかもしれ
ない。
そんなわけで、本を閉じると私は中島敦が
生きたのとはまるで異なる現実に引き戻され
る。あまりにも豊かで、未来が無くて投げや
りで、そのうえ鈍感な年寄りが多数を占める
前代未聞の世の中が広がっている。私は、生
命保険のおばさんが言った「我々は今までの
世代よりもずっと長生きさせられるんです」
というひと言が忘れられない。今、うかうか
していると、人生は長くて退屈で不安なだけ
の代物になってしまうわけだが、中島敦やカ
フカのような若死にした天才は、そんな不幸
からは免れている。
結局「若死にするのは善人だけ」というこ
とになるのだろうか。歌詞はよく分からない
けれど、ビリー・ジョエルにそんな題の歌が
あった。要するに、四十を過ぎても少年の苦
しみが忘れられない人間は、その生き方を自
分で探り続けるほかに無いのだろう。少年の
面影を失うことなく長命を保ち、どちらかと
言えば人生の後半に大きな仕事をなし遂げる
、たとえば森山大道さんや石川淳、あるいは
ハンク・ジョーンズといったひとも、少なく
ともおおやけには自らの四十代についてあま
り語りたがらないように見受けられる。つら
いことがずいぶん多かったのだと思う。
八十八歳で亡くなるまで第一線で活躍を続
けた石川淳が八十歳で完成させた長編「狂風
記」を私はようやく読み始めたのだけれど、
その力と若さと老獪さは、容易にこれを読み
下すことを私に許さない。とてつもなく奥が
深いのだ。それでも、この文章は私を突き放
すことが無い。ここには厳しさと優しさと魅
力が同居している。森山さんの最近の写真や
ハンク・ジョーンズの最近の録音にもそんな
ところがあると思う。
この、とんでもないふてぶてしさに私もい
つの日かたどり着きたい。そのために、私も
少年時代の苦しみや悲しみを大切に守りなが
ら歳をとってゆきたいと思う。自閉的になる
こととも浪費をすることともそれは異なる。
優雅に生きるのが最高の復讐、というのはこ
んなことを言うのかもしれない。