考古学とユートピア、私の仮説
岩手に移ってからしばらくの間、私は遺跡
の発掘の仕事に参加していたことがある。そ
れまで私は知らなかったけれど、岩手にも縄
文時代の遺跡がたくさんあって、縄文時代を
研究する考古学者の間で岩手は憧れの地なの
だそうだ。
その、太陽の下で汗を流す発掘の仕事は実
に爽快で、体力的に大変なこともあったけれ
ど、この仕事のお陰で私は「うつ」にさよな
らできたと思っているので本当に感謝してい
る。給料は少なかったけれど、あんなに楽し
い仕事はなかなか無い。それと同時に、私は
もともと嫌いでなかった考古学に改めて興味
を引かれるようになった。私が働いていた遺
跡も縄文時代のものだったので、その遺跡が
専門家の間でどのように位置づけられている
のか見届けたい、という気持ちもはたらいて
いる。
そんなわけで、発掘の仕事を離れてからも
、私は地元の博物館で開かれる企画展や埋蔵
文化財センターが主催する講演会になるべく
顔を出すようにしている。そうすると、専門
の学者以外にも考古学が好きなひとが世の中
にたくさんいるのが分かるし、その中には学
者をうならせる質問をする高度な見識を備え
たひとがいるのも分かる。
そんなひとたちに接していると、考古学が
実は現在を考えるための学問である、という
ことが分かってくる。考古学に限らず、全て
の歴史は揺れ動く現代史である、という考え
方はここでも正しいと私は思う。あるいは、
歴史は現在を映し出す鏡である、と言った方
がよいだろうか。
遺跡から出土する遺物は、土器や石器や遺
構といった時間の流れに耐えられる物ばかり
で、たとえば衣服や住居、あるいは言葉や音
楽や信仰や伝説や制度も、遺跡から出土する
ことは無い。だから私自身、発掘の仕事に参
加していて、考古学はどの程度信頼できるの
だろう、と疑問に思ったこともあった。しか
し、逆に考えれば、ほんのわずかな手掛かり
を頼りに遠い時代に思いを馳せるのは、つま
らないフィクションに身をゆだねるよりもず
っと楽しいことである。そんな柔軟な仮説を
厳密に検証してゆくのが考古学の魅力なのか
もしれない。それが、今の時代の不可解さを
考える手掛かりにもなるのだろう。
考古学が扱う遠い過去は、弥生時代でも石
器時代でも、その後の歴史時代に比べてずっ
とミステリアスな印象があるけれど、その中
でも縄文時代の評価は最近になって大きく変
わりつつあるらしい。縄文時代は、それ以前
の石器時代よりもずっと高度な文化を備えて
はいたけれど、その後の弥生時代のように大
規模な稲作は行われず、国家を形成すること
もなかった。そのことが、縄文時代の評価を
今まで不当におとしめていたと言うけれど、
先生方の話を聴いてみると、近年の研究によ
ってそんな考え方が覆されてきているのが分
かる。むしろ、今の時代の閉塞を反映してい
るのか、縄文時代はエコロジカルで平和な時
代だった、という見解が主流になっているら
しい。
縄文時代は一万年もの間たいして変化する
こともなく続いたらしいけれど、ひとつの文
化がこれほど長い間続いたということ自体、
改めて考えてみると驚くべきことだと私は思
う。一万年というのは百世紀である。百世紀
もの間、その生活は必ずしも快適でなかった
とは思うけれど、大きな戦争をすることもな
く、人口爆発を起こすこともなく、高度な文
化を維持しながら人間は生き続けられる、と
いうことは本当に素晴らしい。経済や科学技
術に踊らされて、あるいは進歩や拡大という
幻想に酔って、戦争を繰り返しながら十年単
位でころころ生き方を変えるのが人間の本質
ではない、ということを我々の遠い祖先が実
証していた、と私は考えてみたい。
ただ、縄文時代は優れた文化を備えてはい
たけれど、それは決して今の我々が享受して
いるような高度な技術文明ではなかった。技
術文明というものは、現代のように爆発的に
拡大しながら資源を浪費する社会でしか開花
しないものなのだろうか。ゆるやかに発展し
てゆく、恒常的で平和な技術文明というもの
は人類に可能なのだろうか。この問いを実証
してみせた文明は、いまだ存在したことが無
いようである。
以前、私がひどく厭世的になっていた時で
も、そんな文明がもし可能ならば、私はそん
な時代にもういちど人間として生まれてみた
い、と思い続けていた。もちろん今でもそう
だ。それは私の永遠の憧れである。そんな社
会には歴史も戦争も無く、お金のためだけの
労働も無くて、権威も無ければ無知も無いだ
ろう。これをユートピアと言うのだろうが、
ユートピアの語源は確か「どこにも無い場所
」だった。それは進歩発展してゆく歴史から
外れた場所に存在するのだから、この語源は
確かに正しいと思う。今の歴史をそのまま過
去や未来にどれだけ延長してみても、それは
現れない。しかし、それはどこかに確実に存
在する。歴史と無縁なのだから、それは人間
が住む所ならどこでも突然現れることができ
るだろうし、現れたなら滅びることなくいつ
までも続くだろう。
今、こうして全てが崩れつつある世の中が
、もしかしたら遠いユートピアへの微かな一
歩なのかもしれない。それが私の現在へのた
ったひとつの希望である。それをかいま見な
いうちには死ねない。それだけを思って私は
生き続けているように思う。
話を戻せば、そんな恒常的で平和な社会で
あった縄文時代が、なぜ現在の大量消費社会
につながる弥生時代に移行していったのか、
これが考古学者の間で大きな謎になっている
らしい。弥生時代は稲作文化であり、食料を
余分に生産して備蓄することができるけれど
、縄文人がそれほど食料に困っていたわけで
もないらしい。そして、年間を通じて苛酷な
労働に追われる稲作よりも、縄文時代の採集
や狩猟の方がはるかに楽で、それなりに生産
性も高かったらしい。
結局、縄文人が稲作文化を受け入れる必然
性は今のところ見当たらない、という話では
あったけれど、先生方の口調から察するに、
どうも彼らはお米の味にとりつかれてしまっ
たのがその原因なのではないか、という印象
を私は受けた。お米の味には苛酷な労働も煩
わしい人間関係も厭わなくさせる麻薬的な魅
力があるのかもしれない。その、お米の味が
、あるいは稲作がもたらす新しい経済や社会
の誘惑が、恒常的で平和な縄文時代を捨て去
って、今につながる進歩発展の歴史を始動さ
せた、という仮説を私は考えてみる。農業は
決して平和でエコロジカルなだけのものでは
なくて、そんな危険な一面を持つことを憶え
ておきたいと思う。農業が階級を作り、土地
や水の所有を始めさせ、戦争をひきおこすき
っかけを与えた、という話は以前にも聞いた
ことがある。
しかし、それから数千年を経て、歴史が行
き着くところに行ってしまった今、核兵器と
ミサイルが発達して、うかつに戦争ができな
くなってしまった今こそ、平和に農業を営み
ながら恒常的な技術文明を享受するユートピ
アの入口が近づいているのかもしれない。
それにしても、お米の味に負けてしまった
縄文人より我々はかしこくなっているだろう
か。かしこくなっていないとしても、そんな
新奇な技術に我々はもう充分に食傷している
のだから、案外ユートピアの入口は手近な所
まで来ているのかもしれない。そこに踏み込
む秘訣は、ビンボーや不便と適度に仲良くす
ることのように私は思う。つまり、ビンボー
と付かず離れず楽しいおつきあい、というわ
けである。そんなわけで、何だかよく分から
ないけれど、ユートピアというのは実は可笑
しい場所なのかもしれない。