きちがいに刃物

だいぶ以前、私はろくに調べもしないで物 理学者オッペンハイマーのことを「世間知ら ず」と書いてしまったことがあった。そのこ とがずっと頭の中にひっかかっていたので、 図書館で彼の伝記を見つけた時、あまり気が 進まなかったけれど、それを読んでみること にした。その一冊には「愚者としての科学者 」という副題が寄せられている。著者は藤永 茂氏という日本人の物理学者である。また、 その内容に感動することは無かったけれど、 やはり日本人の国際政治学者が書いた彼のも うひとつの伝記にも目を通した。こちらの副 題は「原爆の父はなぜ水爆開発に反対したか 」となっている。
 その、オッペンハイマーというひとは優秀 な理論物理学者であったけれど、原子爆弾を 開発したロスアラモス研究所の所長を務め、 その後はアメリカの核武装政策に関する官僚 でもあったらしい。そして、原子爆弾の開発 やその後の政治への関わりは、決して時の政 府から強要されたものとばかりは言えなくて 、かなりの部分が彼の自発的な意思であった ことが「愚者としての科学者」の中で明らか にされる。
 もっとも、これは当時の科学者全般につい て言えることであって、一徹な平和主義者と して知られるアインシュタインでさえ、戦時 中は自発的に軍事技術の研究に従事していた ことがここで語られている。日本人の科学者 を含めて、他の科学者については推して知る べし、ということらしい。しかし、著者の言 うとおり、このことを批判する資格のあるひ とは誰もいないだろう。みずからが作り出す 新兵器の真の恐ろしさ、その威力とともに、 そこから引き出される際限の無い狂気を予測 できたひとは誰もいなかった。しかも、その 開発に従事した超エリートの科学者たちの多 くは、決して専門バカの学問オタクではなく て、生活の苦労を重ねた感受性の豊かな教養 人であったことも分かる。
 写真家ブレッソンが晩年のオッペンハイマ ーの肖像を写しているけれど、それは栄光に つつまれた著名な物理学者というよりも、実 年齢より十歳も二十歳も老けこんだ、痛々し い哲学者を思わせる風貌だった。それは、彼 が原子爆弾を完成させてしまう以前の、聡明 で育ちの良いハンサムな物理学者としての肖 像とはあまりにもかけ離れている。
 人間という生き物は、こうまで別人のよう に老けこむことがあるのか、と私は以前から 気にかかっていた。彼と同時代の科学者も政 治家も軍人も、これほどまで老けこんで死ん でいったひとはいなかったように思える。聖 人でも大天才でもなかったオッペンハイマー は、あまりにも重すぎる時代の矛盾と孤独を ひとりで抱えこんでしまったのかもしれない 。それでも、彼は自分の職分から逃れること もせず、汚名と栄光をともに甘受して咽頭ガ ンで死んでしまう。もちろん、それで彼が許 されるわけではないだろうけれど。
 広島や長崎の直前、彼は原子爆弾の使用に 反対できる立場にあったけれど、結局はそれ を黙認した。戦後、彼は原子爆弾の恐ろしさ を噛みしめながらもその開発を後悔すること はなかった。しかし、その惨禍を知ったオッ ペンハイマーが日本人に贖罪の気持ちを持た なかったという証拠もまた無い。その後、彼 は水素爆弾の開発には反対し、核兵器の開発 からは身を引いている。しかし、そこにつけ こんだ連中によって、彼はスパイ扱いされて 公職から追放される。こんな複雑な立場に耐 えられる人間はいないのかもしれない。
 また、誰が撮影したのか判らないけれど、 うつむきかげんで正面を見据えながらパイプ をくゆらす晩年のオッペンハイマーの写真も ある。そこに見られる、彼のおびえ切ったま なざしは、この世のものとは思えないほど痛 ましい。それは、壊れゆくガラス細工を思わ せるけれど、あんなに透明で哀れな瞳を私は 他に見たことが無い。あの瞳はいったい何を 語っているのだろうか。
 そもそも、原子爆弾という最終兵器は物理 学者自身がその開発を急がせたのだった。ヒ トラーよりも先にそれを持たなければ大変な ことになる、というのがその理由だったと言 うけれど、それは結局根拠の無い思いこみで しかなかった。しかし、当時としてはその思 いこみに強烈な説得力があったことも想像で きる。ハルマゲドンをでっち上げてサリンを 作ったオウムの連中と似ていなくもない。も ちろん、オッペンハイマーの方がオウムの秀 才どもよりも、はるかに誠実であったのは明 らかだけれど。
 また、核爆発から生まれる放射線が人間に どんな影響を与えるか、ということも当時と しては予測することができなかっただろう。 核兵器の原理が発見されたのは一九三八年だ ったけれど、分子生物学が発展して遺伝子の 正体が判明するのは戦後のことである。人間 を破壊する核兵器につながる原子物理学より も、人間の原理をつかさどる分子生物学の方 がずっと複雑な学問であって、要するに、放 射線がどんな原理で人間を破壊してゆくかと いうことを究めるのは当時は不可能だったわ けである。
 きちがいに刃物、ということわざがあるが 、その原理的な作用が不明であったとしても 、我々は悪魔の力を手にすることができる。 そして、怖いもの見たさでその力を使ってみ ても、もう取り返しがつかない。これが人間 という生き物の困ったところなのだろう。そ して、物理学の研究は人類の英知を試す営み である、と言ってみても、それは昔から軍事 技術の研究と一体であったことは疑い無い。 原子爆弾は悪であるが物理学の研究は善であ る、という科学者の主張に暗い影が射すのは 当然のことだと思う。唐突ではあるけれど、 手塚治虫の「ブラック・ジャック」に「医者 は天使にもなるが悪魔にもなる」というよう な台詞があったのを私は憶えている。病気そ のものよりも、人間の性悪さの方がずっと手 に負えないものなのだろう。私は科学者や医 者に同情する。
 話がだいぶ混乱してきたけれど、そんな科 学者や医者の危うさに比べれば、芸術家や文 学者の苦悩など子どもだましのお遊びではな いのか、という思いがしてならない。これは 、私が科学の世界からドロップアウトする以 前からの勝手な思いこみなのである。
 科学者は、もうひとりではいられないのだ ろう。彼らは、いつのまにか身動きが取れな くなって悪魔の下手人に成り下がってしまう かもしれない。しかし、それをおおっぴらに 批判することは私にはできそうにない。科学 者という生き方そのものが、もはや消滅して しまうかもしれないからだ。しかし、芸術家 が堕落したり消滅してもそれは屁のようなも ので、世間には何の実害も無い(と思う)。 それよりも、制作を続けながらだらしなくひ とりで生きのびること。その度胸さえ無い「 芸術家」が多すぎるのかもしれない。
 ところで、オッペンハイマーは文学や音楽 をこよなく愛していたそうだ。もし自分に詩 才があれば、物理学者ではなくて文学者の道 を歩むつもりでいたらしい。彼にはヒンドゥ ー教の聖典を原語で読むほどの見識もあった 。普通の科学者の教養なるものをはるかに越 える豊かな感受性を彼は備えていた。彼の葬 儀の最後を飾ったのは、ベートーヴェンの弦 楽四重奏嬰ハ短調No一三一の生演奏だった 、とのことである。これは彼が終生にわたっ て愛し続けた曲だったというけれど、私もそ れをいつか聴いてみたいと思う。もしかした ら、そこからまた何かが見えてくるのかもし れない。

蛇足ながら、戦後、核兵器が一度も使われ てこなかったのは奇跡のように思えてくる。 そんな最終兵器を手にしたアメリカやソ連の 軍人どもの興奮も「愚者としての科学者」か らいきいきと伝わってくるからだ。その興奮 の前ではオッペンハイマーの苦悩は誤解され る他はなかったのかもしれない。まさに「き ちがいに刃物」である。そんな、皆殺しの手 段を発見して狂喜している子どものような連 中とは、できればおつきあいしたくない。
 もっと許せないのは、広島や長崎、そして 東京大空襲といった戦略爆撃の司令官だった 軍人に、戦後、独立を回復した後の日本政府 が勲章を贈っていることである。航空自衛隊 の育成に尽力した、というのがその理由と言 うけれど、冗談じゃない、日本はそんなに安 っぽい国だったのか、何が美しい国だ、と改 めてなさけなくなってくるのである。晩年の オッペンハイマーの、あの透明で哀れな瞳を 持った日本人がはたしていたのかどうか、私 には判らない。やはり、国家は個人を裏切る のだろう。



[ BACK TO MENU ]