この前の戦争

憶えているひとも多いと思うけれど、二十 年以上昔、季刊「写真時代21」という雑誌が あった。白夜書房から出ていた「写真時代」 の姉妹誌で、「高級映像文化誌」と称する文 章が中心の雑誌だった。確か四号くらいで廃 刊になってしまったと思う。当時高校生だっ た私は創刊号を買い求めて、今もそれを大切 に保存している。当時も、そして今読み直し てみても、この雑誌は何だかわけが分からな くて本当に面白い。
 その中で、特に忘れがたいのが木村恒久・ 上野昂志両氏の対談で、そこでは「写真時代 」の末井昭編集長が司会を務めて、話のゆく えをより魅力的でわけの分からない方向に導 いている。対談は「ナウいってことは権力を 放棄すること」と題されているけれど、その となりに副題がずらずらと列挙されていて、 それは「田中角栄と天皇」から始まって「ウ ンコとオナニー」で終わっている。私にして みれば、ここに強烈なメッセージが隠されて いるような気がして仕方がない。田中角栄の 下品さを昭和天皇が嫌っているらしい、とい うところからこの対談は始まるのだが、十ペ ージ以上を費やしたその終わりはウンコとオ ナニーの話である。そこで、田中角栄がウン コなら天皇は…という対応が考えられるわけ だが、こんなことを広言すると今でも身に危 険が及ぶのだろうか。私には分からない。こ の妙な対応が「ナウいってことは権力を放棄 すること」にどこかしらつながっているよう な気がしないでもない。こういうことに詳し いやわらさんにご教示を仰ぎたいと思う。
 それはともかくとして、この対談の冒頭で 「オイルショックが与えた影響は応仁の乱に 匹敵するほどの大変革だった」という発言が 紹介されるのだけれど、それについて「オイ ルショック以後では、それまでの現実が前世 の出来事になった感じがするんです」とコメ ントが続いている。今なら、「オイルショッ ク」を「バブル崩壊」に置き換えてみた方が より説得力があると私は思う。バブル以前が 本当に前世の出来事のように私には思えてな らないからだ。バブルまでの昭和時代を懐か しむ気持ちを実は私も捨て切れずにいるのだ けれど、それは、いつのまにか戦国時代にな ってしまった今、目に見えない秩序が保たれ ていた泰平の時代への郷愁なのだろう。
 そんなわけで、私は応仁の乱について百科 辞典でにわか勉強をしてみたのだけれど、室 町時代中期に十年に渡って京都を荒廃させた この戦乱は、結局何だかよく分からないので ある。その発端と言い、経過と言い、終息と 言い、どうにもフマジメでなげやりな印象が ある。それは、不安定だった室町幕府の権力 構造に、対立する大名どうしの私怨がからん だのが発端らしいけれど、いざ戦いが始まっ てみても華々しいことは何も無くて、だらだ らと推移するうちに厭戦気分が盛り上がって きて戦乱はフェイドアウトしたように見えて しまう。それを抑えるはずの将軍足利義政は 、まるで後世の徳川綱吉のように政治に無関 心になって内輪の宴会にふけっていたらしい 。結局、この戦乱は室町幕府の権威を失墜さ せて各地の大名の勢力を増すことになり、日 本をいつのまにか百年におよぶ戦国時代に突 入させることになる。
 その舞台となった京都では、今でも「この 前の戦争」と言うと応仁の乱を指すことがあ ると言うのだけれど、京都に詳しい私の友人 によればこの話は冗談ではないらしい。応仁 の乱の後、長い時間をかけて成立した封建時 代の枠組みが今に至るまで変わらなかったこ とがここに現れているのだろうか。
 応仁の乱に続く戦国時代についても私は百 科辞典でにわか勉強をしてみたのだけれど、 この項目は実に膨大で私にすぐには理解でき ない。ただ、戦乱で国が荒れていたとは言え 、ひとびとは結構生き生きと暮らしていた印 象がある。戦いが打ち続くなか、何の保証も 無い厳しい時代ではあったけれど、野心のあ るひとはそれのおもむくまま、逆にのんびり したいひとはそこから逃れてマイペースで、 わりと好き勝手に生きていたような気もして くる。その時代に、今に伝わる独自の文化が 生まれていたことも分かったし、室町幕府の 権威が失墜しても、独自に富を蓄積していた 商人や大名がいたことも分かった。
 そんなにわか勉強をしてみると、昭和の高 度成長からバブルまでは金閣寺を建てた足利 義満の我が世の春で、バブル崩壊が応仁の乱 、それが終息して形だけ景気が回復している 今はすでに戦国時代、と考えると分かりやす いような気がする。しろうとは恥をかくとい うことを知らないので、こういう無茶苦茶な 発想ができるのである。
 田村隆一がバブル崩壊後の最晩年に出した 若者向けの人生相談の本に、「バブル崩壊の 正体を見極めるまで少なくとも三十年はかか るだろう」というような前書きがあったと思 うけれど、かつての戦国時代が百年続いたこ とを考えれば、確かに今度の戦国時代もその くらいは続くのかもしれない。「写真時代21 」が出ていたのと同じ頃に出た田村隆一の詩 集「奴隷の歓び」は洒落た「歌」ではあるけ れど、その後の我々のみじめさを予見してい るようで私は好きな詩集である。
 いずれにせよ、五百年ぶりではあるけれど 、戦国時代はバブル崩壊を経て今回もいつの まにかやって来てしまったらしい。そんな今 、泰平の昭和時代を懐かしむのは甘美なこと だが、少なくともあと数十年、今の中高年が 絶滅するまでそれは再来しそうにない。彼ら 中高年世代は大人になってからの挫折を知ら ないので、つまりいくら努力しても悪くなる 世の中というものを知らないので、いざとな ると年寄りや若者の未来を奪ってまでも自ら の豊かさを維持しようとする。それが形だけ の景気の回復として現れているわけだが、私 も派遣社員としてこき使われた経験があるの でそれは身にしみて知っているのだ。
 要するに、今は戦国時代なのだから、甘い 汁を吸っている連中の言うことなど真に受け てはいけない。その甘い汁でさえ、よく考え てみればずいぶんと窮屈で重たい足かせでは ないのか。そんな彼らをいさめるのが八十過 ぎの年寄りの仕事だと思うけれど、そんな気 骨のある年寄りは今や吉本隆明と瀬戸内寂聴 くらいしか見当たらない。最近の年寄りと中 高年はなってない、と叱る資格が我々にはあ ると思う。
 本当に、今は頭に来ることばかりなのでま ともに何かを考えるのが嫌になってしまうの だが、今は戦国時代の始まりなのだ、と自覚 すると根性が据わってくるような気がする。 アナーキストやダダイストを自覚する我々に とっては、これが本来の世の中のあり方でも ある。私のようにいつまでも心の病を気にし ているのはもったいないのかもしれなくて、 お金も権威もしょせん無根拠なもの、と覚悟 を決めてしたたかに生きてゆくべき時代なの だろう。勝ち組負け組なんて言うけれど、実 は淋しい金持ちほど哀れな奴はいない。みん な「王様は裸だ」と広言する勇気が無いだけ のことで、厳しさに慣れてしまえば、つまら ない豊かさよりも自由の方がずっと身軽で甘 美なものだと私は思う。
 また、私のにわか勉強によれば、戦国時代 の文化は応仁の乱以前の足利義満の文化より もずっと素晴らしい印象があった。であれば 、高度成長やバブルを懐かしむよりも、これ からやって来る自由で厳しい時代が生み出す ものの方がよほど素晴らしいものになる、と 希望を持つこともできるだろう。
 願わくばこの歪んだ世の中が今しばらく続 いて、将来の保証なんて誰にとってもあり得 ない、ということと、お金なんてタヌキが化 かした木の葉と大差無い、という現実を連中 に思い知らせることができれば、そんな素敵 で自由で厳しい時代がやって来るのではない か。であれば、バブル崩壊までの幻想に振り 回されてしまうのもあと少しで終わりである 。その時、年寄りや若者の未来を奪ってつま らない豊かさにしがみついている哀れな連中 は社会の片隅に押しやられているだろう。そ の時が来るのを私は本当に心待ちにしている のだ。そうすれば郷愁にひたることなくかつ ての流行り歌を楽しむこともできるようにな る。楽しい戦国時代がやってくる!
 前の戦国時代は応仁の乱の百年後、織田信 長の上洛によって終わったというけれど、そ れを可能にしたのは地方大名や庶民に有形無 形の富が蓄積されたこと、南蛮文化の伝来と いった外からの刺激があったこと、そんな要 因があったらしい。情報通信技術がそれを助 けることができるのならば、今度の戦国時代 は百年も続かないのかもしれない。
 いずれにせよ、世をすねてひきこもったり している場合でないのは確かである。かと言 って、文明の利器にそそのかされて時間に追 われるのはもうご免である。時間を切り売り するつまらない世の中も一緒に終わってしま えばよいのに、と私は思う。一度しかない、 奇跡的なこの人生をそんなふうに擦り減らし たくはない。
 変な結論になるけれど、何もしなくとも地 球は回り続けて明日は勝手にやって来る、と いうのは実は素晴らしいことなのかもしれな い。勝手に明日がやって来て、美しい想い出 が日々遠ざかってゆくのが今までの私には耐 えがたい苦痛だったからだ。

蛇足ながら「写真時代21」の対談によれば 、写真家がオリジナルプリントを売るように なったのは、六十年代初めにアメリカの広告 写真家が不況でやむを得ず始めたのが発端だ そうです。そんなもんなのか、というのが私 の感想です。プリントを売ることにこだわり 過ぎる必要も無いんだな、と思いました。



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