辞める

総理大臣が急に辞めてしまった。周知のと おり、国会の開会直後、所信表明演説を済ま せて代表質問を受ける直前に彼は辞めると言 い出した。その時の記者会見でも彼の言うこ とは実に身勝手で支離滅裂だったと思う。辞 める本当の理由は本人の体調不良ということ だが、それを彼自身は一言も語ることがなか った。最後まで不真面目極まりない男だった と思う。
 あの知らせを聞いて私がまず思ったのは、 トップの人間は無責任に仕事を放り出すこと ができていい気なものだな、ということだっ た。そして、それをとがめる者が誰ひとりと していないのは驚くべきことではないか。
 王制や独裁制であれば、こんなふうにトッ プが職務を放り出して勝手に入院することな ど許されない。文字通り「詰め腹を切らされ る」はずである。つまり、本人のみならず一 族の自由や生命がそれと引き換えになるので ある。しかも、あの総理大臣は直属の部下で ある閣僚を自殺に追いやっている。そんな上 司に、自分の仕事を勝手に放り出して病院に 逃げこむことは許されないはずだ。いちど続 けると言った以上、あそこで辞めたりしない で、国会議事堂で血を吐いて倒れればあっぱ れだった。
 私のような人間でさえ、仕事を辞める時は 秘かに考え抜く。
 辞める決心をすると、まず、辞める時期を 考える。それを周囲に告白する時期を考える 。誰に最初に打ち明けるかを考える。私自身 の心身がいつ頃まで持ちそうなのか、それま での間にどうしても済ませておかなければな らない仕事は何なのか、どうすればうまく引 き継ぎができるのか。そして、いつ辞めれば 私が金銭的にも体面的にも有利なのか。同僚 や取引先に最も迷惑がかからないのはいつな のか。辞めた後の私自身の療養はどうするの か。次の仕事はどうするのか。
 べつに計画表を作って辞めるわけではない し、そんな計画どおりにすんなり辞められる わけでもないのだけれど、私だってそれくら いのことは考えてから仕事を辞めた。
 だから、いかにお坊ちゃんのボンクラとは いえ、国のトップである総理大臣があんなふ うに無責任に、言い訳にもならない言い訳を して仕事を放り出すと、私は腹が立って仕方 がない。
 今思い出してみると、仕事を辞めるという のは自作自演のパフォーマンスのひとつでは なかったか、という気がする。それは「立つ 鳥あとを濁さず」とか「終わり良ければ全て 良し」といった言葉を実現するための、その 職場における最後の「仕事」だったような気 がするのだ。理由はともあれ、惜しまれて辞 めるという花道を演出できないようでは今ま での自分が不憫に過ぎるし、そのパフォーマ ンス自体が実は最高の復讐になる。もちろん 、激怒して辞表をたたきつけるのも花道を演 出する方法のひとつである。どちらでもよい 。余談ながら、そんなパフォーマンスさえ許 されずに職場を去ってゆかなければならない のがフリーターの悲哀である。
 どんなふうに辞めようが自分の中にしつこ い恨みが残るのは当然だが、それを果たした ければ後日の秘かな楽しみにすればよい。あ るいは、優雅に生きるのが最高の復讐、とい うことわざもある。その真意が私は今、よう やく理解できる。政治の世界からさっぱりと 足を洗って、そんな生活を実現した総理大臣 もいたことを思い出そう。
 それもできないあの男は、私ごときにも劣 ると怒りをこめて断言する。あの総理大臣に は、そんな劇を演出する意思と才能が全く欠 けている。それは政治家に不可欠な能力のは ずだが、その結果として、果てしない無駄と 害毒を日本中に世界中に垂れ流している。そ して、繰り返しになるけれど、それを叱る者 が誰もいない。
 以前も書いたけれど、今は「第二の応仁の 乱」なのだと私は思う。物質的に豊かな中で 、全てが崩れて貧しくなってゆくのである。 それを加速させたのが、あの総理大臣の唯一 の功績なのかもしれない。五百年前の応仁の 乱の後、乱れに乱れていた日本が外国の侵略 を受けることがなかったのは不思議だけれど 、これからのこの国も、孤立したまま果てし なく崩れてゆくのだろう。私のような生来の ダダイストには実に面白くて自由な、待ちに 待った時代なのかもしれない。ただ、その中 で苦しんで死んでゆくひとがたくさんいるこ とを忘れるわけにはゆかない。
 ところで、独裁制であろうと民主制であろ うと、そしてその人気がいかに低かろうと、 国民は常にみずからに相応しい指導者を戴く ものだ、と私は考えている。であれば、あの 男は現在の我々に実に似つかわしい、まさに 我々の悪徳を煮詰めた総理大臣のように見え てくるのだ。
 昔、外務大臣を務めた自民党の政治家が「 この程度の国民にこの程度の政治家」と言っ たそうだけれど、これは至言ではないだろう か。結局、政治や外交が芸能スキャンダルと 同じ程度の重みしか持たないこの国ならば、 政治家も我々も無責任で空疎な言葉をもてあ そんで、崩れるところまで崩れるのが策のひ とつなのかもしれない
。  いずれにせよ、十数年前までの豊かで平穏 で権威主義的な世の中に未練を持つよりも、 綺麗さっぱりとシンプルに貧乏に、自由に気 持ちよく生きてゆく方が幸せである。総理大 臣に限らず「政治家は誰がなっても同じ」と いうのは今も真実ではあるけれど、そんな真 実に安住することはもはや許されないという 気もする。それが自由というものの厳しさな のかもしれない。
 ところで、その最後っ屁にあのなさけない 総理大臣を持ってきた、日本の終身雇用とか 年功序列とか、あるいは学歴社会とか血族主 義というものは、日本型の専制共産主義だっ たように思えてならない。
 それは、将来の保証と引き換えに、我々の 全員が持っている自由と意欲を根こそぎ奪っ てしまった。その挙げ句、無能になってしま った中高年を食わせ続けるために、才能や情 熱のある若い人間が次々に犠牲になっていっ た。しかも、これは安穏ではあっても、右肩 上がりの成長が続かなければ維持できないこ とを皆が忘れていた。
 これを平和ボケと言うのだろうが、若い人 間の自由と意欲を奪い続けたせいで、我々は いつのまにかどうしようもない馬鹿の集団に なってしまったと思う。もはや、なすすべは 無いのだが、かしこい人間はそれでも楽しく 生きてゆけるから心配はいらない。
 そんな日本の専制共産主義のトップに君臨 していたのは、政治家でも思想でもなくてお 金だったわけだが、この体制が功を奏して世 の中が豊かになると、逆にお金の価値は低下 して空騒ぎが始まる。そして再び貧しさがや って来る。それでもお金はひとを惑わすこと をやめない。五十年以上前にそれを見抜いて いた百鬼園先生の至言が、ようやく私も身に しみるようになってきた。馬鹿にかけては私 もあの総理大臣に劣らないようである。
 話をもどせば、そんな花道を飾る辞め方を 私はどこで学んだか思い出してみると、七十 年代後半から八十年頃にかけて起こった、キ ャンディーズの解散とか長嶋茂雄や山口百恵 の引退がそれだったのではないか、と私は思 い至る。あの一連の出来事は、今よりもずっ と平穏だったあの時代においては、世間の注 目を集める大事件だったし、そのてんまつは いささか鼻につく部分もあったけれど、彼ら は実にあっぱれで感動的でかっこよかったの である。少年だった私は、それにほだされて しまったように思う。あのなさけない総理大 臣は、あの頃いったい何をしていたのだろう と思う。


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