四十歳

四十歳になる、というのはどういうことな のだろうか。この文章が掲載される頃、私は 四十歳の誕生日を迎えているのだけれど、ず いぶん前から私はそれについてあれこれ考え 続けてきたような気がする。
 ヒトの仲間である類人猿の寿命は自然のま までは長くて四十歳、ということは幼い頃か ら私は知っていたし、織田信長ではないけれ ど、つい最近まで「人生五十年」と言われて いたことも私は知っていた。
 私はそうはならなかったけれど、二十歳前 後で子どもをもうけてしまえば、四十歳にな る頃には子どもはその年齢に達しているわけ で、世代を継ぐという役目はそこで果たし終 えたことになる。実際、江戸時代までは四十 歳で隠居することはめずらしくなかったらし い。
 個人的にも社会的にも、四十歳の意味が現 在とずいぶん違っていたのは確かだとしても 、この年齢は転機、大げさに言えば生まれ変 わりの季節であるのも確からしい。どの世界 でも、三十代まで活躍を続けたものの、四十 代を越えることができずに亡くなったり消え ていったりしたひとがたくさんいる。私が二 十代までによく読んでいたカフカやランボー や、私の反面教師でもある宮沢賢治もそうだ った。そんな天才たちを乗り越えるには自分 なりに生き続けること、そんなふうに私は思 いこんでいたふしがある。
 それでも、たとえばミシェル・ペトルチア ーニのように重度の障害を負って生まれたひ とはともかくとして、健全な人間が若死にす るのはやはり安易なことではないかと今の私 は思う。先日、歌手の本田美奈子が亡くなっ た時、彼女の友人が涙ながらに「ずるい」と 語っていたのを私は憶えているけれど、病死 とはいえ、若死にするのはやはり美しすぎる ことなので、遺された者は結局「ずるい」と 言うしかなくなる。そんな生き方が厳しく甘 美であることも私は知っているので、私も「 ずるく」生きて死んでしまいたかったけれど 、残念ながらそうは問屋が卸さなかった。
 四十歳になる前に死んでしまう、というの は「老い」を知らずに死ぬ、ということなの かもしれない。「老い」が甘美なものなのか 醜悪なものなのか、あるいは単に平凡な現象 に過ぎないのか、それは今の私には全く分か らない。ありきたりでありながら、一般論で は語れない厄介な現象かもしれない、と予測 することしかできない。それは、自分が体験 してみなければ分からないことなのだろう。 長嶋茂雄さんが還暦を迎えた時のインタビュ ーで「初めてのことなのでよく分かりません 」と答えていたのが私は忘れられない。その 長嶋さんは働き過ぎのせいで数年後、脳梗塞 で倒れてしまった。良くも悪くも、生きてい ると何が起こるか分からないのだ。
 そんなわけで、弱音を吐いても仕方がない けれど、私は歳を重ねて生き続ける道を何と かして探る必要があった。何も考えなくとも うまく歳を重ねてゆけるひともたくさんいる と思うし、それは本当にうらやましい限りな のだけれど、残念ながら私にはそんな才能も 無い。それが原因なのか結果なのかよく分か らないが、三十代なかばで始まった私の心の 病はそれと関係があったのかと思う。長生き していい仕事を残すひとは中年の入口にうつ 病にかかることが多い、という河合隼雄さん の言葉がその頃の私に不思議な暗示を与えて くれた。
 不思議な暗示と言えば、〇四年に私が個展 を開く折り、どういうわけかラフマニノフの 「パガニーニ・ラプソディ」を聴きたくなっ て、友人の紹介でルビンシュタインとシカゴ 交響楽団が録音したそのCDを買い求めた。 その解説を読んで驚いたのは、ラフマニノフ も中年の入口でうつ病に苦しんでいた、とい うことだった。その回復直後に作曲されたと いう「ピアノ協奏曲第二番」は何だか生々し くて私はあまり好きになれないけれど、それ から数十年経った晩年に生まれたという「パ ガニーニ・ラプソディ」は私を本当に安らか で幸せな気持ちにしてくれる。心の病の答え をあの時の私は聴きたがっていたのかもしれ ない、と今にして思う。「生きるのぞみ」で ある。
 若さに固執するあまり、そんな希望を拒否 して自ら死んでゆくひともいるのだけれど、 私には物心ついた時から「若さ」というもの に疑問を抱いていたふしもあった。そのせい かどうか、私の写真は十代の頃から「若さが 無い」と言われ続けてきたし、自分でもそれ を誇りに思ってきたようなところがあった。 若さというのはアートにとって雑音以外の何 物でもないはずだ、というのは今に至るまで 変わることのない私の信念である。十代の芸 術家が現代に残した古典、たとえばランボー もラディゲもピカソも、あるいは山口百恵だ って、その作品は全く若さを感じさせるとこ ろが無い。つまりそれは瑞々しく成熟してい るのだ。みんな、未熟さを若さと混同してい るのだと思う。私がそんな天才たちと同じレ ベルの活動をしていたとは全く思わないけれ ど、頭の中でそんなことを考えていた少年は 、確かに周囲の「写真少年」たちのように滑 らかにシャッターを押すことができなかった 。今考えてみると、そんな厄介な少年だった 私の写真を認めてくれるのは、やはり森山大 道先生以外にあり得なかったし、私の写真を トップに選んで下さった折り、作者である私 の年齢に全く言及して下さらなかったことが 私は何よりも嬉しかった。
 そんな十代や二十代の頃は自分の若さや体 力や血の気の多さがたまらなく鬱陶しくて、 早く三十になりたい、とそればかり思ってあ の時代を駆け抜けてきたような気がする。そ の頃はそれほど嫌でもなかった勤めを辞めて 大学院に入り直して、その後また世間に出た というのもその鬱陶しさのなせる技だったよ うに思う。期せずして、それが私の写真家と しての、もちろん人間としての基礎になった のだから、あれはあれで正しい選択ではあっ た。大多数のひとが人生を楽しんで過ごす二 十代後半に、私は自分なりに根を詰めて学者 の卵をやっていたわけで、その稔りを携えて 三十歳になった時は確かに嬉しかった。
 たまには自慢したいのだけれど、その三十 代の十年間で私は個展を別々の場所で三回開 いて、写真家を名乗ることに迷いが無くなり 、辛い心の病をくぐり抜けながらも多くの可 能性を持って四十歳になろうとしている。老 いを恐れなければならない理由は何も無い。 悪くなったのは時代の方であって、断じて私 の方ではないのである。余談ながら、二十代 半ばの私のポートレートは今よりもずっと老 けていて、同じひとには見えないといろんな ひとに言われてしまう。
 それでも、歳を重ねて生き続けるのはぶざ まなことだし、そこで開き直るのはさらに醜 悪なことで、それが必ずしも悪いことだとも 私は思わないけれど、やはり私にそんなふう に生きる才能が無いのも確かだった。だから 、その答えを見い出すまでの間は、死んでし まうことは確かに魅力的で正しい考え方のよ うに思えた。
 たとえば、生態系の中で生きる人間以外の 生き物が生き続けるのは疑いの余地なく善で あるけれど、そこを離れてしまった人間とい う生き物がただ生き続けて繁殖してゆくのは 悪以外の何物でもないはずだ、という確信が 私にはあった。ビートたけしの「環境に優し くしたければまず人間殺せ」という言葉は圧 倒的に正しいのである。人類は生態系に寄生 して食い潰してゆくガン組織のようなもので 、その細胞のひとつである個人が長生きする ことにどんなメリットがあるのか私には長い 間分からなかった。
 結局、人間が生き続けることは生態系を破 壊してゆく悪には違いないのだけれど、その せめてもの見返りとして、それに値するだけ の精神的な価値を見い出せばよいのだ、と考 えるしか私にはできなかった。それは人間以 外の生き物にも、肉体を持たない神様や精霊 にもできないことである。逆に言えば、生態 系に寄生するだけで大した喜びも悲しみも味 わうことなく人間が怠惰に生きて死んでゆく のはこの上ない悪である、ということにもな る。あえて言えば、今の自分が知っている以 上の喜びや悲しみがこの世にあるのかもしれ ない、と想像することができなくなった連中 、つまり怠惰な勤め人の集団のことだ。
 このへんのことは、筒井康隆の「筒井順慶 」にヒントが書いてあったと思う。それを私 が読んだのは二十代なかばのことだったけれ ど、そのヒントを私はずっと忘れていたのだ った。
 もちろん、そんな想像力にも限度があって 、私がこうして生まれて生きのびてきた理由 はいくら考えても分からない。もともとそこ に理由なんて無いんだ、というのは安易で醜 悪で理由になっていないように思える。で、 死んだ方が楽だ、と思える時期は何度かあっ たのに、結局私は死のうとしたことはなかっ たし、一時的に心身の不調を経験したことは あったけれど、規則正しい生活を続けて健康 な肉体とともにこれまで生き続けてきた。
 これはまた別の機会に書くと思うけれど、 仮に自殺したところでそれは一時しのぎであ って、自分の問題から逃れられるものではな いらしい、ということも最近分かってしまっ た。まさに「馬鹿は死んでも直らない」わけ で、これで死がいくら魅力的であっても自殺 することが私はできなくなってしまった。た とえば、他人の臓器をほじくり出してまで私 は生きるつもりは無いけれど、それでも自然 に死ぬまで生きてゆくしかないのである。
 要するに、私がこうして生まれて生きてい るのは本当の奇跡であって、宇宙の長い歴史 に比べればそれは比較にならない短い時間に すぎない。にもかかわらず、私の今の人生は 死ぬまでは続くのである。その間、少なくと も目醒めている時はこの世界とおつきあいし てゆかなければならない。これ以上面倒な問 題がこの世にあろうとは思えない。
 それでも、思考や想像に限度があるという のは幸福なことだと思う。よく分からないけ れど、生き続けてやらなければならないこと があるからこうして生きているのだろう、と 素直に人生を認めてしまうといろんなことが 少しは楽になる。謎は謎として、問題は問題 として相変わらず存在し続けるけれど、その 見え方が少しずつ変わってくるみたいだ。
 ただ、そうするとこの人生が夢と全く同じ 構造になってしまう。自分でもよく分からな いままに、それでも希望を持って謙虚に生き るというのは、わけの分からないままにみて いる夜の夢と全く同じである。いつ終わるの かまるで予測できないのも同じだ。「人生は 夢」とはよく言ったものだと思う。「何が何 だかわからないのよ、グズグズ言っても始ま らないね、ゴリガン一発生きぬこう」という ことか。結局、クレージーキャッツは正しい 、というのが私の四十歳を迎える心構えにな ってしまった。



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