谷川俊太郎の詩に、
ほんとうに大事なものはみんな
只!
……のはずなのに
という一節があるのを私は時折思い出すこ
とがある。
なかなか口に出せないことではあるけれど
、本当に大切なことを与えてくれるひととい
うのは、たとえ親しい友人であっても私とは
格の違う大人(たいじん)である。そんな、
かけがえの無い大切なひとにつまらないお礼
を返すのは往々にして失礼に当たる。それを
わきまえない小人物のことを、世間では田舎
者とかいんぎん無礼とか言うのだろう。お礼
の返し方、あるいはお礼の受け取り方や拒み
方で人間の本性がかいま見える。そんなつま
らないことを、私は個展を開くたびに考えて
しまう。
個展には遠方からも何人もの友人や恩人が
駆けつけてくれて、そのうえ心のこもった贈
り物をいただいたりもするのだけれど、大方
のひとにはそれが耐えがたい不安の種になる
らしい。彼らはそれをやわらげるためにお返
しの贈り物をさせたがるように私には見える
。それは、もしかしたらただのエゴイズムで
はないのか。私は肩をすくめてやり過ごす他
に無い。
笑顔とともにお礼の言葉を返す以外にいっ
たい私に何ができるというのだ。写真に生活
にこれからも精進する以外に私にどんなお礼
ができるというのだ。個展を開くような人間
はその意味で徹底的に無力なのだ。それを噛
みしめなければ、他人様にお見せするような
写真など撮れはしない。それを理解しない凡
人が時々いるので私は本当に困る。ひとに心
のこもった贈り物をするのは本当に難しい。
それだけに、それはかけがえの無い喜びにな
る。
でも、私にしたところでそこまで達観でき
るまでずいぶん時間がかかってしまったし、
それまでの間は友人や恩人にかえって無礼な
ことをしてしまった。だから大きなことは私
にも言えないのだけれど、転機になったのは
、うつ病と腰痛と失業に同時に見舞われたこ
とだったと思う。
さりげなく気遣ってくれる友人や恩人に対
して、素直に感謝できるようになったのはそ
のおかげだろう。見栄を張るお金と精力があ
るうちはそれができなかった。病気と貧乏を
して本当によかった、と思えるのがそのこと
である。ひとの厚意を素直に受けて、そのう
え決して卑屈にならないこと。それがどれほ
ど困難なことか、そしてそれがどれほど大き
な幸せをもたらしてくれるものなのか。それ
を私はしみじみと思い知った。
幸福は、もしかしたら不幸と同じくらい不
条理なものかもしれない。おそらく、不幸が
不条理にやってくるのと同じ原理で幸福は我
々のもとを訪れる。だから、不条理な不幸を
受け入れてそれと闘うことができない人間は
、素直に幸福を受け入れて幸せになることも
できないのかもしれない。
お金やつまらないお礼はそんな不条理を穴
埋めしてくれるような幻想を見せてくれるの
だが、それはもっと大切な可能性のようなも
のまで葬り去ってしまうのである。つまらな
いお礼をすると逃げていってしまう幸福があ
ると私は思うのだ。そのせいで、幸福の種を
育てる努力ができなくなってしまうかもしれ
ない。何か大切なものが見えなくなってしま
うかもしれない。感謝すべき相手に対してそ
れ以上に失礼なことがあるだろうか。
先日亡くなった赤塚不二夫の葬式で、タモ
リが読んだ弔辞が私にそんなことを思わせた
。生きている間は決して言えなかったお礼を
ようやく言わせていただく、と彼は言った。
そして、タモリは「私も先生の作品です」と
最後に付け加えた。お釈迦様の手のひらで飛
び回る孫悟空の気持ちだったのだろうと私は
思う。実は私自身がそうなのだ。たくさんの
ひとの厚意という大きな手のひらで飛び回る
孫悟空。そんな私にできるお礼とはいったい
何だろう。写真とともに、生活とともに、謙
虚にしたたかに生き続けること、それしか無
いではないか。たとえ非力な孫悟空であって
も、広い世界への窓を閉ざしてはいけないの
だ。
谷川俊太郎の詩にあるように、太陽の光が
無償で降りそそいでいることに気づいている
ひとがどれだけいるのだろうか。あたりまえ
のことではあるけれど、そのおかげで写真家
は写真を撮ることができる。幸福のおすそ分
けができるほどの写真家に、私はなることが
できるだろうか。