森山大道さんの「昼の学校 夜の学校」と
いうインタビュー集が出た折り、確か「日本
カメラ」誌に載ったその書評の印象を私は忘
れることができないでいる。
森山大道は土門拳に次いで多くの写真家に
影響を与えた写真家だろう、とか、森山さん
のような人生や生活もあるのか、と若いひと
は手も無く魅了されてしまうだろう、とか、
森山さんのように写真を撮りまくってその後
カタギになったという話も聞かない、とか、
悪い奴ほどよく喋るから気をつけるべし、と
まで書いてあったと思う。これはいささか言
い過ぎのように思えるけれど、それでも私は
この本とその書評の全てに深くうなずかざる
を得なかった。
そんなわけで、写真ってこんなものじゃな
いはずでしょ、という思いを抱えるひとに、
森山さんの写真と生き方が強烈にアピールす
るのは確かなことで、私もその例外ではなか
った。
私の写真に対する失望は、学校の図書館に
あった土門拳のエッセイ集を読んだことから
始まったと思うけれど、同時に見たNHKの
写真講座に出ておられた植田正治さんの優し
さとか、近所の図書館で見た「昭和写真全仕
事」の奈良原一高さんや東松照明さんの巻が
私の写真への興味をつなぎとめ、ふくらませ
てくれた。自宅にあった百科事典の「写真」
の項目で紹介されていた写真家の作品もさほ
ど私をひきつけることはなかったけれど、ア
ジェのショーウインドの写真や安井仲治の犬
の写真、そして細江英公さんの「薔薇刑」だ
けは何も知らない少年だった私にもとても魅
力的だった。もちろん「薔薇刑」の撮影助手
が若き日の森山さんだったことなど当時は知
るよしも無い。
だから、私は級友が森山さんの写真集「光
と影」を見せてくれた時に、初めて森山大道
という写真家の名前を知ったのだった。失礼
かもしれないけれど、不思議な親近感ととも
に、こんな写真を撮っている写真家もいるの
か、というような感想を私は持った。その直
後、月例コンテストの審査員となった森山さ
んの「独断と偏見で写真を見ます」という言
葉に、高校生だった私は、もしかしたらこの
ひとなら私のやろうとしていることを理解し
てくれるかもしれない、という勝手な直観を
抱いてしまったのである。
その後のてんまつは、一九八三年の「日本
カメラ」誌をひっぱり出してみれば分かるこ
となので私はあまり書きたくない。ただ、何
の面識も無い、親ほども年齢の離れた大人が
、私の写真をこれほど深く批評して認めて下
さったのが本当に嬉しかった。しかも、全国
に星の数ほどいる大人のアマチュア写真愛好
家をさしおいて、当時の私の年齢に全く触れ
ずに私の写真を選んで下さったのである。私
の中でこり固まっていたものを、それは優し
く溶かしてくれた。
大人になるというのは、もしかしたら素晴
らしいことなのかもしれない、私はそんな希
望を持って十代後半を生きることができた。
これは何よりもありがたいことだったと思う
。その印象は、その後に参加させてもらった
「写真時代」誌の森山大道教室「フォトセッ
ション」でも同じだった。
そんなわけで、森山大道さんは私の人生の
あり方を決めたひとであり、これまでの私を
本当に寛容に暖かく、かつ厳しく見守って下
さった大恩人であり、いくら感謝しても足り
ない本当に特別なひとなのである。そして、
あのように底知れない魅力をたたえたひとを
私は他に知らない。余談ながら、そのただひ
とりの例外は、数年前にいちどだけお会いし
て言葉をかわすことができたピアニスト、ポ
ール・ブレイさんだけである。いずれにせよ
、あのように魅力的なひとが私と同時代を全
力で生き続けている。そして、そんなひとが
私をどこかで気にかけていて下さる。そのこ
とだけで、私はこれまでの人生を生きてくる
ことができた。これは決して大げさなことを
言っているのではない。
だから、私にとって森山大道という写真家
について書くことは大変難しい。数年前、渋
谷で開かれた安井仲治の展覧会の副題は「写
真のすべて」となっていたけれど、この言葉
は森山大道という写真家にもあてはまるよう
に思える。銀塩のモノクロームで、ひたすら
ハイコントラストの路上スナップばかりを撮
り続ける、この一徹な写真家が、なぜ「写真
のすべて」なのか。森山大道の逆説はすでに
こんなところに顔を出している。
その魅力は本当に強烈なのだけれど、私は
写真のうえでも生き方についても森山さんの
スタイルの上っ面を真似ることはしなかった
。そのことについては今までたくさんのひと
に不思議がられてきたけれど、そんな奴に限
って私の写真をきちんと見てくれなかった印
象がある。下手な真似を繰り返すことはいろ
んな意味で礼儀に反することのように思えた
し、そう思いこむことは私だけの特権である
ようにさえ思えた。森山さんから学ぶべきこ
とはもっと他にたくさんある。私は最初から
それを知っていた。
そんな無垢な少年だった私を、森山さんは
まるで息子のように可愛がって下さった。孤
独を癒す気遣いというものを、私はそこで初
めて知ったのだと思う。だからこそ、私は自
分の孤独を大事にしなければいけないと思っ
たのである。未熟な少年が大人に迷惑をかけ
てしまうのは恥ずかしい限りだけれど、いつ
までもそうするわけにはゆかない。なんとか
自分の場所に小さな花を咲かせなければ本当
に失礼なことになってしまう。
森山さんがかつて寺山修司について、暖か
くて懐かしい寺山さんの印象を大切にしたか
った、だからあまり寺山さんと一緒にいたく
なかった、というようなことを書いておられ
たけれど、私は森山さん自身について全く同
じことを思っていたような気がする。
それが、私が森山さんの「とりまき」にな
らず、そのスタイルの上っ面を真似ることも
なかった理由になると思う。そもそも、森山
さんはそんなことをひとに求めるようなひと
ではないと思う。森山さんの言動に接して励
まされたり叱られたりしていた私は、その後
、生き続けるうえで何か決断を迫られるたび
に「森山さんならこんな時どうするだろうか
」と自問するくせがついた。それで充分だっ
た。そして、そんな私を森山さんはずっと暖
かく見守って下さった。それは私の大切な財
産である。
だから、森山大道という写真家を精緻に分
析し批評することは私には不可能なのである
。最近、森山さんについて書かれた批評を集
めた「森山大道とその時代」という本が出た
けれど、この本に目を通してみて、この写真
家については写真集の出版や展覧会のたびに
短い文章が散発的に書かれるばかりではない
か、と私は思った。
森山さん本人は、かつて「気持ち悪いから
自分について書かれたものは読まない」と書
いておられたことがあった。世間に出回る批
評のほとんどは読むに耐えないものであるし
、もし胸を突く批評を読んだら本人は立つ瀬
が無い。そんな、言葉というものの危うさを
森山さんはよく知っているのだろう。
それにしても、森山大道という写真家につ
いて、精緻かつ長大で読んで面白い批評が一
向に現れないのは不思議である。まともな作
家論も書けないような奴が批評家を名乗るの
はおこがましい、というような発言も森山さ
んはしておられた。しかし、日本の写真家で
、作家論が単行本として出版されたのは土門
拳と東松照明と荒木経惟くらいしかいないの
ではないだろうか。篠山紀信も中平卓馬も立
木義浩も植田正治も内藤正敏も、私が読みた
いと思っている写真家に限って、まともな作
家論が書かれた試しが無いように思う。
もちろん、現存する作家について、その作
家としばしば深い交友がある批評家が、精緻
かつ長大な文章を書くことは大変に困難な仕
事だと思う。文学の世界でさえ、その成功例
はサルトルのジュネ論と平岡正明の筒井康隆
論くらいしか私は思いつかない。そして、不
思議なことに、その労作は当の作家を殺して
しまうことになりかねない。ジュネはその後
沈黙を経て小説から戯曲に転じたと言うし、
作家論と関係あるのかどうか判らないけれど
、筒井康隆はその前後、数年にわたる断筆に
突入している。それでも、作家を殺してしま
うほどの力量がある文章を、写真の世界で私
は読んでみたい。私はようやく読み始めたと
ころだけれど、メイプルソープの死後に書か
れた多木浩二の「写真の誘惑」が唯一それに
値するのかもしれない。
結局、この写真家が写真をどう考えている
のか、それが誰にも正確には分からない。森
山さんの魅力的な人柄と言葉がそれをさらに
困難にしている。だから、精緻な森山大道論
はいまだに書かれることが無い。私はそんな
気がしている。失礼を承知で言わせてもらえ
ば、ひとは真実を語るために言葉を遣うとは
限らない、真実を隠すために言葉を遣うこと
もある、ということかもしれない。森山さん
の魅力的な言葉は、このうえない真実を語っ
ていながら、まさに虚実皮膜の間から読み手
を魅惑するからだ。そこに暖かい励ましのメ
ッセージを読み取ることができた私は確かに
幸せだったと思う。そして、森山さんの膨大
な写真の集積も、そんな虚実皮膜の間からひ
とを魅惑し続けるのだと私は思う。
森山さんがこれまで掲げてきたいくつかの
魅力的なキーワードも、実は森山さん本人が
乗り越えるために、自分に対して設定した仮
説だったのかもしれない。文庫版「犬の記憶
」のあとがきを読み返して私はそんなことを
考えた。「犬の記憶」を連載していた頃の森
山さんにとって、「記憶」という言葉が最大
のキーワードだったことは明らかだけれど、
そこに森山さん自身がやや情緒的に入りこん
でそれを検証してゆくことが、森山さんの写
真を撮る最大の動機だったと言ってよいと思
う。しかし、十数年後、その文庫版のあとが
きには、記憶はもはや情緒的なイメージでは
なく、硬質で物質的な細片となって日常の心
のすき間を埋めてくれている、と森山さんは
記している。「硬質で物質的な細片」という
言葉が私にはとても気になるし、これが今の
森山さんのキーワードなのかもしれないけれ
ど、おそらくこれさえも重厚な仮説なのかも
しれない。
こんなふうに、森山さんの写真と言葉につ
いて考え始めると、きりの無い堂々めぐりに
おちいることになる。「日本カメラ」誌のコ
ンテストでは、「手の内を悟られてはならな
い。あちらと思えばまたこちら…」という発
言を森山さんはしていたけれど、シンプル
イズ ベスト、というもうひとつのキーワー
ドをつぶやきながら、森山さんは今もエネル
ギッシュに魅力的に舞い続けている。
こうなったら、私もささやかな仮説を考え
てみるしかない。森山さんの最初の写真集「
にっぽん劇場写真帖」の最後を飾る、ホルマ
リン漬けの胎児の写真を私は思い出している
。この、若き日の森山さんの連作に、森山さ
んの人間に対する認識、世間に対する認識、
写真に対する認識、その本音が隠されている
ように私には思えてならない。この世に生ま
れることができなかった物言わぬ胎児のよう
に、透明な容器の中で液体に漬かって、ぷか
ぷか浮いたり沈んだりするのが人間なんだよ
、それが世間なんだよ、さらに言わせてもら
えば、それにかかわることができるのが写真
なんだよ、森山さんはそんなふうに言ってい
るような気がする。それは苛酷な現実であり
、同時に柔らかな夢である。あの連作は、美
しい円環を思わせる森山さんの原景であり、
同時に遠い到達点である。そんな仮説を私は
考えてみる。
失礼をかえりみず森山さんについて書き始
めると、こんなふうにきりがないけれど、い
ったい何が私を森山さんに結びつけてくれた
のか、そのヒントのひとつに私は最近ようや
く思い至ったような気がしている。それを書
いておきたい。
天体写真から写真を始めた私にとって、写
真は最初から科学であり記録であり、人智を
越えてひとを魅惑する遊びだったと思う。そ
して、天体写真の処方は高感度でハイコント
ラストなプリントを作り出す。その眼で地上
を撮り始めた私が、森山さんの写真に魅かれ
るのは当然のことだったという気がする。
さらに言わせてもらえば、森山さんの写真
は、最初から非人称で普遍的な場所を指向し
ていたと思う。これは、科学者の態度に極め
て近いように思えるのだ。森山さんが「写真
のすべて」であり、その影響を受けた数多い
写真家に、誰ひとりとしてその言葉が似合う
者がいないのはそのせいではないのだろうか
。誰も森山さんをまともに論じることができ
ないのも、そのせいなのかもしれない。
最後に、私の大好きなランボーの詩を引用
しておきたい。
戦い
おさない頃、諸国の空が私の光学を磨いて
くれた。あらゆる性格が私の面貌に微妙なか
げをつけてくれた。さまざまな現象が湧き立
った。−今では、力率の永遠の屈折と数学の
無限が私を追い立てる、私が奇怪な子供たち
や途方もない愛情に敬われながらあらゆる市
民的成功を受け入れているこの世界のなかで
、−私は、当然のものにせよ力ずくのものに
せよ、まったく思いもかけぬ論理による戦い
を夢みている。
音楽の一小節と同様に単純だ。
…もう十年以上、私は森山さんにお会いし
ていないけれど、またいつかお会いできれば
、やはり私はそのことを気にとめて生き続け
ているように思う。