変な時代

いったい政治家と称される連中は何者なの だろう、と私でさえ思うことがある。
 吉本隆明が「物書きなんて政治家の次にく だらない仕事だ」と言っていたのを私は気持 ちの奥深いところに刻みつけているけれど、 その物書きにさえこんなふうにあしらわれる 政治家とは何者なのか。吉本隆明の「共同幻 想論」にそのヒントはちらちらと顔を出して いて、それを私はいまだにうまく整理できて いないけれど、この前の選挙で落ちたり冷や 汗をかいた政治家連中は、その程度のことも 理解できていないのではないか、と私は疑っ ている。
 国や権力が必要悪であり幻想であるのなら ば、それを司る政治家やその手足となる官僚 が言わば賤業であることは明らかだと私は思 うし、彼らに要求されるのは、勝手な理想を 語ることではなくて、現実を適切に処理して なるべくたくさんのひとを幸福にしてゆくた めの実務的な能力のはずである。彼らを賤業 と言って悪いのならば、公僕という便利な言 葉もある。そんな汚れ役を自ら志す奇特な秀 才を我々は敬して遠ざけておく他に無い。そ の代償として彼らには裕福で安定(している ように見える)人生が保証されることになる わけだが、それさえもわきまえていない政治 家や官僚が多いような印象もある。
 それにしても、世の中の大多数のひとは彼 らをひそかにさげすみながらも、その裕福で 安定した人生をやっかみ半分でうらやんでい るようにも私には見える。また、私には官僚 の内輪話につきあわされた経験があるけれど 、彼らはひと知れない苦労をしていると主張 した後に、その安定(しているように見える )人生は何があっても死守しなければならな い、と声をひそめて語り始める。世の中の大 多数のひとは、そんな特殊な人生を歩むこと は無いのだけれど、天下の秀才のくせに、彼 らにはそれ以外の人生が想像できないのだろ うか、彼らは組織を離れて生きることはでき ないのだろうか、と私は思う。そんな連中に つきあわされて私はずいぶんと疲弊した経験 もあるので、私は政治家や官僚とも、彼らに ひそかに憧れる連中ともできれば無縁でいた い。
 ただ、どんな人間であっても長く権力の座 に居すわっていると腐敗はまぬがれないのも 明らかだし、その実害は私の身の上にも降り かかってくるのだから、それをチェックする ことだけは忘れずにいたい。つまり、政治に はかかわるな、お役所と特別な関係を持つな 、ただし投票には必ず行け、という教訓に落 ちつくわけだが、私はこれを、お店をやって いるひとからその処世訓として教わったのだ った。
 この夏の選挙について、戦後政治の最大の 転換点、とか言っているメディアがあるけれ ど、選挙制度が機能していれば政権交代は当 たり前のことのはずである。それがこんなに 大げさに語られるということは、今までがい かにまともでなかったか、という証拠にはな るのだろう。
 結局、我々はいまだに江戸時代を生きてい るのだと私は思う。テレビで「水戸黄門」が 放映されている間は江戸時代は終わっていな いのではないか、と私は以前から思っていた 。何か不都合なことがあっても、我々自身は 何もしなくともよい。我々が変わる必要も無 い。いずれ黄門さまが現れて世直しをして下 さる。黄門さまが悪い代官を懲らしめて、代 わりに良い代官をよこして下さる。黄門さま に逆らう者は誰もいない。だから我々はお上 に直訴するだけでよい。我々の大多数がそう 思っているからこそあの番組は人気を保って いるのだろう。しかし、私の先祖は群馬のヤ クザの落ちこぼれだったらしいので、そんな おとぎ話を期待することは私にはできないの だ。
 そして、ずいぶん努力したつもりだけれど 、私は会社組織の中で生きることは結局でき なかった。明治維新で崩壊した武家社会のし きたりを受け継いだのが軍隊であり、戦後そ れも崩壊した後は会社組織がそれを受け継い だ、という説があった。さもありなん、と私 は思う。しかし、江戸時代には武家社会で生 きる侍はほんの少数しかいなかったはずであ る。しかし、今や会社組織の中で生きざるを 得ないサラリーマンは就業人口の大多数を占 めるのである。貧しくとも気楽だったかもし れない百姓の子孫の多くが果してサラリーマ ンとして人生を全うできるのか、たとえ豊か さと引き換えであってもそれは怪しかろうと 私は思う。組織の中で働くのに疲れ果てて、 長くうつ病に苦しんだ私にはそう思えるので ある。
 ちなみに「百姓」という言葉には本来は差 別的な意味合いは無くて、民俗学で言う「常 民」に近い言葉だったらしい。ひとりひとり がそれぞれに生計を立てていたひとたち、と 理解してよいのだろうか。そんな普通のひと が、その全員が、はたして武家社会の影をひ きずる会社組織の中で幸せに生きてゆけるの か、私には判らない。必ずしも必要ではない 過剰な豊かさと引き換えに、どうして大多数 のひとがこんなにきつい束縛を受け入れてし まうのか、それも私には分からない。こんな 私にまともなサラリーマンはできない。それ だけは私にもよく分かる。これはヤクザ者の 血筋かもしれない。そう思ってあきらめるな り覚悟を決めるしかない。ニートになるつも りは無いので、私は私の居場所に落ちついて 働き続けるだけである。
 ただし、そんな世の中をこれまで維持して きた豊かさがそう長く続くとは私には思えな い。石油がいずれは供給不足になって恒常的 に値上がりを始めるのは目に見えているし、 温暖化対策に本腰を入れれば今のようにそれ を使い続けることはできなくなる。原子力発 電所は放射性廃棄物の捨て場所が無いので、 もうそろそろ運転を止めざるを得なくなるは ずだ。そして、食料自給率が四十パーセント のままならば、何かあった時は十人に六人が 飢えるのである。エコライフなんて体裁の良 いことを言っている場合ではないのだ。
 でも、こんなに豊かで便利で怠惰な世の中 は何かが間違っていると私は思っているので 、そんな貧しい時代がやって来るのを私はひ そかに心待ちにしているような気もする。私 のような人間にはそれは案外と生きやすくて 楽しい世の中になるのかもしれない。橋本治 の本のタイトルにあった「江戸にフランス革 命を!」というわけである。あるいは、シン プル・イズ・ベスト、と言うべきか。そんな 来るべき時代に、私は相変わらず細々とフィ ルムで写真を撮り続けたいと思う。今から楽 しみな気がする。


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